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【自己紹介】お仕事と推し事を頑張る人事のお話。

みなさまこんにちは。
アットオフィス採用・教育課の江川と申します。
社長や、新しくジョインしてくれているインターン生が自己紹介記事を掲載している中、「採用担当は書かないのかい!」っていう声が聞こえてこなくもないので、執筆してみました。

ただでも一つ、記事を読む前にお伝えしたいのは、他のみなさんみたいなおもしろみがある内容では全くございません。。。
いままでわりと直感で決めたり、環境に左右されたりして生きてきた人間なので、なぜ始めたのか・なぜその決断をしたのか等、ちゃんとした理由がなかったりします。
その点はご了承ください。

自己紹介

まずは簡単に自己紹介。
氏名  :江川 茉那
生年月日:1995年5月15日
出身  :埼玉県
経歴  :春日部東高校 普通科
     駒澤大学 経済学部 現代応用経済学科
     コンサルティング会社の採用・営業アシスタント
家族構成:寡黙系父、ハツラツ系母、仕事大好き社畜系弟(3歳下)
特技  :ピアノ
生きがい:数々の推したち

幼少期・小学生時代

とにかく目立つのが好きで、人前で話すのも物怖じしないタイプでした。また、度が過ぎるほどの真面目ちゃんでルールを守らない人やズルをする人が大嫌いでした。
特技のピアノは幼稚園の年長から習い始めて、実家に住んでいた大学までは趣味の一つとして続けていました。
なにかの「代表」になるのが大好きで、特技を活かして学年・学校代表でピアノの伴奏をしたり、学級委員になったり、クラスで1名選出され、学校全体で行う英語の劇の主役をやったりと。
褒められることも好きだったので、勉強もそれなりに頑張っていました。
が、運動だけは苦手で、体育はなかなか好きになれませんでした。。。


中学生時代

市内では規模の大きい中学校に進学しました。
人数が増えると、自分より優れている子やすごいなぁと思う子がたくさんいましたが、やっぱり「目立ちたい」という思いは消えず、勉強も特技を伸ばすことも頑張りました。
成績はそれなりによくて、学年で上位の成績をとることも多々ありました。
加えて、毎年行われる合唱祭では、3年間全てでクラス曲の伴奏をやりました。それ以外にも、全校朝礼や卒業式でも力を発揮する場面があり、話したことのない子から「ピアノ上手だね」と声をかけてもらい、友だちになったこともあります。特技を身に付けておいてよかったなと思いました。
また、ここでも学級委員を務めた経験が多々あり、それだけでは満足せず、委員会の中でも委員長を務めていました。
そのような機会が多かったからこそ、非常に責任感がある人間になったと思います。特に先述の合唱祭では、クラスによくいる「男子ちゃんと歌って!?!?」って言う系女子でした。

部活はというと、ゴリゴリ運動部のソフトテニス部に入部。
なんとなくいいなと思っていたのと、当時一番仲がよかった友だちが入ると言ったので入部しました(笑)
おかげで、運動に対する抵抗はなくなっていったものの、一番大変だったのは上下関係。
よくわからない不思議なルールに縛られ、先輩の顔色を伺いながら活動する日々。目をつけられたら終わりなので、とにかく真面目に、先輩が一瞬でも視界に入ったらどんなに遠くても大きい声で挨拶をしていました。
(よくわからない不思議なルールと言いつつも、自分が先輩になった時は、それを後輩に強要していましたが。笑)

そして、この時から、わたしの「オタク」の片鱗が出現し始めました。
それは「AKB48」にドハマりしたことです。
クラスメイトの影響で好きになり、「推す」ようになりました。
(一番好きだったのは宮澤佐江ちゃんで、中3の時にたまアリの握手会に行ったのは良き思い出です。佐江ちゃんかわいかったです。)


高校生時代

実家から自転車で10分ほどの「『自称』進学校」に進学しました。
進学理由は、自宅から近かったことと、学力的に当時の自分に見合っていたためです。(「ソフトテニス部があった」というのは後付けの理由です。)

