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自分相応に

「キレイ」は無理でも「コギレイ」なおばあちゃんを目指そうと思っています。

かかとはちゃんとお手入れして、夏はペディキュアを塗る。
60歳でやめようかと思っていたマツエクももうしばらく継続。
髪は美しく、グレイヘアへの移行も楽しむ。
好きなテイスト、素材、デザインの服を着る。
姿勢よく所作に気を遣う。……などなど。

人としての美しさには内面の充実がなにより重要だと思いますが、外面を装うため私にできることは「身だしなみ」と「自分らしさ」。
皺だとかシミ、たるみとは、「これが私」と割り切って仲良くつきあっていこう…それが「キレイ」は手放したということになるのかな。

諦めというより、ほとんど執着していません。執着できるような美しさを、そもそも持ち合わせていませんしね。

「若見え◯◯」って、よく見聞きしますけど、結果として若く見えるならまだしも、若く見せるためってのは、どうにも違和感があって仕方ありません。

だいたい「若見え」なんて、端折ったような言葉もバカにされているようで腹立たしい!(笑 年寄りが言いそうな屁理屈)

「若々しい」は、あくまで結果であり、なにより主体的なものでありたいです。

老いは恥ずかしいもの、隠すようなことという社会の風潮が本当に嫌です。考えてみれば、特に女性は人生の大半をこのストレスのなかで過ごしていると思いませんか。

「年相応」にと言うと、その「年」の基準がとても曖昧で活動的な印象を受けないから、言い換えて「自分相応」に!
コギレイにして、年齢のアウターを颯爽となびかせながら街を闊歩する!

が、目標です。


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