プレゼンテーション1

【Mr.Childrenファンの大学生必見】 ”自己実現”と『終わりなき旅』

[約7500字 所要時間約17分](長いっ!すみません!)

Mr.Children『終わりなき旅』

発売から約20年。いまだに悩める人々を救い続ける、Mr.Childrenの代表曲。受験や就活、スポーツなど、夢に向かって頑張る人たちの心の支えとして長く親しまれてきたこの歌。サッカー元日本代表キャプテン、長谷部誠選手も『終わりなき旅』を最愛の曲と公言し、試合前には必ずこの曲を聴くのだとか。

そんなMr.Children屈指の超応援ソング『終わりなき旅』を、就活も終えた人生絶賛モラトリアム中の私が、勝手ながらに解釈をしていこうと思う。
きっかけはひょんなことから。
あえて聴こうと思ったわけでもなく、自転車に乗りながら、ふとシャッフルで流れてきたのだ。受験、部活、就活の時と幾度となく聴いて、歌詞が体に刻まれるほど覚えたのに、全く別の曲に聴こえた
”言葉の魔法使い”、Mr.Children桜井さんの、万人万様の捉え方を可能にする歌の力を感じたのだ。そこから約1週間、聴きに聴きに聴きまくり、Apple Musicの再生回数は100回超え。いわゆる”ドハマり”だった。

歌い方、発売の背景、歌詞、曲調、全てが一つとなって、新たな解釈とともに自分の心にスッーと透明な風を吹き込んでくれた。

まずは『終わりなき旅』リリースの背景

「そんなの知ってるよ!」っていう超コアなファンの方々もぜひ、ミスチル検定のお勉強としておさらいを。

『終わりなき旅』は1998年10月21日にMr.Children15枚目のシングルとして発売。この曲の発売前、Mr.Childrenは1年半ほど活動休止をしていた。
『CROSS ROAD』で初のミリオンヒットを出し、『innocent world』で初のレコード大賞、その後も『Tomorrow never knows』(276万枚)、『名もなき詩』(230万枚)と今では考えられない大ヒットを連発し、「ミスチル現象」とまで言われるほどの大人気っぷりであった。

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充実の音楽家ライフを送っているかと思いきや、当の桜井さん本人は人気と実力の乖離などで心を病み、「死にたい」と発言するほどに追い込まれていたという。上記の『名もなき詩』が収録されているアルバム『深海』は当時のディープでダークな曲調が特徴で、桜井さんの狂気っぷりがよく表れていて、僕はこのアルバムはMr.Children史上最強の芸術性を誇ると思っている。今でもミスチルファンの間ではファンを続けるかどうかの試金石とされるほどの”問題作”。そうしてその後97年3月を最後に活動休止へ。

『終わりなき旅』を解釈するにあたって大切な背景は以下の三つをおさらい

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いざ、解釈へ

さて、『終わりなき旅』発売の背景も理解していただけたところで本題の歌詞解釈へ。ズバリ私が思うこの曲のキーポイントは、

  1.僕から君、君から僕らへ。主語にみる自己実現欲求
  2.過去、現在、未来へ。時制にみる自己分析
  3.   人生は、終わりなき旅

Mr.Childrenを“王道”たるMr.Childrenにしたのは他でもない、日本語への敬意だと思う。格好良さのために英語に逃げることなく、日本語と真正面から向き合った桜井さんの愚直な姿勢が、どんな人にも馴染みやすく、心に響く歌を生み出している。この『終わりなき旅』にも日本語へのこだわりが詰まっていて、時制や主語、語尾を微小な変化などで迷いを抱えた人間の内面深くの決意を絶妙に表している。
歌詞に表れる内面の葛藤と、リリースの背景を中心に解釈を進めよう。

