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#12 心のバリアをはずすたび

共同管理人のれなです。さぁ、きょうは我ら結社が誇る”情熱の薔薇系女子”、鈴木のまゆみさんにバトンを渡します!知らず知らず、これはできない、あれは無理って思っちゃうこと、ありませんか。そういう見えないバリアを全力で、泣いたり笑ったりしながら、がしがしとこじあけてきたまゆみさんの大切な人生の物語です。

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はじめまして。【招待制】オストメイトといっしょ!秘密結社アッと♡ストーマの鈴木眞弓です。今年の2月末、大腸がんと診断されオストメイトになりました。長男を授かってオストメイトになるまでの20年間と長男へのエールを、「まずは」の自己紹介としてお伝えします。

【長男無事誕生、えっ1,000g?】

 長男は、1,000gで誕生しました。出産1日目の朝、大学病院のお掃除の方が、「大きくてよかったね!」と声をかけて下さったのは衝撃でしたが「そうなんだあ」と疲れと混乱のぼんやりとした意識の中で眠ってしまった誕生日を思い出します。妊娠時に私の血液の病気がわかりました。母子の健康を守るため妊娠当初から出産は2,500gに育ったら産みましょうと医師より伝えられていました。医療に守られた中でしたが1,000gはさすがに想定外です。私は保健師でたくさんの子どもたちの健診や家庭訪問を通して支援してきました。「人と比べない、いいところを見つけよう」と仕事で子育てに悩むお母さんに伝えていた言葉を自分に向けた毎日でした。その後も様々な検査が行われる中、聴力に障がいがあることがわかりました。病院から札幌聾学校の幼稚部での相談を勧められ、乳幼児期からの専門的支援を勧められました。私も夫も仕事がありましたので子供に終始付き添えないため、いわゆる普通の認可保育園を選択しました。保育園でたくさんの子どもたちと遊び保育士さんに育ててもらった5年間は貴重な時間だったと思います。


 小学校からは札幌聾学校に通い、小樽にある高等聾学校でお世話になりました。北海道には札幌、旭川、函館、室蘭、帯広の5か所に聾学校、釧路に釧路鶴野支援学校があります。北海道高等聾学校は小樽市銭函にあり、広い北海道に一校です。そこで、高等聾学校の入学イコールほぼ寄宿舎生活になります。長男も片道1時間半以上かかる通学は避け寄宿舎を選択しました。


 長男が高等聾学校に通う頃、生活に変化が訪れます。私は市役所を退職し、先に夫が起業した勤め先で就労し、自由な時間ができました。そこで3年間、私はPTA会長を務めさせていただきました。北海道内外の聾学校、特別支援学級等の活動を知りたくさんのお母さんたちと出会い情報交流ができました。PTAの活動をとおして学校行事や学校の授業、寄宿舎での生活を過ごす子ども達の元気な笑顔を見て、長男の成長を感じた3年でした。このような体験ができたのは夫のおかげです。長男の小中学校時代、夫は市役所を退職し、送迎や病院受診に要する時間が得られやすいよう起業しました。PTA会長を務めた時期もあり、育児もPTAの取り組みも夫に任せきりでした。 近くにあるとは限らない学校の送り迎えの共働き夫婦の就労はこれからも課題ではないかと思います。


【心のバリアを外すには…】

 私がPTA会長を務めていた北海道高等聾学校の3年間で、生徒が「認知症」について学ぶ機会が少ないことに気づきました。道内に聴力障がいをもつ高齢者を対象とした高齢者住宅ができはじめたこともきっかけとなり「認知症サポーター養成講座」の開催を校長先生に提案し快諾してくださりました。私自身がこの事業に携わっていたこともあり、認知症の方や家族の関わりを学ぶことは、生徒たちの就労の大切な知識になると考えたからです。対象は大人だけではなく園児や小中学生も学んでいます。調べると当時聾学校での開催は国内で初めてでした。


講師は全国の様々な対象者に講座を行っている札幌しらかば台南病院の吉岡秀典さんにお願いし、特別プログラムでアロマテラピーの講義を佐藤万里子さんが引き受けて下さいました。 

