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ぐるぐる話:第9話【貝の乳】@3618


こちらはぐるぐる話の第9話です。
リレー小説となっておりますので
最初からお楽しみいただく方は
一昨日の記事
ぐるぐる話:第8話の記事をご覧ください。
1話から8話まで
すべての物語をそちらでお楽しみいただけます。



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第9話【 貝の乳 】


宿の駐車場にはいると、すぐに旅館の中から宿の仲居が出てきて、車のそばまで近づいてきた。

麻子の手早い車庫入れの様子を口角を少しだけきゅっとあげて、じっと見守る仲居は、おそらくは杏と同じ年くらいだろう。

キッチリと首元深くで合わせた半襟は、お日さまの光を跳ね返すほど真っ白く光っているように見える。

紺色の着物に山吹色の一重の帯は着心地よさそうにゆったりと締められて、お太鼓は少し下のほうに“へたっ”っとぶらさがっていた。
茜色の帯締めと茜色の帯揚げは、今さっき鏡の前に立ってきちんと整えてきたことが覗えるくらい、“ピシッ”っと着物と帯に寄り添っている。

そしてそのゆるく締められた帯からは、小さな可愛らしい鈴をつけた白い兎の根付がぶら下がっていた。

黒を通り越したような漆黒の豊かな髪は、おそらく誰かに結い上げてもらったのだろう・・・半夜会巻き風にアップにされて襟足の白さを際立たせ、僅かに風にゆれる後れ毛からはあどけなさと色っぽさが滲みでていた。



丹田のあたりで軽くにぎった左手をそっと包む右手の甲。まっすぐに前を向いて立つその姿は、ふんわりとした中にも強さを感じる美しい立ち姿だった。


「いらっしゃいませ!ようこそ楓屋へ・・・」



澄んだ小鳥のような声でそういったあと、腰からやんわりと上半身を一直線に前に倒すお辞儀には、きちんとお作法を習った人特有の美しさが備わっている。高校を卒業してすぐのほんのわずかな間、小笠原流のお作法を習った経験がある杏は一目見てこの仲居と仲良くなりたい・・・そんなことを考えていた。


腰についた名札には、「さえぐさ」と大きなひらがなが書いてある。
よくみると、さえぐさの下には「すみれ」とあった。


ふうん・・・さえぐさすみれって言うんだ。うちらもみんな木に関係する名前だから、なんだかご縁がありそ!と少しだけ嬉しさを感じた杏は、できるかぎりの優しさをこめて、相変わらず笑みを浮かべる「さえぐさすみれ」と名札をつけた可愛らしい仲居に向かって微笑みながら会釈をした。


麻子が手早く全員の荷物を車から取り出す。
すぐに仲居のすみれは木綿子のそばに寄り添い、荷物よろしければお持ちしますね・・・と言いながら、卵を乗せたようにまるめた掌を上に向けたまま両手をやさしく差し出した。


そして木綿子から荷物を受け取ると、体の前で両手をきちんと並べてかばんをぶら下げ、さっきより一段やわらかく微笑んだ。


「本日と明日、皆さんのお世話を担当いたします、さえぐさすみれと申します。どうかよろしくお願いします。では、さっそくお部屋までご案内いたしますね・・・。こちらへどうぞ・・・。」


言いながら内股で歩く後ろ姿・・・すみれの動きひとつひとつが、まるでダンスか何かを見ているようで、所作のすみずみまでまで行き届いたしなやかさと美しさに杏は息をのんだ。断然感じがいい・・・杏はひそかに小さく感動していた。



杏と違って、麻子はこういうとき決して黙っていられない質だった。



「ねえ・・・あなた・・・すごく素敵ね!うちの娘ね・・・この大きいほうの娘・・・杏っていうんだけど、あなたと同じ年くらいじゃないかと思うのよ・・・ちがう?成人式はもう済んでらっしゃるの?」


よせばいいのに、こういう感じがいい人に出会うと、麻子は嬉しくなってしまうらしく、必ずといっていいほど、いきなり相手の懐に飛び込んでいくクセがある。
そうされることを好む人と好まない人がいるということは、若いときに苦労しているのだから、知らないわけではないはずだった。


それなのに、どうしてもそうせずにはいられない質のようで、あっという間に相手と仲良くなってしまうこともあれば、あっという間に相手に嫌われることもあった。
杏はいつでもそれを苦々しい気持ちでハラハラしながら眺めていた。


またやってる・・・。


心の中で杏は舌打ちした。と同時に、あのサンバカーニバルでの忘れられない恥ずかしい事件を思い出した。


もう何年も前のこと・・・。


当時まだ柚といっしょに麻子の勇姿を楽しんでいた杏は、その日カーニバルを見るために朝の開店から行きつけのカレー屋の窓際の席に、柚と木綿子と三人で向かい合って座っていた。