1番「可能性を期待しながらも受動的な生き方をする"かつての自分"」

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注目してほしいのは冒頭の「息を切らして 駆け抜けた道を 振り返りはしないの」というフレーズ。なかなかにクサい言葉からのスタート。この歌詞はラスサビ前にも出てくるが、この部分の捉え方が一曲を通して変わっていくのがこの曲の醍醐味。同じ言葉も経験や年齢を重ねることで捉え方が変わることはよくあるけど、桜井さんは一曲の中で変えていく所が凄い。

就活で言えば、自己分析をする前の自分の"強がり"とでも言うんだろうか。無我夢中に過ごした毎日が誇らしい一方、そんな無我夢中を時間や時代や社会のような見えない敵が阻んでいるようだ。

そして、繰り返し使う「〜さ」にもどこか強がりな自分を感じる。その後の「放つ願い」も”願いを放つ”ぐらい、どこか乱暴で投げやりな印象。
確信を持てずに自分の将来にわずかな不安を覚える、そんな様子だろうか?
大学1〜2年生で、遊び、バイト、サークルに熱中し、”大学生らしく”過ごそうとする自分がまさにそうだったな…

極め付けは「命を削って 情熱を灯しては また光と影を連れて進むんだ」情熱の火を灯すために、自分の命を削っていることを自覚してるんだ。そして「また」光と影を連れて進んでる。歩んできた道を振り返らない、そんな命を削って光を輝かせる自分の生き方と、「このままでいいのか?」という将来への迷いの影を同時に抱えて人生を歩む。人生の転換期を前にした人々の多くが共感する部分だろう。

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この「愛されたい」の解釈が難しい。
「愛されたい」という言葉が受動「れる」と願望「たい」であることから、単に愛情というよりも「世間に認められたい」「自分はできるんだって認められたい」と解釈してもいいかな。特に就活をしていた時は社会に対して、企業に対して猛烈に「愛されたい」と歌っていた。

その「愛されたい」という思いを、「大きな声で 声をからして」誰かに届くように何度も訴えた。でも「『ガキじゃあるまいし』自分に言い聞かすけど」…と、大人なんだから現実を見なさいと客観視する自分がなだめる。

小さい頃に「サッカー選手」や「宇宙飛行士」を夢見る少年が、現実の大きな壁を知ったときのような諦めは誰しも経験する。そしてその諦めは大人になってからも小さく、小さく、そして時より痛み疼く(うずく)になる。「いい企業に行きたい、金をたくさん稼ぎたい!…だけど自分には学歴も学生時代に頑張ったこともない…」就活生で言えばそんな悩みと葛藤は心をむしばんでいく。

それでも諦めきれず、「また答え探してしまう」んですよね。この"答え"が何を指すか、私は自分の存在価値を世間に証明する生き方とか自分の存在だと考える。

 ~余談①~
この『終わりなき旅』は他の曲に比べても「けど」や「でも」と言った逆接の言葉が多く出てくる。これは桜井さんなりに"迷い"を表しているんじゃないかと捉えてる。逆接の言葉を多用することや、一曲を通して9回の転調を織り混ぜるのも、内面の紆余曲折を表してるのだろう。
ここでは補足程度にしておこう。

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さぁ、1番のサビです。歌詞の内容はすごいことを言ってるのに、盛り上がるわけでもなく、淡々と、ともすれば弱々しく歌っているのが特徴。
Mr.Childrenあるあるですが、1番のサビは抑えめなことが多い。2番、ラスサビとだんだんボルテージを上げてく曲の多くはこの時期に発売されている。『everything〜it's you〜』『I'll be』『NOT FOUND』など。
熱意の高まりを歌い方で表すところもMr.Childrenを好きなポイントですね。

さて「また答え探してしまう」から、解釈の続き。
サビ頭から、ドアが閉ざされている
その向こうに"新しい何か"を期待してるのか?
夢や将来の希望など?
「きっと」という、確信と不安を合わせ持つ言葉を二回重ねるところや、「僕を動かしてる」という受動的な表現から、確信のない希望を信じようとしているのだろう。

