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大根おろしを嫌いになる50の方法

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朝、とはいっても日の出には程遠い5時から戸倉観世温泉は営業していて、旅先ではいつも深く眠ることなく始発から行動をはじめる自分にとってはとてもありがたい存在だった。早朝にもかかわらず地元の人が結構いて、住んでいる近くにこんな温泉があったら自分も超朝型人間になってしまうのだろうかとおもった。昨日までの暖かさとはうってかわってこの日は冬らしくとても冷えこんでいて、みぞれまじりの雨が降っている。

朝風呂のあとは、千曲川のむこうの山並みが白々と明るくなっていくのをながめながら北国街道に沿うように北へむかってゆるゆると散歩をはじめた。前日に長野駅近くのハードオフで楽天使の8cmシングルを見つけていたり、見逃しておいたアーシアンが無事売れていたりと満足のいく結果で、またこのあたりのブックオフはすでに訪問済みだったから特にあせることもなく、散歩でもしつつなにかめずらしいものがあれば食べてみようと考えていた。

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坂城(さかき)には「おしぼりうどん」というものがある。ねずみ大根という特産品の辛味大根の絞り汁にうどんをつけて食べる郷土料理で、これを食べていれば風邪などひかずに過ごせるらしい。うどん好きとしてはやはりその土地それぞれのうどんを一度は食べてみたいもので前から機会をうかがっていたのだけれど、千曲川左岸の小高い丘にある、びんぐし湯さん館という温泉施設の食堂で食べられるようだったから、温泉に入るついでにいってみることにした。坂城のあたりはずっと天気雨のおかしな天候で、坂木宿跡を散歩するのもほどほどに、駅前からびんぐし湯さん館行きのコミュニティバスに乗る。

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びんぐし湯さん館の風呂は窓ガラスが大きくて景色がよく、千曲川や坂城の街を一望できる。お休み処も広くて時間制限が無いから地元の人は一日いるのだろう、惣菜やフルーツを持ち込んでみんなごろごろと寝転がっている。また、コーヒー牛乳は八ヶ岳乳業とメグミルクの二本立てでめずらしい。

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湯あがりにさっそく、楽しみにしていたおしぼりうどんを食べてみることにした。ねずみ大根をより辛く感じさせるために、おろし金ですりおろすのではなくミキサーを使って細かくしたものを巾着に包んで絞っていたりするらしく、妙に泡立ったつけ汁から不穏な気配を感じつつも、軽い気持ちでうどんをすすった瞬間、体中に悪寒が走った。辛さには耐えられないことはないけれど、つけ汁からは薬品のような味がして、とてもおいしいといえるようなものではない。

後からわかったことだけれど、このあたりは山の中なので一昔前はコンブやカツオのようなダシをとるための海の幸は手に入らなかったそうだから、古くからの伝統料理であるおしぼりうどんに旨みというものはまったく入っていない。食堂の人にお好みで薬味を入れてくださいと言われていたものの、味噌を入れようがカツオブシを入れようがなにひとつおいしくなる気配はなく、途中からはつけ汁で食べることはあきらめて、味噌を直接うどんに塗ったりしてなんとかした。

天ぷらのつゆに山ほど入れたり、おろし醤油うどんなどを喜んで食べていたりと大根おろしには非常に好意をもって接していた人生だったのに、おしぼりうどん以降は大根おろしに対して体が拒絶反応を示すようになり、これを克服するまでにはとても長い時間がかかった。

後味の悪さを普段食べないアイスクリームなどでごまかして、もう一度温泉につかってくると朝早くから行動している疲れがでたのか休憩所でぐっすりと寝ってしまった。ハイラムブロックがステージ上でずっと悪ふざけしているような変な夢を見ていると次第にさーっというノイズ音が増えていき、目を覚ますと通り雨が降りはじめたようで、窓の外の遠くの山々が霞んで見えた。

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寝起きでコーヒー牛乳を飲み、ようやく口の中の薬品の味が薄れてきた。行きに利用したコミュニティバスはあまり本数がないから駅までは歩いて戻ることにして、途中のAコープにお茶を買いに入ったら、件のねずみ大根をみつけた。寸詰まりで見るからに凶悪そうな面構えをしていて、これから先は辛味大根と関わり合いにならないぬるい人生を送っていこうと決心した。

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テクノさかき駅から長野方面へ向かう列車に乗ったものの、うどん欲を中途半端に刺激されたままの消化不良で、ゲイリーバートン『Passengers』の最後の曲のようにずっともやもやしたままだった。戸倉駅を通過する度にいつもホームの立ち食いそば屋の「もつうどん」という文字が目に入っていて、そうだ口直しに食べていこうと急に思い付きあわてて戸倉駅でおりてみたものの、お店の人に聞くともつが売り切れていて、結局、今回ももつうどんを食べることはできなかった。

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途方に暮れつつ、せっかく戸倉でおりたのだからなにかしようかと考えても、戸倉には温泉しかない。戸倉温泉は千曲川の東西にわかれていて、今朝に入った観世温泉は右岸にあり新戸倉温泉と呼ばれている。左岸のほうのいわゆる旧戸倉温泉は100年以上の歴史があり、そちらにはまだ行ったことがなかったからいい機会かもしれないと寂れた商店街を抜けていった。

千曲川を渡り歩いていくと排水溝が詰まっているのか、先ほどの夕立で歩道いっぱいに大きな水たまりができていた。車もそう通るところではないので、しばらくは車道を歩いて水たまりを回避する。

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共同浴場のかめ乃湯はとても良い湯で、ゆったり過ごしているといつの間にかすっかり日も暮れてしまった。外に出ると夕立を運んできた雨雲はどこかに消えていてきれいに澄んだ月が見えている。寒いけれど風呂上がりには気持ちがよく、立派な温泉旅館の並びや花街を湯冷ましがてら散歩していると、少し外れのほうで牛舎をみつけた。あたりには牛のにおいがたちこめていて、建物の明かりはついておらずその姿は見えないけれど、牛舎の中に大きな影の気配を感じる。ルルベル3世のような大きな潤んだ眼がこちらを見つめているような気がした。

温泉街をあとにして駅へ戻っていると、水たまりのある箇所にやってきた。夜の黒々とした水たまりにはいくつもの街灯と月の光がきらきらとクラゲのようにただよっている。おしぼりうどんにはがっかりしたけれど1日に3回も良い温泉に入れて気分が良くなんだか興に乗って、今度は迂回せず、ざばざばと遠慮なく水たまりを歩いて水面をかき乱してやると、このあたりの街灯はLEDに換わっていたようで、ひとつの光を除いた他はすべて赤、青、緑に分離してしまった。

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