【考えごと】平均よりも気にすべきこと
子供たちを対象にした学力テストや体力テストの結果が、都道府県別に語られる場合があります。この県は小6の国語が全国平均より0.いくつ低かった一方、中3の数学は全国平均より1高かったです、といった具合。
でも、この議論って、どこまで意味があるんでしょう。
100点の人が5人、0点の人が5人いる集団Aと、50点の人が10人いる集団Bは、平均点が同じですが、ふたつの集団がこれから目指すべき方向はまったく違うはずです。集団Aは、習熟度別に分けて教えればよいでしょうし、集団Bは全員に対して基礎から応用へのステップを少しずつ踏ませるような教え方ができると思います。
平均だけを見るのではなく、散らばりを見るべきだということです。
優秀かどうか、平均だけで判断できる?
さらに、考え方を変えてみます。100点の人が5人、0点の人が5人いる集団Cと、49点の人が10人いる集団Dでは、集団Cの方が平均点が高いですが、これをもって「集団Cのほうが優秀です」と言い切れるんでしょうか。
都道府県別の比較って、このほんのわずかな違いに目を凝らして無理やりランキングにしたに過ぎないんじゃないでしょうか。
これを見てみると、小6国語の場合、47都道府県が正解率61〜71%に入っています。10%の間に47都道府県がひしめき合っているイメージ。これに順位を付けて71%が1位でした!って伝えたところで、しょうもないと思いませんか。残念ながらこのリンクにはその情報もふんだんに盛り込まれています。
新聞もテレビも、うちの県は全国よりこうでした、教育委員会は、全国平均よりああだったのはこうだったからかもしれませんと言っています〜みたいな分析を毎回それらしく伝えていますが、言わせているだけではないでしょうか。
平均至上主義=横並び主義?
さらに。たとえば都道府県別で最下位だった都道府県が頑張って最下位を脱出したとします。すると、別な県が最下位になってしまいます。こんどはこの県が嘲笑の対象になってしまうのでしょうか。都道府県のブランドランキングの構図みたいですね。
どの県も嘲笑の対象にならないようにするための条件は、ある県が最下位脱出の努力をすることではなく、全都道府県の平均点が全く同じになること。こうすれば横一線ですから、やれあそこが平均低いだの高いだのと議論する必要もなくなります。海外でこのテストはありませんから、これを目指せば、都道府県別の格差のない素敵な教育が日本では行われていることが証明でき…るんでしょうか。
いや、これは間違っていると思います。
データ分析は散らばりを意識するべき
個別具体的なデータを持っているならば、もっと散らばりを見せるべきです。いわゆる分散、標準偏差というやつです。
これだけ格差、格差と言われているのに、散らばりを意識させる機会があまりにもなさすぎます。報道でそんなの見たことも聞いたこともありません。
冒頭の例で言えば、平均50点でした、と伝えるのではなく、半数は100点でしたが、もう半数が0点でしたとそのまま伝えた方が、あやうさが伝わります。標準偏差や分散といった、数学が苦手な人たちがアレルギーを起こしそうな言葉も、わざわざ使う必要はありません。
高いお金を出してテストをして結果を示すならば、そんな特徴ある散らばりを見せるだけでも十分、今の学びが抱える問題点を示すことにつながるんじゃないでしょうか。
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