確信は持てなくても、「いいことばかりでは無い」とわかっていても、 それでも「次の扉をノックしたい」という自分を変えたい気持ちが現れてる。そして「もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅」へ。
中学生、高校生くらいで現実を知って、大学生で路頭に迷って、それでも「自分はできるんだ」「自分はもっとすごいんだ」って信じたい。本当にここはかつての自分に痛いほど重なります…。今の自分もそうだと言える。

1番をまとめると、現実の大きな壁を前に、自分の可能性を信じようとする主人公の、受動的で他力本願な生き方を表していると言えそう。

2番「自分が、自分を、信じるんだ。」

桜井さん本人が仰っていたことだが、彼は2番の歌詞に力を込めるそう。本当に伝えたいことは2番に書くと。
例に漏れず『終わりなき旅』も2番で、受動的で他力本願な生き方に苦しんだ主人公が、自分を信じられるのは自分だと悩みを抱えながらもまっすぐ生きることを選んでいく、”変化”がよく表れている。主語や時制、語尾に注目していこう。

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2番Aメロ
過去から見た当時の自分の視点。
「次の扉をノックしたい」と願望を抱いていた主人公が少しずつ行動を起こしてる。

「誰と話しても 誰かと過ごしても 寂しさは募るけど」  変わりたい自分と、未だ変われていない自分の転換期は、人と過ごすことすら不安になる。
理想の自分は今の自分を許すのだろうか?この「寂しさ」は理想を叶えられない自分への失望としての「寂しさ」じゃないかな。

そしてここで「けど」がくる。どこかにそんな迷いを抱えた自分でも、「必要としてる人がいる」と信じたい。まだ「どこか」なんだけど、語尾が「いる」と断定してることからも、少しずつ、少しずつ、強く信じようとしてる。

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2番Bメロ
今までの過去から見た過去視点から、現在から見た過去視点に変わってる。そして主語が自分ではない誰かに変わってる。なぜだろう。

この部分、応援と捉えるには投げやりな印象で今までもあまり響かなかった。何度も聴いていくうちに、
この部分には「夢を叶えたい、自分の信念に従って生きたい自分を"悲観視する悪魔"の視点」があるんじゃないかと。
"恋"や"愛"はおそらく夢や希望の象徴。夢に破れ、希望を諦めた「憂鬱な恋」に胸を痛ませ「愛されたい」=「世間に認められたい」「自分はできるんだって認められたい」と泣いていたんだろう。
でも「心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる」のか?本当に洗い流していいのか?
結局、辛く悲しい過去を"時間"に洗い流してもらうのか?

これは就活の自己分析でもすごく大切で、自分の過去をなかったことにする事は絶対にできない、絶対に。できたとしてもそれはいびつに取り繕った藁人形のような自分だ。まずはありのままの自分を認めることが自己実現の一歩である。

味方のように聞こえていたこの部分が、諦めを正当化する悪魔の考えだと気付けたのは就活の功罪だった。年齢や経験を重ねて捉え方が変わる、これがMr.Childrenの凄いところだね。そりゃ長く愛されるわけだ。

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2番サビ
桜井さんの歌い方が1番に比べ強く鋭い
夢を叶えようと、心を決めていざ行動してみると、また現実に直面して難しく考えてしまう。
自分の中の天使と悪魔が戦う。
そうして結局、考えることすら嫌に思える。
そこで「そっと そっと」バレないように「逃げ出したくなる」
自分の信じた道を、また、諦めたくなる。

「けど」

この「けど」は本当に大切。つい弱い自分に逃げたくなるけど、もうこれ以上諦めたくないんだよね。そこで、「高ければ高い壁の方が 登った時気持ち良いもんな」と理想の自分や信じた道を進む自分を鼓舞するのだ。
「まだ、限界だなんて認めちゃいない
とくる。限界を決めるのは自分だ、と。そしてこのも、1番Aメロの「息を切らして〜」のに似てる。ただ、同じように強がりながらも、同時に信じようという”決意”も垣間見える。