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受講生は生徒と教職員で15名でしたが、講師の先生が事前に生徒の聴力のレベルやどうしたらより伝わりやすいか情報を集め、生徒がこまらない方法を駆使して講義をして下さいました。マイクの音量もそうですが、顔や口元を見てゆっくり話す、身振り手振りを大きく行うなどです。受講した介護福祉士を目指している女子生徒は「認知症の人としっかり目を合わせて話をする大切さが分かった。将来の仕事に生かしたい」と話していました。相手に伝えたいという講師の思いが伝わり、コミュニケーションには「相手を思いやる心」であることを、講座を通して感じました。「社会のバリア」が小さくなることは私たちの先輩の保護者のみなさんや私たちが発信してきたことでずいぶん変化してきました。皆さんもご存じのように法も動かしてきています。

 長男は今、自宅から大学に通っています。聴力に障がいがある生徒は全校に2人で長男の学年は1人です。大学では情報保障の観点から様々なコミュニケーションアプリを準備してくださり、集団討議も可能になり、「物的制度的バリア」は低くなりました。一番不安だった「人のバリア」も仲の良い友達がまもなくでき、長男のできないことを助けてくれています。大学が楽しくて仕方ないと大学生活を満喫しています。


「聴力」「視力」「知的」「心身機能・発達」等に障がいがあっても、できることがたくさんあります。隠された能力もたくさんあります。しかしながら「聴力や身体に障がいがある」ことで「社会的不利益」はあってはいけません。まずは子供たちの心の中に「バリア」を持たせない「育て方」、と「教育」が第1歩かなと感じました。


【オストメイトになってから】


 今年の2月、私に大腸がんが見つかり入院手術の結果、人工肛門(ストーマ)を増設しオストメイトになりました。長男は大学生でありながらケアラーとなったわけです。在宅で化学療法を行っていますが、治療が進むほど副反応が強くなり生活に支障をきたすことが少なからず出てきます。医療福祉系大学に所属していますから病気の知識は学んでいますが、オストメイトの詳しい知識はありませんでした。しかし、まだ数か月ですが私との関わりの中でずいぶん覚えてきました。「正しい知識があれば、病気のあるなしに関わらずお互いが支えあうことができる」ということを実践し、認知症サポーター研修で学んだことが活かされていることを強く感じます。私が非常勤で大学等の講師を務めていたことから、「学校とかでオストメイトの講義あったらいいんじゃない?」と背中を押してくれ、実現に向け奮闘中です。聴覚障害のある方には長男に手話で通訳の手伝いをしてほしいなあ。

 大学生活の中襲ったコロナウイルスのパンデミック、母親がオストメイトに、予期できないこともひるまず乗り越えてきた長男。不安や変化を乗り越えた経験を無駄にせず、これからの自分の人生、チャレンジし続けて欲しいと願っています。

【とりあえずのおしまいに】


  秘密結社アッと♡ストーマに入社したのが5月です。入社(入社って…謎)して数か月とは思えないほどの出会いやあふれる情報量。「なぜこの結社に入れたのか」「デコパウチの奥の深さとずぼらな自分との闘い」「入院中に伝えてほしいこと(当事者の愚痴)」などなど書きたい思いはあります。思いと実行は別ですが、またお会い出来たら楽しいですね。


入院中に「聴力障害」という冊子の原稿依頼がありました。手術後まだぼーっとした病室の電話に「いいですよ~」と即答し、なんとか書き上げた文章が「2021年度Vol.76夏号 聴覚障害」に「大学3年生になった息子へ」というタイトルで掲載されました。

長男は大学3年生の夏を迎えます。不安を抱えながら大学進学を選択し、無事希望の大学に入学できました。今は自分の自立した生活を達成できるよう就職活動に向き合っています。長男とともに過ごした家族の20年間を振り返り書くことが、これからを考えるきっかけとなったことに感謝いたします。

オストメイトといっしょ!秘密結社アッと♥ストーマ
鈴木 眞弓

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