他人より浅はかな絶望を抱えて
私が何者かなんて知って欲しくも無いが、ただ私が私なりに苦悶している事だけは知らしめなければならない。それはいつか、私が限界を悟って全てを投げ出した時、いかに己が人生を許せなかった結果としてそうしたのかと云うことを、誤謬無く示す為である。
何度もこんな試みをしている。何度もこんな記録を遺そうとしては断念し、ただ眠ったり泣いたり食べたりするだけの無駄な時間を過ごしている。
私は幸せ者なのかもしれないが、私は他人より幸せを感じる力が鈍く、苦しみを熟成させる特質を持っているから、私は自分が不幸なのだと言い張っている。いや、誰にもそう主張したことは無い。誰も私の話を耳にする機会など持たない。
世の中の他人は皆、悍ましい目に遭っている。驚くくらいに、私なら絶対に耐えられない様な酷い思いをしてきて尚、大多数が生き残ってきている。
誰かから何度も(物語すら霞むくらいの)暴力を受けていたり、流石に普通なら思い留めるであろう罵詈雑言の暴雨にさらされていたり、いやらしい欲望を向けられていたり、物凄く頑張っているのにお金が無かったり、他人の尻拭いで地獄を見たり……。
誰かのそういう話を見聞きする度に、私がいかに恵まれているのかを痛感する。それでも私は苦しんでいる。健気な人々が『人並みの幸せ』を求める一方で、私なんかは『理論値(※ゲーム用語における)の幸せ』を求めている。
そんな(根っから駄目駄目な)人ばかりがインターネットに集まっていると信じて入り浸っているのに、なんだか皆さん思ったより真摯に人生と向き合っている気がしてくる。“仲間”を探せば探す程、誰もが私より苦しんでいて、誰もが私より努力していて……。
世の中に“私だけ”なんてことは無くて、案外誰もがありふれているものだとインターネットの中で“学んで”きた筈なのに、やはり私だけが情けない様な気がしてくる。
本当に、私と同じくらい駄目な人は居ないのか?居ない、居ないのだ。何故だか、私と同じくらい一日に何もできていなさそうな人は、一人残らず私なんかよりも大きな傷を抱えていて……。
そうして、それでも、私は苦しむことを辞められないでいるし、精神科の先生から『貴方は軽度のアスペルガー症候群に当て嵌まる可能性がありますが、あくまでもごく軽いですし、精神病では一切ありません』とまで断言されているのに、結構な量の薬(カプセル2錠と錠剤2錠。私にとっては随分多く感じられる)を毎晩に渡って飲み続けている。はじめの一歩すら踏み出せず、少しにじり寄ればすぐさま足を引っ込めてしまうので、治療の段階も停滞している。
生きることを諦めれば人生設計など放棄できる。それなのに、死ぬのが勿体無い。怖い。悲しい。私って、実はこれから羽化するのでは?とか考えてしまう。実は人一倍、抜きん出ている何かが、替えの効かないセンスがあるのでは……なんて、今まさに何もしていないのに、世間から見つかる成果もクソもあるかと。ある訳が無いのに。
死にたい。死ねない。何かしたくてたまらない。何も手をつけられない。始まらない。何の価値も持たない異常な拘りが、私の(辛うじて)若者でいられる貴重な一日を思考に捨てさせる。
こうして、今日も何も始まらないし、結局私は何をそんなに知らしめたかったのかを伝える勇気も持たない。だって、この上なく下らなくて、どうしても、他人より浅はかな絶望にしか思えないから……。
こんなものを抱えて、ずっと抱えて、私は何になりたくて、どうして貰いたいのだろう?
こんな風に打ち込み始めてみれば、何かがはっきりするだろうと思ったのに。
こんな無意味な文字列では、遺書にもならない。