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#5 ゲイバーでの遭遇

彩世は新宿歌舞伎町にあるホストクラブのクラブ「哀」に居た。お客は帰り、店内はホストとスタッフのみが残っていた。彩世はボトルとグラスを手に持ち、店内のカウンターに置いた。その時、緑色のメッシュが入った黒髪の男が彩世に近づいてきた。男はクラブ「哀」のナンバー4の夢幻だった。
「彩世さん、俺、今日、アフターなんですよ。落としたい女の子がいるんで、アシストしてもらえませんか?」と夢幻が言った。
「分かった。後から向かうから、お店の場所をメールしといて」
「彩世さん、そう言って、ばっくれないでくださいよ」
「俺、お前との約束、破ったことあったっけ?」
「ないですけど、他のメンバーからは彩世さんが来ないって聞いたことがあったので」
「ここの片づけが終わったら、すぐに行くから」
「そんなの、下っ端の人間にやらせればいいじゃないですか」
「…お前、そんなホストの下で働きたいと思うか?」
「思いません。でも、卓の片づけは誰でもできる仕事じゃないですか」
「確かにお前の言う通りだ。今日は、スタッフの数が少ないだろ?だから、手伝っている」
「分かりました。じゃあ先に行ってますね」
「ああ」
彩世は自分が最後に接客したテーブルに戻り、灰皿を片付けていると、スタッフの圭がやって来た。
「彩世さん、ここは自分が片付けておくので、大丈夫ですよ。帰ってください」
「悪いな。じゃあ、後は任せるわ」と言い、彩世はスタッフルームに入り、今日、来てくれたお客にメールを送り終えた後、メールの受信ボックスから夢幻のメールを開いて場所を確認する。場所は新宿2丁目のゲイバーだった。彩世は店を出て、新宿2丁目のゲイバーへ向かった。
ゲイバーに入ると、店の奥に夢幻と女が二人で居るのが見えた。
カウンターに居たママが彩世に気づき、声をかける。
「彩ちゃ~ん、久しぶりじゃない?ムーちゃんももう来てるわよ」
「ありがと。ウイスキーの水割りをくれる?」
彩世はカウンター越しのママを見た時にカウンターに座っている一人の男が目に入った。男と目が合い、男は気まずそうに彩世から目を逸らした。
「…意外だな。あんたがこんなところに居るなんて」と彩世は男に声をかけた。
「あらぁ、二人は知り合いなのぉ~?」とママが会話に入ってくる。
「ただの知り合いです」と男がママに向かって、にっこりと微笑んだ。
「さとちゃんのスマイル、ママの心にドストライクなんだけどぉ~。彩ちゃんはウイスキーの水割りね」
ママはお酒を作るためにお店の奥に入っていった。彩世は、諭の隣の空いている席に腰かけた。
「…向こうに連れがいるんだろう。早く行ったらどうだ?」
「あんたは一人で来たのか?」
「…ああ」
諭は彩世の方を見ずに答えた。
「誰かを待っているのか?それとも、探しにきたのか?」
諭は、彩世の質問の答えず、手元にあるモヒートを飲んでいる。
「あんたがこないだ、言っていた『もっと黒い』って、このことか?」と彩世は聞いた。
「…俺に構わずに、向こうに行けよ」
彩世は諭の腕を掴んだ。二人の間で視線が絡み合う。傍目から見れば、二人が恋人同士と勘違いする人もいそうだった。
「まさか、このお店にお前が来るとは思わなかったな」と諭が言った。
「俺もあんたが居るとは思わなかった。俺は…てっきり」と彩世はそこで言葉を切り、「あんたの恋愛対象は男なのか?」と聞いた。
「そうだ。…隠していた訳じゃない」
「剛や知多ちゃんは、知っているのか?」
「ああ」
「そうか。俺だけ知らなかったんだな」
「そうだな」
「こないだ、俺を誘っていたけど、あれは、俺のことを恋愛対象として見ていたのか?」
諭はモヒートを口に運び、少し飲んだ。
「…どうかな。考える機会がなかった」と言った。
彩世が諭に話しかけようとした時、店の奥から夢幻が彩世に声をかけた。
「彩世さ~ん。何やってるんですか?早く来てくださいよ~」
「分かった。そっちに行くから、少し待ってろ」と彩世は言う。
諭はポケットから財布を出してカウンターに一万円札を置いた。
「ママ。帰るわ。お金はここに置いておくから」と言い、席を立って店の外に出ていった。
彩世は諭の後を追って、店の外に出た。お店を出ると、諭が歩いていくのが見えた。彩世は走って諭の腕をつかんだ。
諭は彩世の方を振り向き、彩世の腕を振りほどこうとする。
「何処に行くんだ?相手を探しにきていたんじゃないのか?」と彩世は聞いた。
「そうだ」
「あんたなら探さずとも、寄ってくる相手がたくさんいるだろ?」
「……女はね。それより、連れが待っているんだろ?早く行った方がいいんじゃないのか?それとも…」
諭は彩世に近づいた。
「お前が俺の相手をしてくれるのか?」
諭の真剣な眼差しを受け止め、彩世は精一杯に声を出そうとする。
「俺は…」
その時、彩世の後ろから足音と共に声がかけられる。
「彩世さ~ん」
彩世が振り向くと、夢幻が立っていた。
「急に店から出ていくから、びっくりしましたよ」
「ああ…悪い。すぐ戻る」
そう言って、彩世は諭から腕を離すと、諭は踵を返し、新宿御苑方面へと向かって歩いていく。彩世は後ろ髪を引かれる思いで諭の後ろ姿を見送った。先ほどまで掴んでいた諭の腕の余韻を感じつつ、彩世は、夢幻と一緒にお店に戻った。


