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「人生の主役は君たち自身です」

3月1日

おそらく全国の卒業式で必ず聞くこの言葉は例外などなくしっかりと私の耳元に賛辞として届けられた。

私はこの言葉が本当に苦手だ。
主役の割には必ず誰かに主導権を握られているような気がするし、やたらと私の「人生」に肩を入れて主役になろうとしている人がいるように思う。

ゼミというものは研究室でもっとゆったりとできるものだと思っていた。
ドラマや映画で描かれるようなあの研究室は美化されているものだった。
ただ、ドラマや映画で研究室にいつも寝ているようなだらしない先輩は私の「人生」には描かれていた。
楽そうなゼミに入りたかったからね、と月1回の全体集会というゼミ所属していることを守りたいがため開催された場で先輩は言う。

「悪いことは言わないから日本文学専攻なんてやめて将来に活かせるようなことを学んでちょうだい」

ほら主役なんかでもない。
高校2年生の3月。三者面談で言われた言葉を私はなぜだか忘れられない。
家族との会話は大抵のことは忘れてしまったのにこの言葉だけは今でもなぜだか覚えている。
その言葉に中途半端につられ私はなんちゃって文学ゼミに入った。
本日は、とゼミ長が明るく軽い声で続けて
「今日は全体集会なので恒例のグループで議論して結論を出してくださーい」

議題とは文学から自分はどのように解釈をしたのか、もしくは言い換えるとしたらどんな言葉を使うかといったようなことを議論する。
結局は無駄話だったり結論が出なかったり、今日はハズレのグループだったとかそんな話しかしない。

マイクが近すぎて教室にキーーン、と嫌な音が響き渡る。
「本日の議題は『主役』この言葉について議論してください」

じゃあ話しますか、と先輩が言うと
「今日はやる気なんですね」とヤジが入る。

「いやー、ちょうどさなんか自己啓発本みたいなの読んでてさ、『人生はあなたが主役です』って書いてて、これほんと嫌いでさ」
こんなに目に力が入った先輩を見るの初めてだった。

なんでですか、と思わず口が動いてしまった。
だってさ、と先輩は少し間を置いて

「結局、主役なんかじゃないよね。脚本家の方がしっくりくる」
あんな先輩からこんな言葉が聞けるなんて思いもしなかった。

続けて、
「いいことがあった、嫌なことがあった、美味いもの食べれた、売り切れてた、振られた、浮気された、って主役だからじゃないと思わない?自分は結局は作品には登場しない裏側の人間。そういったことを決めたりやや事故的に決まってしまったことをなんとか修正するような作家みたいな」
結局そういうものでしょ、といつものやる気があまりない先輩に戻った。

またいつか。

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