 〜余談②〜
この2番は桜井さんにとって、自分の作り上げた伝説的なMr.Childrenへの挑戦じゃないかと思う。何千万枚もの売り上げを誇り、音楽界を席巻し、圧倒的な人気を誇る、自らが作り上げた伝説的なMr.Childrenへの挑戦。

「まだ限界だなんて認めない。」
自分との戦いに負けるもんかという覚悟が感じられる。つい先日も、最新アルバム『重力と呼吸』を引っ提げたドームツアーの後、「新たな音楽作成のためにロンドンに飛ぶ」と言っていた。自分に満足することなく、どこまでも挑戦を忘れない正真正銘のモンスターバンドだなと思う。

ということで2番は
受動的で他力本願な生き方に苦しんだ主人公が、自分を信じられるのは自分だと、悩みながらもまっすぐ生きることを選んでいく
という、他責から"自責"へ、迷いから"信念"へ、未来を悲観視する自分の中の悪魔との闘いを制していく、そんな物語だった。

Cメロ 自分との戦い「終わりなき旅の、はじまり」

「人生は三度ある」
僕は信じてる。これは出生以後の「生きるために生きる」人生と、「自分の信念を貫くために生きる」自律した人生、そしておそらくこのあと「愛するために生きる」というタームが来ると思うが未だそれを身をもって経験していないので割愛。この『終わりなき旅』は、生理的に生きるために生きる人生から、自分の信念を持ちそれに沿って生きていく人生の転換期の歌だと感じる。

自分の人生を"自分が"歩むことってすごく難しい。必ず人と助け合い、支え合い、信じ合って生きる時間が来る。でもそれは、自分の人生を自分が歩む人たちが初めて歩むことができる次なるステージだ。

「自分の人生を、自分が歩むんだ」
そんな覚悟が読み取れるCメロ〜ラスサビです。

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「それでも現実は、厳しい」
時代、社会、他人、どんな時代も逆流は凄まじい。中でも友人や家族、恋人などの自分と親密な人たちが作る逆流は、本当に凄まじい。でも、君は君でいい。生きるレシピは自分で書き上げろ。そんな強いメッセージが込められてる。

「時代は混乱し続け その代償を探す
 人はつじつまを合わす様に 型にはまってく」
この部分は曲が出されて20年以上経った今でも変わらない。混乱した時代を生き抜くために、社会は人々にコミュ力、資格、スキル、地位を求める。僕は、こういった外面的なものこそが"代償"であり、"型"であると思う。
時代が必要としてるから
その考え方は大切。時流を読み切る力は必要だけど、そこに"自分"がいなくてはいけないのでは?"自分"が信じた道だからこそ、責任は自分にあると思えるんじゃないのか?結局、時代のせいにしてるんじゃないか?

「誰の真似もすんな 君は君でいい
 生きる為のレシピなんてない ないさ」

辛いとき、苦しいとき、本当に救われる言葉。この言葉がいったい何人の人生を救ったんだろうって思うくらいに、芯を捉えてる。私も救われた一人だ。
さてこの歌詞よく聞くと、""という二人称が気になる。時制と主語の視点から見ても今までにない視点。過去の悩む自分に向けた言葉にしては、時代の話をする必要もないし、これはもっと別の視点では?

