考えすぎは分析か、拒否か。

 考えても仕方がないことを考えすぎて、頭がごちゃごちゃする。そして、生活が疎かになった。

 食べ物も飲み物も身体を通っていかない。身体が拒否しているのだろうか。

 気がついた時にはもう、同じことを考えていた。何度も何度も、同じことを考える。朝起きて、最初に頭をよぎること。トイレでふと思うこと。お風呂で温まり、ぼーっとしている時に出てくる記憶。猫のトイレの砂を掃除している時さえも。すべて同じ。

 説明するのが面倒で、何を考えているのかは言わないが、「ストレスが溜まっている」ということにして、色々な人に話を聞いてもらった。涙を浮かべることもあった。でも、それはこぼれなかった。

 「涙活」というものがあると、テレビで観て知った。泣いたら、スッキリするかもしれない。

 YouTubeで、玉置浩二さんの田園を聴いた。同小のやつらなら、あーなるほどねと言ってくれるかもしれない。きっと、みんな走りたくなる。



 田園を聴いて、溢れた。心が、濡れたのかもしれない。強張っていたものが、解けたのか。頭の容量に空きができた。とても素晴らしいデトックスである。



 自分の中では「らしくない」と思っていることを書いてもいいかな。



 朝起きて、自分が誰なのか、何なのか、ここがどこなのかが分からなくなる、という1秒にも満たない記憶喪失の経験、あなたはある?

 私は、つい最近、2度目の経験をしたよ。でもね、1度目よりちょい長かった。あと、下着の中に手を入れていたよ。

 やっぱり、私(というか私の手)には、そこが落ち着く場所なのかと思ったのだよ。

 はあ、何書いてんだ。


 ばっかだなぁ、自分。


 まあ、改めて思ったというのは良かったけど、夢見心地でしてたわけじゃないし。ただ、違和感があって、勝手に手が動いただけで……。

 つまらん。どうせなら、自分の本能が勝手に手を動かして、勝手に気持ち良くさせてくれればいいのに。あんまりそういうことないよね。


 でも、こういうことがあったから、変になる前の自分に近づけた気がした。

 夜に気持ちいいことしないなんて、らしくないのである。楽しめないなんて、らしくない。


 なんで、これに書き始めたのか分かんなくなったけど、スッキリしたならいいんでない?

 自分が楽しめればって、そう考えられたら、今を生きることができる、そう思った。

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