 彩世は朝5時に自宅のあるマンションに着いた。クラブ「哀」ではお酒は後輩に飲ませることが多く、他のホストより飲まないもののゲイバーに行くと、女の子に煽られることもあり、彩世の足取りは既に限界を迎えていた。エレベータで17階のボタンを押して、その場に座り込んだ。エレベータのドアが開くと、体を起こして、家の前まで向かい、玄関のドアを開けた。ベッドで眠りたかったが、玄関で靴を脱ぐと、そのまま床に倒れこんだ。彩世は目を閉じ、今日、諭と会った時のことを思い出す。隠しているつもりはないと言っていたが、ゲイバーで彩世と出くわした諭は少し驚いているように見えた。諭の恋愛対象が女性でなく男性だったとしても、自分を好きになるという訳ではない。何故、こんなに気になるのか、自分でも分からなかった。ただ、他の男と諭が一緒に過ごしているところを想像すると、彩世の心はもやもやした。こないだ、ホテルで聴いた声や反応を思い出し、彩世の体は熱を持ち始める。他の男に抱かれるくらいなら自分が抱きたいと、彩世は、諭を抱きたい衝動にかられた。コートのポケットから携帯電話を取り出し、電話帳で諭の名前を表示した。彩世は、画面をずっと眺めていた。この状態で電話して、何を話すつもりなのかと自問自答する。『あの男が手に入らないから余計に気になるだけで、今日、偶然会ったから、こんな気持ちになっているんだ』と思いながら、彩世は眠りに落ちた。


 彩世は玄関の床から身を起こした。左手にある腕時計を見ると、午後2時を過ぎていた。頭を押さえながら、キッチンに向かい、近くのテーブルに置いてあったグラスを手に取って、ウォーターサーバの水をグラスに注いで、一気に飲み干した。彩世は冷蔵庫のポケットからウコンの瓶を取り出して、さらに飲んだ。彩世は、おぼつかない足取りでバスルームに向かい、服を脱いで、熱いシャワーを浴びた。シャワーを頭から被り続けると、次第に目が覚めてくる。バスルームから出て白のバスローブを羽織り、携帯を開けメールを確認する。受信メールは20件程来ており、ほとんどはお店に来る女の子たちからだった。彩世は一つずつメールを確認して、返信していく。10件程返した時に、諭からの受信メールがあることに気付いた。彩世は諭からのメールを開けた。
『昨日の夜はすまなかった。今週の金曜か日曜の夜に時間をもらえないか?その時にちゃんと話をする。』
彩世は携帯のカレンダーを開き、自分のシフトを確認した。金曜も日曜も予定が入っていた。彩世は諭に『金曜、日曜ともに仕事が入ってしまっているので、お店が終わる1時以降なら会えるんだけど、どうかな?』とメールを返信した。15分後、諭から『金曜の夜であれば、大丈夫。』と返事があった。
彩世は『わかった。じゃあ、お店が終わったら、電話する。』と返信をした。諭からは『了解。』と連絡があった。彩世は今週の金曜日が早く来ないかと待ち遠しく感じた。

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