少年と財布
〇「ふとした少年の一言」
10年以上前、春の土曜日のエピソードだ。
快晴の中で爽やかな気候が広がり、人々が外に溢れている。
そんな私も外出し、午前中はジムでの運動と水泳を楽しんだ後、午後は買い物に出かけた。
用を足そうと、駅に近い雑居ビル2階のトイレへ急いで入り、用を済ませてドアから出てくると、突然知らない少年の口からこのような一言が飛び出してきた。
「僕の財布、盗んでませんよね?」
〇「僕の決断と行動」
本当に突然だった。
初めて会う少年に、いきなり「財布を盗んでいませんよね」と言われ、まるで泥棒扱いされたみたいだった。驚きのあまり、私は頭が真っ白になり、何も言えないままだった。少しずつ冷静さが戻ってきたので、少年にこう答えた。
「いや財布は盗んでいないよ。それよりこんなことを言ってどうしたの?」
少年は答える。
「僕の財布がなくなったんです。今までズボンの後ポケットにあったのに」。
”財布がなくなったのか、彼は相当困っているよな。これから帰りをどうするのだろう?何とかしかきゃな。よしできる範囲で少年を助けよう”
少年に話す。
「財布をなくしたのかな、これから大変になるよね。よしできるところまでになるけど、財布を一緒に探してあげよう」。
「ありがとうございます」。
「それで、財布をなくす前はどうしていたの?」
「その前はインターネットカフェにいました」。
「それじゃ、もう一度インターネットカフェに行ってみたらどうかな?そこにあるかもしれないよ」。
「わかりました、行ってみます」。
もう一度インターネットカフェに行く前に、大丈夫だよと目を配らせた。
ここで見つかって欲しいし、もし見つからなくてもビルやこの近くを探してみて、それでもダメだったら駅前の交番に遺失物届を出せばいい。
少年が行っている間、そんなことを考えていた。
少年が戻ってきた。顔はホッとした表情で、手には見つかった財布を握っていた
どうやらテーブルに財布を置きっぱなしで店を出てしまったことに気付かず、財布をズボンの後ポケットにしまったと思い込んでいたがそれがなく、軽いパニック状態になっていたのかもしれない。そして最初の言葉を言ってきたのだったら、納得は行く。
「見つけてくれてありがとうございます」と少年は言う。そして少し申し訳なさそうな表情で言葉を続ける。
「本当に迷惑をかけてしまいました、ごめんなさい。お詫びに近くのお店でお礼をしたいのですが。よろしいでしょうか?」
いきなり他人に対し失礼なことを言い、そして自分がなくした財布を一緒になって探してくれたのだから、何かお礼はしたいという思いがあったのだろう。
でも自分は少年に対し、こう返事した。
「いやお礼は大丈夫だよ。まず君の財布が見つかったことが僕にとっても嬉しいよ。もしこのまま見つからなかったらもっと大変なことになったかもしれない。交番に遺失物届をしなくてはいけなかったかもしれないね。これからは財布を持ち歩くときは、気をつけよう」。
「はい、ありがとうございます、気をつけます」。
お礼は本当にいらなかった、少年の財布が見つかったことが一番嬉しいのだから、他には何もいらなかった。最初に合ったときの緊張感はほどけ、二人とも笑顔になった。
そしてビルの階段を降り、外に出たところで別れた。
〇「この出来事から学べたこと」
この出来事の後、いろいろ考えることがあった。
”自分が逆の立場だったら?”
”少年が最初に言った言葉に対し、違う対応をしたら?”
まず”自分が逆の立場だったら?”
間違いなく、自分もパニックに陥いるだろうし、少年が言った「もしかして僕の財布、盗んでませんよね」と言っても何ら不思議でないだろう。
そんな中でこの言葉を他人に言ったら、激高されたっておかしくない。
「おいおい、何で俺がお前の財布を盗んだと決めつけるんだよ!冗談じゃねぇぜ!俺は盗んでねえよ!」と言われ、「何だか気味悪いなぁ、これで違うとこから出てきやがったら承知しねぇからなぁ!警察呼ぶぞコラ!」とまで言われるだろう。
とにかく、相手に罵倒されることは間違いない。
そして別の場所から出て来た瞬間「ほらあったじゃねぇか、どこ見てるんだお前は!俺を勝手に犯人扱いするんじゃねぇよ」と言われ、その後はどうなってしまうのか、想像するのが恐ろしくなる。
次に”少年が最初に言った言葉に対し、違う対応をしていたら?”
少年が財布を無くして困っている最中、先程の激高した態度をとったなら少年はまた違う対応をしただろう。少年は委縮して「すみませんでした」と泣いてしまうかもしれないし、または少年も激高してしまい「うるせぇ!てめぇが目に入ったからそうかもしれないと思ったんだよ」と言われ口論に発展し、収拾がつかなくなったかもしれない。
その他いろいろなことが考えられるが、財布をなくしたどころの騒ぎではないだろう。
〇「現在でもいろいろ考えさせられる」
あれから10年以上が経過し、再びその雑居ビルに行ってみた。
雑居ビルにあったインターネットカフェはもうすでになく、カラオケボックスに姿を変えていた。ただビルの廊下は当時の雰囲気を残している。トイレも変わっていなかった。
立ち止まると当時のことを思い出す。少年がいきなり発した言葉、それに対して自分の取った行動。
なぜこうなったのか、正直よく分かっていないのが現状だ。
それでも少年の財布が見つかったのが、今でも嬉しいと感じている。少年も大人になり、このことをもう忘れているかもしれないが、元気に過ごしていることを願っている。
教科書や授業以上の学習をしたと思う。「ありがとう」と言いたい。
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