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音楽

今日は、先日行われた合唱コンクールのDVDを見ました。
謎のマスク生活となり、合唱が禁じられた2年間。
最初で最後の合唱コンクールとなりました。

合唱ってなんか好きです。
周りを気にせずのびのびと歌っていた頃を思い出せるからなのかもしれませんが、子どものうますぎない歌声が好きだったりします。

ひと通り聴いて感じたことがあります。
心を打たれる合唱は、外国のオーディション番組で審査員がアメージング!と目を見開くように、出だしから何かが違うんですよね。
あれ何なんでしょうね。
下を向いていても、ん?と顔をあげて確かめてしまう、思わず笑みがこぼれてしまう、あの感じ。
上手いと心惹かれるってまた別で、まとまりなのか繋がりなのか、オーラと表現していいものなのか…
想いの共鳴としか今はまだ言葉にできません。
つまりは、私も鳴り響いていた。
振動していたのでしょうね。


終わってから挨拶された審査委員長の方が、こんなことをおっしゃられていました。

「音楽の起源は『祈り』なんです。

人が何かの想いを持って、その想いを誰かに伝えたい、こうなりたい、そんな想いを表現するためにうまれたのが音楽と言われています。

だから、うまい下手ではなく、何のために歌うのか、誰に何を伝えたいのかが大事です。」

音楽の起源が果たしてそうなのかは分かりませんが、音や言葉の始まりを考えていたところだったので、こんな話になったことが面白くて嬉しいです。

また、私が普段使わない、
音の"重なり"
音の"厚み"
という言葉を聞けて、さらに自分の表現が拡がりました。

まさか保護者のひとりが、DVDを見てそんなことで喜んでいるとは思わないでしょう。
だから、自分の発信がどこでどんな人に影響を与えるかなんて分からないわけです。

直接感想を伝えてくださる方には直接お礼できますが、カタチとして見えないからといって誰も応援してくれないなんてないし、結果として現れるには時間がかかる時もある。
自分の準備段階に応じた現実があり、実力が伴う積み上げ方をしたい。
自分の音を発信し続けていきたい。

祈り=意に乗る。

わたしはどんな音を奏でたいのか。
そんなわたしの想いをカタチにしていけたら、"ここ"に集まるものがある。
わたしの音、みんなの音、みんなで奏でる。
さらなる化学反応を楽しんでいこう。


今日は話す練習をしようと決意したのですが、早速人前で話す機会に恵まれ、自分の想いを言葉にしてこれました。
なんか嬉しいです。

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