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【雑感】「上級国民」という言葉は好きになれない

ネット上に広がる「上級国民」という言葉。いつから始まった言葉なのかよく知りませんでしたが、ニコニコ大百科によりますと、どうやら2015年の東京五輪エンブレム騒動からのようです。

上級国民という言葉は、一般国民に対してそれ以外の(特別な)国民がいるかのような発言を受けて、それを皮肉るために生まれた単語(ネットスラング)である。東京オリンピックエンブレム騒動を発端とし、主に2ちゃんねるの嫌儲板を中心として発祥した。当初は(デザインに精通している)専門家側の上から目線の言葉を皮肉るために用いられたが、その後は上級国民という言葉の連想から、政治家や役人、資産家などを批判的な意味合いにて指し示すようにも用いられるようになった。

それはさておき、池袋で起こった暴走事故について「上級国民だから…」という憶測がネット上で急速に広がりました。

実名報道が少ないのは「上級国民」だから?

ネット上を駆け巡った一つ目の大きな憶測は「上級国民だから実名報道されなかったり『さん』呼びをされている」でした。しかし、これは別に上級国民だからではなく、その時点では逮捕も指名手配もされていなかったからという理由があるといいます。要するに、ただの「勘違い」です。まぁ、最終的に実名で報道した機関もあったので実名は広がっていきましたが。


逮捕されないのは「上級国民」だから?

ネット上を駆け巡ったもう一つの大きな憶測は「上級国民だから逮捕されない。無罪になる。」でした。しかし、これも運転者が入院中ということもあり、「逃亡又は証拠隠滅のおそれ」がないと判断され、任意捜査が継続されていると考えることができると記事では指摘されています。それに、有罪・無罪もまだ決まっていません。逮捕の有無と有罪・無罪は別次元の話です。

日本の報道は「逮捕」までを大きく報じることが多いため、つい逮捕されたら犯罪者と思いがちですが、それは違います。それに、今回の件はまだ任意捜査です。任意捜査の段階ですべてを実名報道にするような制度にしてしまえば、とんでもない不利益を被る人が増えることになるでしょう。


「上級国民」という言葉を嫌う理由

私が「上級国民」という言葉を嫌うのは、この発言がただの差別であり「いじめ」にしか見えないからです。

先のニコニコ大百科には、上級国民の例として「政治家」や「資産家」等が挙げられ、「批判的」という表現がされていました。しかし、今回の件は明らかに「批判」ではありません。これまで指摘した通り、ほとんどが憶測であり、ほとんどが間違っていたのです。これは、感情的な「暴言」であり、ただの「いじめ」です。いじめをするために「上級国民」という言葉が広がっていると言わざるを得ません。

ですが、こうした「事実に基づいた」反論をしてもなお、「上級国民」だから特別視されてるというストーリーを作り上げてしまう人も少なくないようです。

最も大切なことから書きますが、今回の一件を通して「上級国民」批判をした人は、運転者の名誉を毀損しています。自分の感情がおさまらないのか、日頃のストレスが溜まっているのか、詳しいことは分かりませんが、運転者の方をスケープゴートにして、サンドバッグにして、ひたすら殴り続けているのは明らかな問題です。

「上級国民」批判をしている人は、運転者のことを思い浮かべているのでしょうか。憶測になってしまうのは苦しいところですが、「上級国民」という言葉を「言いたいだけ」なのではないでしょうか。生身の人間としての「運転者」に興味はなく、ネット上にスケープゴートとして存在する「上級国民」なる存在を攻撃したいだけなのではないでしょうか。

しかし、そうした攻撃が生身の人間としての「運転者」に届き、攻撃を加えているという事実をどこまで認識できているのでしょう。

私は、今回の件で「上級国民」発言をしている人の多くは、おそらく「差別主義者」でもなんでもない普通の人だと考えています。あえて言うならば、Twitterなどで人気を集めたい人、世間との「同調」に喜びを感じる人、運転者のことを自分とは別の世界に生きる極悪人であると判断して自らの心の平穏を保とうとする人、そんなところではないかと思っています。

また、今回の件において、本気で冥福を祈っていれば、そんな他人の死を利用したバッシングはできないとも思うのです。そういう意味では、みんな「他人事」だと思っている人たち、いわば「外野」と呼んでも良いかもしれません。

「こんなにも凄惨な事件だから特別なんだ!」と言っている人も少なくありませんが、感情的になってしまう場面であっても、やはり無根拠の「いじめ」が許されるはずはないと思います。それこそ「いじめられる側が悪い」という差別的な論理です。そもそも「上級国民」なんてバッシングをせずとも、今回の件について言及することは可能です。Twitter上にも良識をわきまえた人はたくさんいます。

多くの人が攻撃している矛先は、おそらく「虚像」としての運転者であるように感じます。いわば「見えない敵」と戦っており、それをしている自分は「正義」だと思っているのでしょう。しかし、そのような「虚像」への攻撃が、実際の生身の人間に対してどのような影響を与えるものなのか、落ち着いて判断する必要があると思います。

最後に、本稿について簡潔にまとめておきます。今回の「上級国民」という言葉を用いた一連の言論は、もはや「批判」と呼べるものではなく、根拠のない憶測を基に、罪の有無すらもはっきりしていない一人の人間を、社会が感情的にバッシングしている、ただの「いじめ」です。だから、私はこの言葉が嫌いです。

そして、それを悪意もなく一つのネタのように使う人が増えトレンド入りしている状況も、個人的には不快です。事実上、いじめに加担しているように見えます。

しばらく「上級国民」という言葉は流行し続けるのかもしれませんが、こんなただの「差別用語」が新語・流行語大賞になったりしないことを強く願うばかりです。

最後になりますが、今回の件で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、怪我をされた方をはじめ、関係者の皆さまの早いご回復をお祈りしております。


かくいう私も少しばかり感情に任せて書いてしまいました。感情の統制はたしかに難しいことですが、それでも攻撃的な表現には留意して発信したいものです。


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