そう。きっと、夢を追う自分を応援する"もう1人の自分"ではないかと。「生きるためのレシピなんてない」という言葉には、「間違えたり、迷ったり、遠回りする人生も全てひっくるめて自分の生き方だ。今自分がここにいる、その場にたどり着くには近道も遠回りもなく、その道でしか辿り着けなかったのだ」と、強く肯定してくれる。そんな強い応援を感じる。

そして、噛み締めるように「ないさ」と”現在”の自分が繰り返す。この、1番では強がり、2番では強がりと決意が入り混じっていた。このCメロのは、強がりも自分だと、全てひっくるめて決意した”さ”だ。

まるで悲観視する悪魔を振り払い、自分を応援する天使と歩むことを決意したようだ。

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一通り解釈をしてきたが、『終わりなき旅』のすべてはこのフレーズのためにあると思う。冒頭1番にも同様のフレーズがあった。
1番Aメロ
「息を切らしてさ 駆け抜けた道を
 振り返りはしないのさ
 ただ未来だけを見据えながら
本当に言葉遣いが上手だなと思います…
同じ「息を切ら〜しないのさ」でも、Cメロの言葉には、過去を振り返ったうえで、そんな過去をもひっくるめて未来に連れていこうという決意を感じられる。1番はやみくもに不確かな未来だけを見据えていたのです。
Cメロは、「未来へと夢を乗せて」と、夢と共に未来を力強く歩む決意が表れてる。ヒッチハイクのように自分が躯体となってエンジンをかけるクルマに夢を乗せていくのですね。(『Prelude』/SENSEと似てる)

ラスサビ「全てひっくるめて——。全自分、前進!」

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ラスサビ①は、”君”を使っていることから、先ほどの夢を追う自分を応援する"もう1人の自分"の視点。1番のサビとほとんど歌詞は一緒ですが、確信を持って「君を動かしてる」 そしてもう一点、1番サビでは「でも次の扉をノックしたい」という願望だったが、ラスサビ①では「でも次の扉をノックしよう」という意志形、決意形に変わっている。最後には「もっと素晴らしいはずの自分を探して」と、自分への期待MAXのフレーズを並べている。夢を追う自分を応援する”もう一人の自分”と共に、困難な道も乗り越えるんだという決意が感じられる。

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そしてラスサビ②、ここではさらに、主語が”僕ら”に変わっている。一般的には「自分一人じゃない」みたいなニュアンスだと思うが、私はこの”僕ら”は夢を追う自分と、それを応援する理想の自分の二人三脚であると思う。そして何なら「胸に抱え込んだ迷いがプラスの力に変わるように」とあるから、悲観視する悪魔も迷いも葛藤も丸めて全部一緒に行こうよ、というような力強さを強烈に感じる。

「いいことばかりではないさ」とネガティブなイメージを類推させる言葉ではなく、「嫌なことばかりではないさ」と嫌なこともひっくるめていく、そんな前向きな姿勢だ。そして1番サビで不安とともに抱いていた「もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅」の欲望を確信を持って歩むことを決意している。

このラスサビのあと、イントロ同様にギターのリズムが刻まれはじめ、ベースやドラム、オーケストラのサウンドが徐々に熱量を帯びながらフェードアウトしていく。まさに、『終わりなき旅』の始まりであると伝えるように。この文章の冒頭にあげた「人生は、終わりなき旅」凡庸なフレーズながら、これを自分の体験とともに心や体の隅々まで理解したときにはじめてこの言葉の重みを感じた。

ぜひもう一度、静かで何にも追われない環境で、イヤホンに耳を傾けてみてください。

おさらい

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おわりに

最後までお読みいただきありがとうございます。少しでもテンポよく書こうと思うと言葉がぶっきらぼうになったり、感情が高ぶりすぎてしまったり、やっぱり文章を書くって本当に難しいことですね。それでも、つたない7000もの文字を読んでいただけたことが何よりうれしいです。

桜井さんはじめ多くの歌手や、作家、Twitterの方々の自己表現力の高さを身をもって体感しました。今回はMr.Childrenの名曲を拝借しましたが、いずれは自分の言葉で人の心を奮い立たせるような、落ち着かせるような、そんなヒトになりたいです。

改めて、お読みいただきありがとうございます。

あつし


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