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最近読んだ小説で、ゴッホについての逸話を知った。

それは、ゴッホがある画家の絵を観たときに「1週間この絵を観続けることができるなら、10年寿命が縮んでも惜しくない」と言ったこと。

「この絵が好きでずっと観続けていたい」という意味だと思ったが、「絵を理解するには長い時間がかかる」という意味でもあるらしい。あのゴッホが言うのだから、おそらくそうなのだろう。絵を理解するに多くの時間が必要らしい。

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ここ最近「自分はやっぱり恵まれているな」とよく思う。

僕には大好きな人達がいるのだが、その人達はいつだって刺激をくれる。

「もっと頑張ろう」とか「あぁ、自分はこういうところが足りないんだ」とやる気にさせてくれる。とてもモチベーションになる。
身を置く環境が大事というのはどうやら本当らしい。

僕の周りは素敵な人達ばかりである。
ここでは、そんな周りへの感謝を綴ろうと思う。

好きなところなんてたーくさんある。
信念や考え方、話を最後まで聞いてくれるところ。
僕の悪い点を分かってくれているところもだし、それをちゃんと言ってくれるところも。

でもやはり一番は「自分の世界観」を見せてくれるところだ。


人に対する最も失礼な行為は何か。

突然だが、この問いがあるとすれば、僕は「他人の世界に土足で踏み込むこと」であると思う。

人に自分だけの世界があるとして、それを関係の深くない者が勝手に覗き込んで、その人を知った気になるのは失礼極まりない。

あのゴッホでさえ「絵」を理解するのに1週間かけるのだ。では、「人」のことを理解するには、どれくらいの時間が必要なのだろう。

こう考えたときに僕は、人のことを軽々しく知ろうとするのは失礼に値するのではないか、と思った。


これは自分への戒めでもある。というのも、他人の世界に軽々しく踏み込んでしまった心当たりがあるから。

おそらく僕は、馴れ馴れしい。
それでうまくいったこともあるけれど、うまくいったと感じるのは相手の優しさのおかげであり、その優しさに甘えていただけだ。

僕は「自分の中の核」となる世界観を大事にしたい。そして、「他人の世界に容易く踏み込んではいけない」と強く思う。

他人の世界を知ることは、その人を深くまで知ることであるから。

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ずらずらと書いたが、僕が伝えたいのは「大好きな人達よ、‘‘自分’’を見せてくれてありがとう」である。

僕の大好きな人達は「自分だけの世界観」を僕に覗かせてくれる。
自分の最も大事にしたいであろう「核」となる部分を見せてくれる。

「あなたならいいよ」と言ってくれているような優しさが、本当に嬉しいし心からありがとうと思う。

ありがとうみんな。ありがとう大好きな人たち。

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