しかし、思い描いていたJKライフは送れませんでした。
・県で最もダサい(と言われている)制服
・ふんどしスカート膝下必須
・鬼のような生徒指導の先生
・携帯持ち込み禁止
・バイト禁止
・月1回の粗探しをするような頭髪検査
・修学旅行の持ち物に防犯ブザー
・行事の度に履かないといけない白ソックス
等々、「監獄」のような高校生活でした。

また、部活は引き続きソフトテニス部へ。
高校で新しいことを始めるのに少し抵抗があったので、中学に引き続きソフトテニスを選びました。
しかし、中学時代と比較して、本当に本当にハードな部活でした。
ほぼ毎日朝から晩まで活動し、休みはほとんどありませんでした。
顧問の先生から「女子の運動部の中で1番活動している」と言われたりも。
また、男子テニス部に混ざって練習をしており、男子のスピードや体力についていくのが本当に大変でした。
途中、膝の靭帯を損傷したり、肉離れをしたり。体力面でもつらかったですが、いま振り返ると、3年間やり切ってよかったなと思っています。
でももうあんなに動けないので戻りたいとは思いません。。

1つ下の後輩と。毎年3月に合宿に行っていました。

もちろん勉強も頑張りました。
中学同様、定期テストで学年上位をとることがあったり、苦手な数学で100点をとったこともありました。
また、やっぱり高校でも学級委員を度々務めました。
(特技のピアノは、部活の忙しさもあって、少し距離を置いてしまいましたが。)

そしてここで一つ、わたしの人生において、大きな挫折を経験します。
それが「大学受験失敗」です。
もともと国立大学を目指して、5教科7科目の勉強をしておりましたが、わたしにはそんな器用さはなく、結果は不合格。
滑り止めで受けていた駒澤大学に進学を決めます。
なかなか悔しい思いもしましたが、当時支えになっていたのが「UVERworld」。自分を鼓舞してくれるような、まっすぐな歌詞が大好きでハマりました。現在でも毎年必ずライブに行くほど大好きです。

ライブで「MONDO PIECE」をやられると100%泣きます。


大学生時代

進学したのは経済学部現代応用経済学科。
いまでもよくわからない学科の名前ですが、選んだ理由は「経済学科より名前がカッコイイと思ったから」。
また、ゼミは日本経済史を選択しました。選んだ理由は「説明会の時の教授と先輩の雰囲気がよかったから」。
出ました、フィーリングで決めるかんじ。
でも本当にアットホームな雰囲気が気に入って、すごく楽しいゼミ生活を送ることができました。
でまたここでもゼミ長を務めてました。(もともと、男:ゼミ長・女:副ゼミ長で推薦をいただいて、最初は副ゼミ長だったのですが、ある日突然ゼミ長が飛んでしまい、繰り上げ当選的なかんじで最終的にはゼミ長を担うことになりました。飛んで行ったゼミ長はいま元気なのでしょうか。)

そして、大学生で初めて始めたマクドナルドでのアルバイト。これには本当にのめり込みました。
始めたきっかけは、中学の同級生からの誘いだったのですが、同い年の仲間が多く、みんなでワイワイしながら働いていました。
休みをあわせてディズニーに行ったり、休憩中もくだらないことで盛り上がったりして、本当に仲がよく楽しい4年間でした。

最終的にはSW(時間帯責任者)になりました。当時のあだ名は「えがまっく」。


そしてそして、大学2年から本格的にオタク人生がスタートします。
ジャニーズ事務所様に貢ぎ始めました。
最初に好きになったのはHey!Say!JUMPの伊野尾氏(現在も掛け持ち中)。
好きになったきっかけははっきり覚えてないのですが、たしかなにかのバラエティー番組だったと思います。
バイトを始めて、自由に使えるお金も増えたタイミングだったので、CDやDVDを買って夜な夜な見る日々。
「ジャニオタ」に対していいイメージを持っておらず敬遠していたわたしがまさかジャニオタになるなんて、と友人にも言われましたが、一番驚いているのはわたし自身です。人生なにがあるかわかりませんね。