もう間もなく麻子達のチームがやってくる。
柚も麻子もワクワクしながら、今か今かと頭に大きな羽をつけてやってくる麻子の姿を待ちわびていた。


サンバが練り歩くその通り沿いにあるカレー屋は、この時期だけは街のお祭りだから・・・という理由で、デザート付のカレーセット2000円を注文したお客さんに限り、何時間でも店内にいていい・・・という魅惑のサービスを提供していた。それで木綿子も杏も柚も、みなそれぞれにカレーやプリンやパフェを注文し、食べ終わってからずっと、窓に顔を近づけてパレードの様子を楽しんでいた。


やっとのことで、麻子のチームが左のほうから少しずつ近づいてきた。
ドラムの音、大きな羽、キラキラひかるティバック、茶色いストッキングに派手なメイク、どこもかしこも金ぴかだ。


今年は大々的に衣装を変えて、誰よりも張り切っていた麻子は両方の乳首を隠すために小さな貝を胸にあて直接てぐすでくくりつけていた。
その衣装をはじめてみたとき、杏は言った。



「ねえ・・・ママ・・・あたしママが楽しそうにしてるの好きだから、あまり余計なこと言いたくないんだけどさ、さすがに胸に貝って・・・それ・・・ちょっとやりすぎじゃない?」


「なにいってんのよ!もうさ!年々みんな衣装が派手になってるからね、これくらいやらないと審査員の印象にも残らないのよ!いいの!いいの!これでいいのよ!」



と麻子は聞く耳を持たなかった・・・。
その時、どんなことをしてもとめておけばよかったのだ。


杏たち三人がワクワクしているそこへ、麻子達のグループがやってきたその時、突然にだれかが麻子に向かって小さな封筒を投げつけた。


封筒だからたいした重さでもないし、たとえそれが顔に当たったところで、大事にはならなかっただろう。


けれど、いきなり目の前に飛んできた何かが、封筒と気づかなかった麻子は、本能的に身を不自然に捻ってかわしそれを避けた。
すると、本来の体の動きならビクともしなかったふたつの貝が胸からはずれて、二プレスを貼りつけた麻子の両乳がポロン・・・と露になってしまったのだ。


観客からは悲鳴と拍手と笑い声、周りの仲間たちは麻子のほうを心配そうに見ながらも踊りはとめずに歩を進める。
二プレスを貼っている安心感からか、凄まじいショウマン根性からくる責任感からか、麻子は二プレスだけに守られた乳を揺らしながら、動じることなく笑顔で踊り続けていた。


柚も木綿子も少し心配そうに、でも比較的、平気そうな顔でそれを見ている。杏だけが顔から火が出るほどに恥ずかしく、いたたまれない気持ちになっていった。そして、あっという間に両目から涙が溢れ出す。


けれど杏にはなぜ自分が泣いているのか、この涙がどういう感情から出てくる涙なのか・・・よくわからなかった。
ただ、この場所から消えてしまいたい・・・そんな風に思っていた。


すると杏の様子を見ていた木綿子が動いた。


ちょっと!そう言いながら右手をあげ、店の女の子になにやら耳打ちをした。間もなく女の子は7色セットの油性マジック、マッキーを木綿子のもとへ持ってきて手渡した。


木綿子は急いで自分のバッグの中から、サロンパスを取り出すと、そのサロンパスにあっという間に大きな星の絵を描いた。
星の中にはさらに何重もの星が色とりどりのマッキーで書かれていく。


二枚のサロンパスを手に、猛ダッシュでカレー屋のドアをあけ人ゴミをかきわけてチームのすぐそばへ駆けつける木綿子。
近くにいる誰かを呼びとめ、サロンパスを託すとすぐさま踵を返し店の中に戻ってきた。


木綿子から受け取った星のサロンパスはただちに麻子に手渡された。
腰の動きと歩みだけ止めずに、笑顔のままサロンパスを胸に貼りつける麻子・・・。


貝の代わりにブラジャーになった星のサロンパスを見た観客から、さっき貝が麻子の胸から外れた時よりも、さらに大きな歓声がわき上がる。
あちこちの店の窓からは紙テープを投げる人まで出る騒ぎだった。


そしてこの話はのちのちサロンパス事件として、サンバチームのリーダー、エロシによって大きな尾ひれと背びれをつけられ語り継がれる話となったのである。



【 次回へつづく 】



次回の物語は
yumetamaさんが紡いでくださいます。


yumetamaさん・・・バトンタッチです!
どうぞよろしくお願いしますねん♪



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