写真を送ります__1___1_

うっかり遠くへいってしまいそう(1)

毎年、クリスマスの時分になると山梨まで出かけて寿司を食べることにしている。甲府駅から歩いて15分くらい、魚そう本店でぼんやり寿司を食べているといよいよ今年もおわりという気持ちになる。


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にぎりの並。「かいじ寿司」といって上から甘じょっぱいタレをハケで塗ってくれる。一貫のサイズが大きいのが特徴だけれど通い始めた頃よりは小さくなったような気もする。いつものように〆サバを2貫追加した。


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寿司ついでの腹ごなしにブックオフ甲府平和通り店へ立ち寄ってみる。初めてBON CHICを見つけたところだ。ここは元々スキー用品屋やアパレル系店舗の居抜きなのか窓ガラスが大きく開放的でさんさんと陽が差しこんでいて、おかげでCDの背は色あせたものが多い。

何年か前、遊ぶ金欲しさに首都高が見下ろせる飯田橋のビルで働いていた頃、サボって外の景色をながめていると首都高の下を寝床にしているハトがみんな白い個体ばかりだということに気がついた。目立ちやすく外敵に狙われやすい、遺伝的にも劣っている白いハトはしかし首都高の白い橋桁の下だと身を守りやすく繁殖もしやすいのだろう、環境に合わせて最適化されている生物を発見していたく感銘を受けたものだが、ここのブックオフに並んでいる背が焼けて白くなり判別の付きにくくなったCDたちも、ニヤついたディガーたちに棚から抜かれないよう必死に擬態しているかのようにも見える。

ちなみにこの甲府平和通り店を訪れたのは、前回280円棚にささっていた佐藤聖子の最高傑作『SATTELITE☆S』と、本人作のみで構成されたミニアルバムの名盤『マーベラスアクト』が無事に売れたかを確認するためでもあったのだけれど、2枚はあいかわらずだった。ずいぶんと長い間そこにあるようで、何度も上から張られた値段シールと色褪せた背と黄ばんだプラケースを見ているとこれ以上放置して帰るわけにもいかず、行徳駅前のブックオフで見つけ佐藤聖子という存在に初めて出会うキッカケにもなった方のCDはそのままにしておき、まだ2枚しか持っていない最高傑作の方を買っていくことにした。


会計を終えると、時々あることなのだけれど、中のCDがすり替えられているのではないかという疑念がふつふつと沸き起こってきた。以前、大本友子『Eleven Lovers Suite』の中身が野田幹子『CUTE』だったことがあり、その時の恐怖は今も自分の生活に影を落としている。

店の外に出て中身の確認をすると、研磨のし過ぎでやや薄くなったCDとトレイとの間に保護マットがはさまっていることに気がついた。一昔前にCDショップがノベルティとして店名を入れて、購入者によく配っていたタイプのものだ。それには鮮やかな緑色のベースに金色の文字で「ASAMA」とあり、その下に0267から始まる電話番号が印刷されていた。急いで電話番号を検索してみるが、現在は使われていない番号なのか情報は出てこなかった。市外局番で調べてみると、どうやら長野県の小諸のあたりのようだった。

よりにもよって佐藤聖子のCDの中にこんなものが入っているなんて、とても偶然だとはおもえない。これはきっとブックオフの神からのお告げに他ならず、290円棚の神秘性と精神性でもある、どこの店舗の棚にも必ず存在する伊藤由奈『HEART』の謎についにたどり着くことができるかもしれない、またとないチャンスであるようにおもわれた。保護マットが示す場所にいかなくてはならない。

甲府から小諸に行くためには中央本線~小海線を使う必要がある。小海線は非常に本数が少なく乗り継ぎが面倒で、山梨や長野を旅行することがあっても普段はわりと避けているところだったが、今回は幸運にも、急いで駅に戻れば小淵沢駅でスムーズに小海線へと乗り換えることができる特急にちょうど間に合いそうだった。日帰りだった予定を変更し、小諸方面に向かってみることにする。


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道中、みんはやでは「標高1345.67メート/」あたりで回答ボタンを押さなければならないことでおなじみ、小海線の野辺山駅を通過しながらネットでいろいろと調査していると、長野県では2007年にいくつかの地域の市外局番が変更になったようで、保護マットに書かれていた電話番号は小諸ではなく佐久のあたりだということが判明した。佐久は小諸の少し手前にある。

さらに調べていくと、佐久市の中込駅から西の方角、川を渡ったあたりの栄えた交差点付近に、以前はアサマ名曲堂という店が存在していたらしいことがわかった。現在のグーグルマップでは駅の北東の方にアサマ名曲堂としての記載があるがそれは店舗らしさのない建物で、amazonなどネット中心の経営を行っているのかともおもったが、それすらも今はやめ廃業してしまっている雰囲気もある。中込駅から西にあった店舗跡、車通りが多く現在はTSUTAYAがあるあたりになにか痕跡が残っていることに一縷の望みをかけるしかなさそうだった。


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中込という街には偶然にも、一昨年の秋に佐久周辺をふらふらと散歩したおりに鯉のあらいと駅前の安宿を目的として滞在したことがあり、まったく土地勘がないわけではない。駅前は整ってはいるが人通りはなく、よくある地方の駅前といった趣きなのだが、
佐久市中込における商業空間の変容とその維持基盤 - 筑波大学
上記のpdfに詳しいとおり、駅周辺は70~80年代にかけて大きな区画整理があり、街並みもまったく変わってしまっている。アサマ名曲堂も70~80年代には駅近くにあり、モータリゼーションにあわせてやや郊外に移転したという可能性がないとも限らない。本来はそのあたりの細かいところを図書館に行き文献の調査をしたいところだけれど、もう日も暮れようとしておりその時間がない。


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駅前の頓珍館がちょうど開店したタイミングだったので、とりあえずはラーメンを食べる。


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ここのトイレのドアにはツービートのサインが飾られている。81年、ツービートとしての終わりに近い時期、地方での営業風景に思いをはせる。


駅から30分ほど歩くと、グーグルストリートで前もって確認していたとおり、TSUTAYAの隣にはぽっかりと空き地があった。ここがアサマ名曲堂の跡地なのだろうかと立ちつくしていると、通りがかった年寄りがいぶかしげな視線を送っていることに気がついた。今や車社会となった地方都市で歩いているのは、年寄りと犬の散歩の人と不審者だけだ。佐久を観光していること、永井真理子の1stアルバムに様子のおかしい曲があること、2000年度の木村伊兵衛賞ガーリーフォト3人同時受賞についてなど、あやしまれないよう世間話をしつつアサマ名曲堂のことをそれとなくたずねてみると
「ここかどうなのかは知らないが、たしかそんな名前のレコード屋が岩村田のほうにあった」と言う。

岩村田は中込から北へ3駅ほどいったところにある。年寄りが言うには、岩村田本町のアーケードの北の端、今はローソンがある交差点の近くにその店はあったらしい。

「観光地にしようとしているが、ぴんころ地蔵なんて昔はなかった」としきりに言う年寄りに感謝の言葉を述べ、新たに得た情報を確かめるため岩村田に向かってみることにした。(続)



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