手に持っているのは「これでも」JUMPのペンラです(怒られる)。

迎えた就活。正直、これがやりたい!ということはなく、ただ「コンサルティングってカッコイイな」という漠然とした理由から、コンサルティング業界を目指しました。


社会人時代

新卒で入社を決めたのは、士業向けのコンサルティングをやっている会社。社員の人柄に惹かれたためと、正直、就活を早く終わらせたかったので、内定をいただいて即決しました。
しかし、結論から申し上げますと転職をしております。わたしの人生における挫折、再びです。
入社前から研修が頻繁にあり、そのたびに「おやおや?」と思った自分もいたのですが、目をつぶりながらそのまま入社。
入社後は採用アシスタント(面談の日程調整等)、その後営業アシスタント(セミナーの企画や運営)を経験しました。
実際に働いてみて、なかなか評価をしてもらえなかったり、ルーティンワークに飽きたり、会社の文化が合わなかったりで、1年弱で退職。
しかし、人事の楽しさを教えてくれたのはこの会社だったので、入社してよかったなと思っております。

1社目退職後、人事がやりたいと思って転職活動をするも、人事ほぼ未経験のためご縁がある会社はなかなか見つからず。
そんなときに、エージェントさんに「まずは営業職でキャリアを積んでから人事に進むキャリアステップはどう?」と勧められ、営業職に絞って転職活動を開始します。

そしてご縁があったのが、いまのアットオフィス。
最終選考で営業同行に行かせていただき、働くイメージを抱くことができたこと・選考で会った社員の方(特にK井さん)に憧れ、内定の通知が来た時にこれまた入社を即決しました。
自分に営業ができるのかな?と不安も感じていたのですが、それを払拭するような社風の良さで、ここでだったらやれるだろうと感じたのも、入社を決めた理由の一つです。

そしてそして、この転職活動中に大きなご縁がもう一つ。
いまの一番の推しである「SixTONES」との出会いです。左の表記で「ストーンズ」と読みます。
最初は、転職活動中にYouTubeを見ていただけだったのですが、気づいたらグッズや円盤を買って、遠征して、全国を飛び回って。いつしか生活の中心になっていました。
ただ、「彼らに認知されたい」とか「話したい」みたいなタイプのオタクではなくて、とりあえず6人全員が、毎日おいしいご飯を食べて、あったかい布団で寝て、健康に生きていてほしい、と願っているタイプのオタクです。
これ以上はキリがないので省略しますが、いまのわたしの生きがいでありモチベーションです。
SixTONESのことも何卒よろしくお願いいたします。

わたしのデスクに。見た目はデカくていかついのに、中身は小心者な6人。愛しいです。
詳細はこちらから。


アットオフィスに入社後は、法人営業を1年半ほど担当したのち、いまの採用・教育に携わる仕事をさせていただいています。
正直、いまこの仕事をさせていただいているのも、わたしのわがままを叶えていただいたように感じています。会長、ありがとうございます。
仕事で悩むこともありますが、アットオフィスのことが好きで、会社のためになら、となることがたくさんあります(宗教ではありません)。

やりがいを感じるタイミングは、新人の子たちが成長したなと思うとき。
研修を終えるタイミングや、なにか成績を残したとき等です。
(言葉にはしませんが、「この子と最初に接点を持ったのは、社内でわたしが最初なんだぞ!」と心で思ったりもしています。)


最後に

長くなりましたが、以上がこれまでのわたしの人生です。
冒頭話したように、フィーリングで生きてきたタイプなので、やはり濃い内容ではありませんでした。
そして、「ただのオタクじゃないか!」と感じられた方、大正解です。
こんな人事も世の中にいるんだなって思っていただけたら幸いです。

これからアットオフィスのことについてもさらに発信していきますので、各種SNSのチェックもお願いいたします!!











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