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「ふゆから、くるる。」プレイ後の雑な感想※ネタバレ注意

はじめに

はい。こんにゃんうんにゃんにゃんにゃん。私です。今回はシルキーズプラス様より9月24日発売された「ふゆから、くるる。」をプレイした感想を雑~~~~~に書いていきます。本当に書きたいことを書くだけなので読みづらいと思いますが何卒。あとバリバリにネタバレするのでプレイしてない方は絶対読まないでください。絶対に。ネタバレを知ると7割くらい作品の面白さが損なわれるような気がします。まぁSFミステリーだしそりゃそうか。ではいきましょう。








ここからネタバレ





クリアしての感想

とりあえず読み終えての感想なんですが一言では正直言い表せないです。強いて言うなら「良かった」です。
SFミステリーと謳っている今作ですが、ちゃんとSFミステリーをしてましたね。死んでも意識と身体が引き継がれ、また生活することが出来る「カーネーションシステム」、不死の少女の中に起きた「密室殺人事件」、そして作品の冒頭からの謎であった「針」とはなんなのか。物語後半でどんどん謎が明かされていく場面は思わず息を呑んでしまいました。特別「泣ける」とか「死ぬほどショックを受ける」といった要素はあまりないのですが、間違いなく心に残る作品ではあったし強いメッセージ性を感じました。これは、ただのSFミステリーではないと結構序盤から感じてましたね。


補陀落渡海

突然なんだ?と思われるかもしれないですが今作の大きなテーマというかモチーフの一つでもあります。「補陀落渡海(ふだらくとかい」とはなんぞやと思われる方も多いと思いますが簡潔に説明すると「捨身行」です。
日本の中世に行われていた奇習で、仏教では西方に阿弥陀浄土があると同様、南方にも浄土があるとされ南方の浄土を「補陀落」と呼んでいました。ちなみに補陀落は観音菩薩がいるとされる山のことを言います。
浄土信仰が民間でも盛んとなった平安後期から、民衆を浄土へ先導するためとして渡海が多く行われるようになりました。この渡海は概ね黒潮が洗う本州の南岸地域で行われていおり、この流れに漂流するとかなりの確率でそのまま日本列島の東側の太平洋に流されていき、戻ってくることはないです。「捨身行」と言ったのはそういうことです。要は自ら命を投げうる行為だったわけです。
じゃあ何故そういうことをしたのか?についてですが先ほども言ったように「南方に補陀落という浄土がある」と人は信じていました。普通そんなもんないだろ!と思うかもしれないですが信仰の力とは凄いものです。補陀落という浄土を目指し、全ての苦しみや悲しみから解放されるために船で補陀落を目指した。本当にたどり着けるなんて思ってなかったかもしれないですが、いつの時代も苦しみや悲しみから解放されるために自らの命を投げうる行為をする人はいます。「苦しみの無い場所に辿り着けるかもしれない」という誘いに少しでも可能性を感じた人たちが、行くしかない、となってこの奇習が生まれたのかもしれません。

ところで「これふゆくるの感想でしょ?なんで仏教の話してるの?」とお思いかもしれません。でもふゆくるをプレイした方なら流石に気づいてるはずです。船、補陀落といった単語からも想像できるように、ふゆくるの世界の登場人物は「補陀落渡海」を行っていました。
物語終盤で主人公たちの本当の姿は「針の形をしている、様々な情報が詰まった物」ということが明かされて、それは「船」と呼ばれていました。その船が人間の手によって作られ、地球から宇宙へ放たれて「人間が住める可能性のある星を探す旅に出した」というのがふゆくるの世界の真実でした。
先ほどの補陀落渡海の話を思い出してみてください。「苦しみの無い場所に辿り着けるかもしれないという期待だけであるかどうかも分からない場所に旅に出る」「あるかどうかも分からない、人間が住める可能性のある星を探す旅に出す」。似てますよね。そして補陀落渡海はやり方は色々あったそうですが、お坊さんを乗せた船と、その船を運ぶ用の船を縄で縛りつけて、黒潮がある海域で縄を解き、お坊さんを乗せた船だけを黒潮に流して死なせるというやり方もあったそうな。そしてふゆくるにもこれは当てはまります。補陀落山という山が実際ふゆくるにも出てきて、最終的に針たちはその補陀落山と呼ばれていた星を目指していたことが判明します。ここまで話すとどう考えても補陀落渡海をモチーフにしてるって分かりますよね。
まさか仏教要素が出てくるとは・・・と思いましたが、いきなり補陀落山という不思議な名前の山が出てきたり、実際仏教がなんちゃらみたいな会話も作中にあった気がするのでなんとなく察した方はいたのかな。私は詳しくないので怪しいな程度でしたが。
ちなみにこの補陀落渡海が本編に関わっているという話は公式サイトの「よくわかるふゆくる」にて記述されております。クリアした後に読んでみると「なるほどね」となるはずです。私はなりました。


