隣に寄り添ってくれるのはずっと前から、あなたしかいなかった。きっと結局戻って同じ繰り返し。 昔自分と近い距離にいた人のアカウントを調べた。あー、生きてて良かったー。これは一応本音で、連絡が出来なくても嬉しいって思っている。なんか前に酔ってラインした気もするけど、それはまあ置いといて。 許さねえって思ってる軽口が何個かあるんだ。ほんと全然、好きな友だちなんかに入らないような人ばっかりだった。どちらかといえば気が合わないしインスタの、親しいリストに入らないくらいの距離感
本当に大事な友達はひとりでいい。 ひとりでいいけど、多分失っているのは全部悪いから。怖いから音楽が聴けない。正体をなくすくらい酔わないと聴けない。怖いから、自分が失ったものを知ることも、たぶんあの人が結婚していることを知ることも。 シュレディンガーの猫、ってすぐに言っちゃう いや、可哀想すぎるけど。そうしたらずっと何を見たって思い出す人のことを 偶然駅で会いたくなくなった瞬間がない人のことを ピアノの鍵盤みたいに弾いて。 大音量で聴くとあんまり良くないな音楽って 私
例えば全部から逃げていて食べる肉も玉葱も美味く感じるものだし、感傷してるな今ってさあ、感じることもない。本当は具合が悪くなって寝込んじゃうかもしれないけれどそういうのは自分にも分からないようにやってくるから、リアタイで気付くことも早々ない。 4年前より推敲するのを止めた。これって進化?退行かな。僕は終わったって思ったけれど本当は進んでいるとかある? 時折思い出すのはなんか、どうでもよかったタイムラインのことばっかりで、あの芸人は世界に絶望しているから子孫は残さないって言
とか言ってるから駄目なんだよなあ。わたしも、もし読んでいる誰かも、あと国も全部全部そう。多分そうだよ。強めの言葉を書くのが怖くなって、きっと憧れって正しくないから言えないんだと思う。 式典でよく言われるキャンパスは自由だ、みたいな言い回しがものすごく苦手だった。大体年長者ぶってやさしさか、善のこころからやってくる親切が、身体を震わせてしまうくらいに嫌いだった。今になってみて正直言うと、その気持ちも分かるようになってしまったんだけれど。言えねえ何も、全部やれよって気持ちも
他人に将来を委ねることの愚かさを、罪深さを、知ることになるのはずっと後ばかりだ。普遍的感情を処理するには、だれかの共感で昇華させていくように、なにかしらの媒介が必要になっていて、たぶん、消化不良でずっと臥せっている。 臥せったままでいる。 それはもう全部あの人のせいにしたいくらいに。ワンツーで消してしまえたら楽だと思うくらいに。 誰かに委ねることの、迷惑さを知っている。それは人生空ベットくらいしなきゃいけないことで、担保があっていいことではない。ハンバーグを作るからっ