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噺の中の愛宕山

著者 清川鉉徳

 いわゆる古典落語の演目の中には、もともとが関西(上方)の噺を関東(東京)に移したというものが結構沢山あります。

 この季節でいえば、「うどんや」(上方だと「風邪うどん」)なんかがそうですが、「愛宕山」という演題もまさにこれに当たります。

 人間国宝故桂米朝師匠によりますと、「東京でも故桂文楽師の名演がございましたが、これは三代目円馬師が東京へ移したもので、元来は上方噺です」(「桂米朝コレクション1四季折々」)とのこと。

 ただこの噺が面白いのは、設定が西から東に移るにもかかわらず、主要な舞台が「愛宕山」と変わらないことです。

 もちろん、これは全く別の山の事を指していて、いってみれば「同名異山」なのですね。

 上方噺の場合は、京都の「愛宕山」で、これを東京では、港区の「愛宕山」にしています。

京都愛宕山の愛宕神社
東京愛宕山の愛宕神社

 お話しとしては、若干落ちぶれ気味の幇間(太鼓持ち、男芸者)がある旦那の野掛け(まあ今で言うハイキングです)につきあわされ、愛宕山に登ることになります。一行がようやく山頂(上方版では中腹辺り)に辿り着いたところで、旦那が、かわれけ投げ(盃や瓦を的に向かって投げる遊び)を始めますが、かわらけが尽きた後に、なんと持参した小判を投げようとする。それを見た幇間が・・・、という最後のあたりは何とも滑稽な展開になります。

 やや種明かしをしますと、投げられた小判を拾いに幇間は傘をさして(!)山頂から飛び降り、なんと着地に成功するのですが、さて今度はどうやって谷底から戻ってくればいいのか・・・。この後のオチもまた奇想天外なものになります。

 大嘘に嘘を重ねた滑稽噺なので、単純に楽しんでもらって全くかまわないのですが、あえて無粋な事をいうと、京都の愛宕山の標高は900m超で、飛び降りて戻ってくるにはさすがに高すぎる。一方東京の愛宕山は標高26mで現実的ではあっても、今度は幇間を始めとする野掛け一行が苦労しながら登ってくる前半部分の面白みが半減してしまう。

 ここは軽井沢の愛宕山が舞台として最も適当ではないかと思うのは贔屓の引き倒しでしょうか。

軽井沢愛宕山の愛宕神社

 ただひとつ残念なのは、この噺の時代設定である明治初期、京都では祇園が、東京では吉原がまだ賑わいをみせており、旦那衆の遊びもまだ派手だったことでしょう。

 一方、軽井沢はといえば、明治に入ると宿屋町としての隆盛が翳りを見せ始め、一旦は寂しい場所となりつつありました。

 その意味では、現在の軽井沢の方が噺の内容にはフィットするかも知れません。どなたか山頂から小判を撒くような剛毅な旦那になってみませんか?(笑)


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