鶴ヶ城に登った時の話

この前、鶴ヶ城に登ったときに、そこに織田信長が滞留していたこともあると案内の看板に書いていて、武田信玄もこの近くの白鷹城にいたらしい。

その日は晴れていて、息を切らしながらようやく天守があった平地に登りつくと、その場所はフットサル場くらいの広さで、祠が二箇所あった。
祠にお参りして、その横くらいにあった看板に、確か上記の旨が記載されていた。

読んでいる時か、お参りしている時か、またはその後に空を眺めている時か忘れたが、風が吹いて、木々がざわめいた。

そんな状況に刺激されたのか、私の文明論的な、人生論的な思索が発動した。

、、、それにしてもなぜ天下統一なんてしようと思ったのか。
伊賀の人たちを虐殺してまで天下を統一しようとしたモチベーションはどこにあった?
それが普通だったから?

それは、ちょうど一世代前の日本で「汗水を垂らして真面目に働いてそれなりの給与を得る」とうことと何もかわらなかった。のだろう。きっと。つまりその境遇に生まれた人にとってそれは普通のことだった。

我々は生まれてから、親やマンガなどのメディアや教師、反面教師によって、自分なりの価値観を形成し、そして生きる目的を与えられる。
今の日本の場合それは、素直な納税者を育成することであった、、、つまり我々は、日本の教育(マンガも一種の教育であろう)によって、立派で素直な納税者として育成されたのである。
それは軍国主義の世の中が素直な殺人者を育成したのと同じである。

、、、そんなことにも、、、自分たちで、、、気付けなかったのか、、、。

あたかも、、、今の時代は、、、昔の時代より、今より前の時代より、、、良い時代であるかのように教えられて、、、。そう信じて、、、人生の半分が過ぎた。

ならばいっそ決意表明するべきだ。
(今現在の資本主義の世の中においては)かなり前から物質的な富は、ほぼ全国民に行き渡り、生きていく上で必要なものやサービスは、基本的に安価で購入できるにもかかわらず、「付加価値」と喧伝して何かと理由をつけて、微小な差異を他社や他社商品との「差別化」と称して、資本主義砂漠で本当は特に価値のない「砂」を砂金であるかのようにお客様に申し上げて販売しているのである。
しかも、資本主義はどちらかと言えば終焉に近づいているが、その時は、少なくとも私の生きている間にはやってこないだろう。

決意表明
そうだ!砂漠で砂を売れ!南極で氷を売れ!
それが私の仕事であり、使命だから。


どこかで聞いたような陳腐でやけくそな決意表明は、昼下がりの水色の空に軽く吸い込まれた。
自分なりにこんなにエポックメイキングな決意表明を行っているつもりでも眼下では、中央道を普通にいつも通りに車が走る。右から左へ。左から右へ。甲府方面から尾張方面へ。尾張方面から甲府方面へ。


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