「島」について

真っ先に「これはなんかあるだろ!」と思っていた要素の一つ、島です。
私は発売前に体験版をプレイしていたのですが、冒頭のシーンの「空丘島あさひ」についてはあんまり気づいていませんでした。特に前情報もあまり見ずにプレイしていたので「名前が違う」ということにすぐ気づけなかったのです。
そして製品版を遊んだ時、冒頭のシーンで滅茶苦茶違和感を感じました。「えっ、空丘島????」ってなりましたね。スペシャリテ版に付いてきた設定資料の中のキャラ名、公式サイトのキャラ紹介、音量設定の画面のキャラ名全てをその場で確認しました。どこを見ても「空丘夕陽」でした。最初は「誤字かな?」と思いましたがボイスの方でもしっかり「空丘島」と発音していたことからこれは違うな。何か意味がある、と思ってました。
最初思っていたのは「島がついてる人は殺人をした人なんじゃないか」という考察でした。殺人鬼の宇賀島ユカリの苗字に島が付いているのと、先代の殺人鬼「蔦凪島ナンカ」の名前を聞いた時、そう思いました。ただそうすると「月角島ヴィカはどうなの?殺人事件の被害者じゃん」というのと、作中夕陽が言ってた「ノックスの十戒」というロナルド・ノックスが発表した推理小説を書くルールが矛盾を孕んでいました。
ノックスの十戒というのは

1.犯人は、物語の当初に登場していなければならない
2.探偵方法に、超自然能力を用いてはならない
3.犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)
4.未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
5.中国人を登場させてはならない
6.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
7.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
8.探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
9.サイドキック(探偵の助手となる人物)は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない
10.双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない

というものです。
余談ですが、5の「中国人を登場させてはならない」というルールに関してノックスは、

なぜこれがルールのーつであるのか、筆者自身にも明確な説明ができかねるが、われわれ西欧人のあいだには、“中国人は頭脳が優秀でありながら、モラルの点で劣る者が多い”との偏見が根強い。したがって――筆者は観察した事実を指摘するだけだが――“チン・ルーの切れ長の目”といった描写に出合ったら、即座にページを閉じるのが賢明な処置であろう。それは出来のよい作品ではないのである

と話しています。
話を戻しますが、このノックスの十戒がふゆくるにも適用されている場合、「探偵自身が犯人であってはいけない」というルールがあるため、島が付いている空丘島が犯人であるということは否定されます。これで島が付く人間が殺人事件の犯人説は自分の中では薄れていったわけですが、読み終えてみると実質犯人みたいなものでしたね。
しかしこう見返してみると、結構ノックスの十戒に当てはまる要素がふゆくるにもあるような気がしますね。作中にこのノックスの十戒が出てくるだけあって、ある程度は遵守して作られているのでしょうか。


