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立法学入門コラム 「さだめる」と「ていめる」 漢字の読み方について

 法律家や公務員で法令を担当している人などが、法令に出てくる漢字を通常の読み方によらずに、訓読みのものを音読みにすることがある。例えば、「定める」を「ていめる」、「改める」を「かいめる」、「削る」を「さくる」、「物」を「ぶつ」、「者」を「しゃ」などということである。一方で、音読みのものを訓読みにすることもあるが、あまり多くない。例えば「前文」の「前」を「まえ」と読むなどである(この場合、「文」の字まで訓読みにして「まえぶみ」とすることはない。)。これは法律の立案過程において条文審査を行う際に行われる読み上げや条文の確認作業の中の読み合わせで、なされている読み方である。なぜこのようなことをするかというと、条文の内容のみならず、用字用語の用い方がルールにあっているかということを一字一句確認するという作業を行っているからである。そのため、先のような読み方をしたり、句読点や括弧なども読み上げるなどとすることで、その確認をするのである。

 具体的にこのような漢字の読み方をして何を確認するかというと、明確に分かれるというわけではないが、2つの面がある。
 まず、①送り仮名の問題を含めて用字が正しいかということの確認である。「定める」を「ていめる」、「改める」を「かいめる」、「削る」を「さくる」という時には、「定」、「改」、「削」という漢字が使われ、それぞれ送り仮名が「める」、「める」、「る」とされているということを確認しているのである。この場合、もし漢字を使わずに「さだめる」となっていたり、送り仮名が「定る」となっていたりしても、普通に読んでしまうと「さだめる」となってしまい、誤りに気づかないことになりかねない。
 次に、②異字同訓の漢字を区別するためである。前に挙げたものでは「物」と「者」がその例だが、この場合、仮名で「もの」と書く場合もあり、それとも区別をする意味で、「物」を「ぶつ」、「者」を「しゃ」と音読みするのである。このほか、「とる」、「取る」、「採る」、「執る」、「撮る」、「捕る」を区別するとために、「取る」を「しゅる」、「採る」を「さいる」、「執る」を「しつる」、「撮る」を「さつる」、「捕る」を「ほる」と音読みをする。「前文」を「まえぶん」と読むのも、「全文」と区別するためである。この場合は、いくつかの同じ読みをするものののうちから正しい字が選択されているかを確かめるという意味では、①の趣旨とも重なる。なお、音読みしても同じ読みになる場合、例えば「議院」と「議員」という場合には、意味と合わせて「ハウスのぎいん」と「メンバーのぎいん」と区別することもある。

 こうした読み方は、立案過程での読み上げや読み合わせという作業で行われるものであり、そうした作業を日常的に行なっている人がついそれが出てしまうということはあるかもしれないが、本来、普通に話すときには、普通に読むべきだと思う。ただし、異字同訓や同音異義語の場合にその区別が必要なときに、意識的にこうした読み方をするということはある。

 法律家と一般の人との間で異なる読みをするものとして、「遺言」がよく例に挙げられる。一般の人は「ゆいごん」と読むが、弁護士や司法書士、法律学者などの法律家は「いごん」と読むとされている。しかし、私には、法律家の人が「いごん」と読むことに何の意味があるのかよくわからない。法律家が遺言をめぐって一般の人と交渉を持つことになる場合に、このような法律家独自の読み方をしても事態を混乱させるだけでそれにより有益な結果をもたらすとは思えないからである。また、法律家同士で「いごん」ということで、何か有益なことがあるとも思われない。法律学者の中にも「ゆいごん」と読むべきだとする人もいる。やはり、「ゆいごん」と読むべきではないかと思う。

 同じ漢字による表記でありながら読み方によって別語になる「同形異語」又は「同表記異語」というものがある。例えば「十分」は「じゅうぶん」と読むか「じっぷん」と読むかで意味が異なる。もっとも、立案にあたっては、文脈により明らかである場合が多く、問題となることはあまりないだろうと思う。問題となる例もあまり考えつかない。
 ただ、ここでいう同形異語ということとは少し異なるかもしれないが、私が学生の時、内藤謙教授の刑法のゼミで、片仮名文語文の刑法の中止犯の規定(第四三条ただし書)「自己ノ意思ニ因リ之ヲ止メタルトキハ其刑ヲ減軽又ハ免除ス」の「止メタル」を「やめたる」と読むか「とめたる」、「とどめたる」と読むかで結論に違いが出るかと問われたことがある。これは、次のような問題である。「やめたる」と読むと、実行未遂の場合は中止犯は成立しないようにも読めるが、その場合も結果発生の防止の努力をすれば「やめた」ことになると考えれば結果が発生しても中止犯が成立するともいえる。一方、「とめたる」「とどめたる」と読むと、実行未遂の中止犯について、結果発生を防止すれば中止犯が成立するとはいえるが、結果発生の努力をしても結果が発生した場合には中止犯は成立しないことになるとも読める。このように漢字の読み方によって解釈が異なることにならないかという問題である。私は、その上で内藤先生がどうお話になったか、よく覚えていない(ダメな学生である。)。一応、考えてみると、この場合、漢字の読み方として、どちらを採ったとしてもその意味の解釈問題となり、読み方によって結論が異なるとまで言えないということだろうとは思う。というより、条文の意味が決まって読み方が決まってくるということなのかもしれない。しかし、このことは、漢字の読み方が解釈に影響することがありうるということで、この問いだけは、強く印象に残っている。なお、現在の中止犯の規定は、「ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。」(刑法第43条ただし書)となっている。また、現在の常用漢字表では、「止める」に「やめる」の読みはない。

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