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本厄に白血病になった話④ 〜副作用〜

2020年4月6日より、はじめての抗がん剤投与が始まった。

私の中で、抗がん剤は酷い嘔吐感に悩まされるイメージだったが、実際はほとんどなかった。吐き気止めの点滴を先にしていたおかげかもしれない。少しの身体の怠さと1、2個口内炎ができた程度だった。

数日後に起き始めた味覚変化が意外に辛く、普通の水やお茶が飲めなくなった。水分はミルクティーで補給。ご飯も喉を通らず、友人に買ってきてもらったお湯で作るにゅうめんを少しずつ食べていた。

そして、人生はじめての酷い便秘になった。

もともと下痢はしやすい体質で、便秘したことはない。それが、4日もでなかった。硬い便が入り口を塞いでいて、下剤を使うからお腹はゴロゴロ、真夜中に2時間もトイレに篭って唸ることになった。

抗がん剤と聞いて、次に思い浮かべるのは「脱毛」。医者からも説明があったし、ドラマでもみんな坊主になっていたし、覚悟はしていたつもり。

これまでずっと、癖っ毛を縮毛矯正して真っ直ぐにし、染めたこともない真っ黒なロングヘアが自分のトレンドマークだった。手入れも念入りにしていて、私の身体の部位で1番の自慢だった。

それでも命には変えられない、また生えてくるし、仕方ない。覚悟を決めた、はずだった。

本来は出張床屋が来てくれて、長い髪は絡まりやすいからショートにしておくらしい。電話をしてみたけれど、コロナ禍で病室に来られなかった。

結局、胸まで伸びた髪のまま、脱毛期を迎えることとなる。大体、抗がん剤投与後、3、4週間経ったあたりから始まる。

朝起きると、枕元に毛が落ちてる。徐々にその量は増えていったけど、映画やドラマで見るような、ごっそり束になっていることはなかった。

こんなもんなのかな??と思っていた矢先、その日は突然やってきた。

いつも通り、午前中にシャワーを浴びて髪を洗っていたら、明らかに自分の髪の手触りと違った。死んだ髪は指が通らなくなり、生きた髪に絡まり大きな塊になった。

結局洗えないまま、シャワー室を出て、髪を乾かすことにした(当時の病院はトイレを出たところの洗面所でドライヤーを使っていた)

櫛で梳かそうとしても、左上に出来た大きな塊はびくともせず、ただ床に大量の髪が落ちただけだった。動揺して焦ると、余計に絡まる。

他患のおばあさんが通りかかって、床に落ちた大量の髪を見て、廊下で他の人に話しているのが聞こえてきた。

「見て、こんなに髪が落ちてるのよ。おばけみたい。気持ち悪いわね。」

私が、全て悪いのだろうか。白血病になったことも、自分の自慢の髪が死んだことも。床に落ちた髪だって、好きでやってるわけじゃない。私が一体何をしたというのか。

やるせない気持ちと行き場のない悔しさ、悲しさが一気に押し寄せてきて、涙が溢れた。

頭からバスタオルを被り、出来るだけ顔を隠して、ナースルームに行った。1番安心できる看護師さんの名前を呼ぶと、彼女は数分後に来てくれた。

涙でほとんど言葉にならなかったけれど、概ね理解してくれた彼女は、鋏を持ってきてくれた。

その間、ずっと話をしていた。

私がなぜ精神保健福祉士という仕事を選んだのか、今までどんな仕事をしてきたか、この仕事がいかに、好きか。

旦那の馴れ初めまで話した気がする。

とにかく、私と言う人物について話をした。

彼女はただ、髪を優しく切りながら、ずっと聴いてくれていた。

私が人生初のショートカットになった頃、私の心もだいぶ軽くなっていた。少なくとも涙はおさまり、笑えるくらいには。

もし彼女がいなかったら、脱毛のトラウマから、なかなか抜け出せずにいたかもしれない。心のケアもしてくれた彼女に本当に感謝している。

最初の脱毛から、その後移植も含めて4回脱毛した。お坊さんのようなスキンヘッドから、今では触り心地の良い坊主に進化している。坊主姿も見慣れたもので、似合うとも言われるほど。さすがに外出する時にはウィッグをかぶるが、今では坊主も意外と気に入っている。

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