性犯罪は、『性欲の問題』なのか? ―性暴力、性産業の歴史を俯瞰する―

※注意

 本記事には、過去の歴史的史料や、研究を扱ううえで、非常に不快な、女性に対する性暴力、及びそれに関する表現を含みます。十分に注意をされたうえでご覧ください。また直接的ではありませんが、性表現も含んでいるため、未成年の閲覧も推奨しません。


はじめに


「男の性欲のはけ口が無くなれば、性被害に遭う女性は増える」

 これはしばしば、女性の性被害と、性表現の是非について問われた際に、しばしば性表現の規制派に対して、常套句のように用いられるものだ。
 しかし僕はしばしばこの表現を見て思うのだが、

「これでは、"ヘテロ男性向けの性表現"と"女性に対する性的な加害行為"に因果関係があることを、自ら認めているようなものであり、性表現規制派に対する反論としては悪手中の悪手では?」
 
 
ということである。
 これを聞いて、

「いや、性表現が減れば、男性による性犯罪が増えるのであり、従って性表現が増えれば、男性による性犯罪が減るのだから、全く問題ない」

 と感じた方もいるかもしれないが、少なくとも僕には、この論拠もわからないし、更に論理的にもそれほど整合性があるように思えないのだ。

 そもそも「女性の意思に反する性行為」が性的な倫理において「悪」、つまり「性の過ち」なのは、現代の価値観なのであり、詳細は後述するが、逆に「自慰行為」や「女性が男性の性交の要求に答えないこと」が「悪」とされていた時代があるわけである。性犯罪とは結局、我ら現代人の思考によって定義された「性の過ち」に過ぎない
 そしてこの常套句というのは、性表現のみならず、売買春にも適応されることがある。つまり「性産業がなくなり、男性の性欲求を満たせなくなれば、現実の女性への被害が増える」などである。ひどいときには所謂"非実在児童ポルノ"を正当化する上で「もし非実在児童ポルノが無くなれば、現実の児童に被害が及ぶ」などという意見が、莫大な賛同を浴びることさえあるのだから、僕には驚きだ。
 なら、もし「自慰行為」や、「強姦を拒む女性」が悪とされていた時代に、男性の主な性欲のはけ口であった性産業を取り去れば、一体どうなるのか?その時は時代に合わせて、ヘテロ男性による「性の過ち」が減るのだろうか?それとも「ヘテロ男性が強姦をしなくなる」だけなのか?

 こうした常套句を見るたびに、これらの疑問が常に僕の頭には付きまとい、そしてその度、「結局、この常套句では、"『強姦は悪』という現代人の倫理観"と、"人類有史以来常に存在した性暴力の歴史"の間の大いなる齟齬を説明できない(あるいはその努力を放棄している)」と思ってしまうのだ。(時折「日本は性表現が増えたから性犯罪が減った」って言う人いるが、典型的疑似相関だと思うのだが……)

 というわけで、本noteでは何をするかという本題に入るが、ここではそうした僕の私論を展開するわけではなく、大いなる歴史家たちの研究によって明らかにされた、生々しい性犯罪と性産業、そして性倫理の歴史を淡々と述べていく。つまり、僕が「性犯罪は性産業が減少、規制されれば増える」という常套句を、何故「論理的に正しくない」と思うようになった過程を、読者諸氏にそのまま追体験してもらうことが目的である

1:性の過ち ―『女を虐げる』ことを"是"とする社会―

 さて、そもそも性の過ちとは何であろうか?
 
現代人であれば、性犯罪に該当するものが「過ち」であると言えるだろう。ただ一方で宗教的な「性の過ち」なども挙げられるだろう。例えば、同性愛や自慰行為なども挙げられるであろう。
 こうした時代遅れの「宗教的な性の過ち」であるが、しかしこうした考え方は、実のところ文面だけでは見えてこない「本質」が隠れている
 
 その本質とは何か?

 
 ずばり、先に結論を言おう。
 「女を男は虐げてもよい」である。

 飛躍しすぎに聞こえる?いや、実際のところ、同性愛や自慰行為を禁じることは、この「女を虐げる」社会を生み出し、持続するために、非常に貢献した価値観であった。
 
 例えば、西洋史家のフランドランの著作から例を引こう。 

自慰は長い間俗人たちの間では微罪とみなされており、また司祭においても、それがスキャンダルを引き起こさない限り同様であったのだが、理論的には「自然に反する罪」として、性交中断や男色、獣姦とならんで性的な罪のうちの最も重いものに数えられていた。

フランドラン、1993年『フランスの家族―アンシャン・レジーム下の親族・家・性』森田伸子・小林亜子訳、勁草書房、279頁。

 厳格な取り締まりこそ行われていなかったものの(それは、自慰行為があまりに流行していたためであるが)、こうした自慰行為に対する否定的な考え方は、やはり中世、近代キリスト教社会に見られるものであった。
 しかし、なぜ殊更自慰行為が否定的にみられていたかというと、これに熱中した男たちが「結婚したがらなくなり」、「女性は夫を持ちたがらなくなる」ためであった(フランドラン、1993年、280頁)。
 そして問題となるのは、こうした自慰行為は、結婚した男性にとっても依然として犯してしまいかねない「罪」であったことだ。
 従って、妻には、決して夫の「性的欲求」を断ってはならないという、「義務」があった。 

妻はどんな場合でも、たとえそれが自分自身や赤ん坊の健康にとって深刻な危険をもたらすような場合であっても、自分を求める夫に対しては「義務を果たさなければならない。」そうしないと夫が自ら「罪に陥る」かもしれないからであり、あからさまな言い方をすれば夫が「自分で自らの情欲を満たす」ことになるかもしれないからである。