男について

「男」という生き物はふゆくるの作中には存在せず、「霜雪しほんが行った研究によって、空丘夕陽が男になった」という形で登場していました。夕陽が序盤から色んな人に「暴力性を感じる」「なんか違う空気、匂いを感じる」「良く分からないけど惹きつけられる」など根拠の無いイメージを持たれてましたが、それは夕陽がみんなと違う異性という生き物だったというのが明らかになります。
月角島は男が嫌いで女子だけの世界を望んでいましたが、私は読んでいて凄く不思議でした。異性に対して恐怖心を抱きすぎでは?と。しかし読み進めていくうちにその気持ちは変わっていきました。この世界の人間にとって、男とは外の世界の知らない生き物。ここには存在しない、いわば空想上の生き物になるわけです。自分たちに当てはめてみるとわかりやすいと思うのですが、いきなり見たこともない知らない生き物が現れて「その生き物と生殖行為しないと人類が滅ぶ」なんて言われても、無理ですよね。得体の知れないものとそういった行為が出来るほど根性と覚悟は無いです。それと同じなんです。私たちの世界には男女が半々くらいで存在しているのが常識ですが、ふゆくるの世界にはそんな常識はありません。男は未確認生物なのです。そんな生物が暴力性のある一面を見せてきたら誰だって拒絶しますよね。「自分たちの常識を他人に当てはめてはいけない」のです。
結局何が言いたいのかっていうと、私たちが生きている世界は存在していること自体が奇跡なんだなということです。資源や住む環境が明らかに人間に適しすぎている「地球」という惑星。よほどのことが無い限り絶滅する可能性の低いレベルで男女が偏っていない人間という生物。宇宙の隕石たちを吸収する惑星が周りにあるかと思えば、暑すぎず寒すぎない、太陽との距離が最も人間にちょうど良い地球。あまりにも偶然が過ぎますよね。
作中でも言われてましたがこの世界は人間が生きていくのにちょうど良すぎるのです。そりゃ人間原理なんて理論が生まれてもしょうがないと思います。


最後に

まだまだ書きたいことがあるような気がしますが、とりあえずこの辺にしときます。
最後なので好き勝手思ったことを書きますが、個人的に感情が揺さぶられたシーンは「蔦凪島の最期」と「終盤の夕陽」と「祈りのチェス」と「ラストの雲母のセリフ」でしたね。
「蔦凪島の最期」については、月角島がこの世界の真実を語っているとき、私も夕陽と同じく「何言ってるんだ?」とイラっとした感情を持っていたと思います。しかしあの回想シーン見せられると・・・。ね。あの瞬間以外にも何百、何千の生徒の最期を見てきたと思うと月角島を責めることは出来ないです。みんな必死に生きていたんです。
「終盤の夕陽」については、主に声優の演技力です。月野きいろさんの演技力には度肝を抜かれました。きっと終盤のあの鬼気迫る演技は夕陽の中にある「男」が出ていたのではないでしょうか。可愛らしいく笑う夕陽があんな声のトーンで喋ったらギャップで死んじゃう。私は死にました。夕陽だけじゃなく、他のキャラクターたちの演技力も凄まじかったですね。えっちシーンも他のゲームを圧倒するほど衝撃的でした(個人的には)。本当にエロゲですか?って感じる箇所もあるくらい、声優さんは素晴らしかったです。
「祈りのチェス」については、もうこのシーン見てる時心の中で「うん・・・うん・・・」と良く分からない相槌をうちながら見ていました。自分たちがいつかは滅んでしまう。終わってしまうことが分かっているのに、幸せを祈りながら、既にゲームとして終わってしまったチェスを打ち続ける。・・・エモすぎない????
「どうか幸せでありますように。」とこれから滅んでいく自分たちに、そして未来へ祈る姿は、本当に美しく、綺麗でした。この作品を通して伝えたかったメッセージはこのシーンに詰まってるんじゃないかと思うほどに、脳に焼きついている素晴らしいシーンでした。
「ラストの雲母のセリフ」ですが、これはゲームを始めたときに誰か知らないキャラがいきなりマイクテストを始める、というセリフですね。純粋に「あぁ、ここに繋がるんだ・・・」と今までの物語がぶわっと脳裏をよぎって、思わずウルっとしてしまいました。
その前の宇賀島との会話もいいですよね。意識が変わってしまってただのカーネーションとは違う、別人になったみんなですがどこかで先代の意識の記憶を引き継いでいるみたいで、序盤の雲母舞花とのやり取りの伏線を回収していました。思い返すと、物凄く広大で、壮大なお話でしたね。

さて言いたいことも少しは言えたので今回はこれで終わりにしておきます。色々言いましたがふゆくるは大好きな作品です。ゲーム本編に留まらずに色んなコンテンツで物語を補完していってほしいなって気持ちが強いです。というか純粋にみんながワイワイやってるだけで良いです。みんなが好きなのです。シルプラの方、渡辺ファッキン先生、お願いします。(見てない)

ではではダラダラ言っててもキリがないので終わります。
またどこかでお会いしましょう。


どうか、幸せでありますように。

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