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架空書評:モーリス・センダック『かいじゅうたちのいるところ』

※本書評はこの本を読んでない筆者がタイトルのみから連想し、架空で拵えたものです。
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現代社会は怪獣の巣窟だ。ひとたびお外にでてみると、目を見開いた二足歩行の怪獣が私利私欲を満たすために歩き回っている。しかも1匹や2匹ではない、大量に。

怪獣は箱の中で産まれるのだろうか。毎日、毎日、朝と夜に規則正しく四角い箱から怪獣がたくさん吐き出される。箱は怪獣を輸送しているらしい。箱の中はさぞ居心地がいいのか、必死にそこに乗り込もうとする怪獣もいる。なんと悍ましい光景。

…そう、本書でいう怪獣とは人間のことだ。つまり、読者こそ怪獣。本書を電車に中で人に押しつぶされながら読んでいる読者がいれば、自身の置かれた状況と本書の問題提起をいささか不愉快に感じるかもしれない。「乗りたくて乗ってるわけじゃない!」

では、物語の語り手は誰なのか。いや、何なのか。人間の生活を見つめ、その不思議な生態系に想いを馳せるそいつはどんな存在なのか。

それは、そう、わたしである。
忌々しい怪獣め、わたしの大切なあいつを死に追いやり、わたしさえも傷つけたおまえたちにんげん。おまえらは怪獣だ。自分のことしか考えず、ほかの怪獣に慰めてもらったり、ほかの怪獣と寝ることしか考えてない単細胞生物。ぜつたいゆるさない。わたしや、あいつが苦しんだ分以上におまえの人生を台無しにしてやりたい。今日眠りにつくとき、美味しいものを食べるとき、ライバルとの戦いに勝つとき、射精されるとき、愛する人に抱擁されているとき、家族と出かけるとき、新しい家族が産まれるとき、たくさんおかねが手に入るとき、心からのありがとうを言われるとき、全てのおまえたちのしあわせの瞬間にわたしはいる。いいか、怪獣ども、全てのしあわせの瞬間にわたしを思い出せ。おまえが傷つけた、おまえの見ず知らずのわたしとあいつ。みているぞ、その笑顔もその涙も。わたしたちはきずつけない、おまえたちかいじゅうのように、すぐ悪態をつき、攻撃をしたりなんかはしない。そう、ただみているだけ、いつでもみている。そして、きみわるがり、ふあんがり、いらいらするがいい、このかいじゅうどもめ。しぬまで、しんでもわたしたちはおまえをみている、いまも、そう。

#架空書評 #コラム #エッセイ
#かいじゅうたちのいるところ

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