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エッセイの話

Aちゃんお返事ありがとう
すごいわかる〜って内容ばかりだった
文章を書くのは私も大好き!
だから機会を与えてくれてありがたや〜という気持ちです

文章を書く、と言えば
最近地元の公立大学に通って人文学系のクラスをとっており、映画を見てエッセイを書くっていう課題が出る
もちろん英語で書かなきゃいけないからとても大変なんだけれど
初めて提出したエッセイが先生の添削を受けて帰ってきた時に、すごい気持ちが上がって、その後なぜか少し泣いてしまったことがあった
おそらく、
「第二言語で作った文章がメイクセンスし(意味を成し伝わっ)ている!!やべ〜!!」
みたいな感覚と安堵が湧き上がったからだと思う
話だけ聞くとキモいと思うんだけど、我慢して読み進めてくれ。。。

こっちにきて1年ちょい経つが、自分が話したり書いたりする文章が、本当に相手に伝わってるのかが、ずっと確信が持てない感覚があってそれがとても辛かったわけ
私なりに作った文章が、自分では100だと思っていても、文法とか語彙の誤用により実は70ぐらいの完成度、さらに相手側の解釈と私の意図が違ったりしたら、最終的には50とかで伝わってるんじゃないか?いや、もっと低い可能性すらある、、、みたいな疑念?
自分とそこで発生するコミュニケーションに対する不信がずっと晴れない感覚で、それはものすごく怖いことだった
Aちゃんもお分かりの通り、私も言葉ドリブンの人間だから、その領域で感じる自分の力不足は、想像以上にインパクトがデカかったってのもある

けど、たまたまエッセイっていう形で作った文章が、ネイティブにちゃんと伝わったというのが、先生のコメントや点数で確認することができて、なんかホッとしたんだと思う
大げさに聞こえるけど、本当にホッとしたって感じ

元々私は、自分の脳内のアイディアを、ローデータのまま(?)伝えたい欲望があり、その術として言葉を鍛錬してきたみたいな部分があるんだが
現状は、
脳内ローデータ(多分日本語ベース※まぁまぁ洗練されている)
⇅ ⇦変換係数高すぎ
言葉(英語ベース※まぁまぁうんち)
みたいな感じになっていて、この2つの間に摩擦が生じれば生じるほど、私は奇声を発したり、でんぐり返ししたりとかしなきゃいけなくなる。あとは毎日くっそ眠い。

そんな毎日の中で、一縷の望みと言えるこのエッセイのエピソード、この類の喜びを大事に集めたり手繰り寄せて、もう少し鍛錬したら、言葉の向こう側に行けそうな気配がしている
それだけが最近の楽しみかもしれないな

だいぶ意味不明な文章ですが、ここでは敢えて、必要以上の補足を入れずやってみようと思う
という最後の補足でした

Z


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