フランドラン、1993年、280頁。

 つまり、自慰行為という「性の過ち」から、男を遠ざけるもの、それが「結婚」であり「妻」であった。妻は決して男の欲望を断ってはならないという、当時のモラリストの言説が、実際にどれほど中世のフランスなどの西欧社会に影響を与えていたかは定かではない。しかし史実として、女性を虐げる男性、妻を虐げる夫の事例は非常に多く確認できた。

自分の妻を殴る権利は古い習慣のいたるところに認められる。一三世紀のボヴェのいいならわしはこう語る。「妻が夫の言うことを聞かないときは、殺したり不具にしたりしないかぎり、夫が妻を殴ることは正しいことである」。ベルジェラックの場合も、正しい意図からなされるなら、妻を正すために血が出るまで殴ってもよいとされている。トロワでも同様である。一四〇四年、バレージュ渓谷の慣習法は次のように定めている。「すべての家長は妻と家族を罰することができ、何人もそれを止めることはできない」。

フランドラン、1993年、181-182頁。

 フランドランが史料から示した、この驚くべき「中世フランスのモラル」は、しかし一見すると「禁欲」を是とする「キリスト教社会」特有の問題のようにも見える。だが問題はそう単純ではない。何故なら、こうした家庭内の性的暴行、及び暴力は、決して家庭と妻に限られた話ではなかった。そして驚くことに、我々の「禁欲的キリスト教社会」のイメージとは対照的な世界が、中世フランスにはあったのである

 一五世紀のフランスではあらゆる都市が市営娼家を備えていたらしい。それはしばしば公共の資金で建設され、 常に市議会によって直接間接に経営され、原則として独身者専用とされていた。上りの値段はきわめて廉価で、 職人ひとりの日給の八分の一ないし十分の一にすぎなかった。こうして、「堅儀の」娘、妻たちからは遠ざけられていた独身者たちも、「公共の」、もしくは「共有の」娘たちによって性欲を満たすことができたのである
 それにもかかわらず強姦が頻繁に行なわれ、かつきわめて特異な性格をもっていた。記録に残るもののうち八○パーセントが集団的、もしくは、いわば公的なものだったからである。その筋書は細部は別としていつも決まっていた。男たちは、夜、犠牲者として目星をつけた女性の家に出向く。そしてまず窓の下で騒ぎ、名前を呼び、 はすっぱ女だといって嘶したてる。それから相手が黙っているとドアを壊し、女を掴まえ、外に引きずりだし、 殴り、強姦するかわるがわる、ときには一晩中ーーー。そのあとで、ときとして女を家に送り届け、しばしば金を受けとるよう申している。物音がするから隣人はなにが行なわれつつあるか一部始終を知っていて、耳をすまし、鎧戸の隙間から外を覗いているが、五度に四度は、放っておく。

フランドラン、1987年『性と歴史』宮原信訳、新評論、346頁。

 安価で利用でき、それでいて社会的にも利用がしがたいものでもなかった「娼家」があったにもかかわらず、十五世紀フランスの若者たちは、通過儀礼的に、女性を強姦した。しかも集団で。
 そしてこうした強姦は、隠れて行われたわけではなく、まるで女を辱めるかのように、屋外の目立つ場所で行われていたのだ。こうした凌辱行為を、では社会が一切許さないかのような態度を取ったかというと、実際は皆見て見ぬふりをした(当然これは、諫めようものなら自分の妻や娘が狙われかねないからであったが)。
 つまり、結局問題は禁欲ではない。いや、むしろ「禁欲すると男が過ちを犯す」というのは、中世のキリスト教社会の「女を虐げるための倫理観」の再生産でしかないのだ。冒頭の「男の性欲のはけ口が無くなれば、現実で性被害に遭う女性は増える」という文句が、この「女を虐げるための倫理観」にひどく構造が酷似しているように思えるのは、私だけだろうか?
 
 
さて、ここでもう一つ興味深い研究を提供しようと思う。それがジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』の序文である。「ヒステリー」はその言葉の由来が「子宮」であるように、女性特有の病とかつては考えられていた(残念ながら、今でもヒステリーを女性特有のものであると考える者も多いようだが)。そしてこれらの病は、詐病とされていた。
 このヒステリーを心の病として最初に取り扱ったのが、かの有名なフロイトであった。フロイトはこのヒステリー患者の研究の中で、従来の「ヒステリーとはセクシュアリティの問題である」という考えを受け入れず、むしろ幼年期に受けた性的暴行に由来をもつ神経症であると考えていた。 

フロイトが聴いたところはまことにぞっとする物語であった。患者たちはくり返しくり返し、性的襲撃、性的虐待、近親による強姦を語った。記憶の糸をたぐって、フロイトと彼の患者とは、幼年時代の心的外傷の大事件がヒステリー症状の引き金を引いた、より近い、しばしばそれと比べては些細な体験の背後に今も身をひそめているものをあばきだした。

ハーマン、1999年『心的外傷と回復<増補版>』、中井久夫訳、みすず書房、13頁。

 このフロイトの結論には、当初彼も大変喜んだようであり、自分のこの研究成果に対する自信が見られるような言葉も残っている。
 しかし、この結論は同時に非常に「不都合な真実」も暴き出してしまった。

ヒステリーは女性にはありふれた病気であるので、かりに患者の語るところが真実であり、彼の説が正しければ、彼自身のことばを使えば「幼小児に対する倒錯行為」というものが蔓延しているという結論にどうしてもなってしまう。それもヒステリーを最初に研究したパリの無産者層だけならともかく、目下繁栄中のウィーンのご立派なブルジョワの過程においても蔓延していることになってしまう。

ハーマン、1999年、14頁。

 結果、フロイトは、ブロイアーと共著の「ヒステリー研究」以降、女性患者たちの過去の話を聞くことをやめるようになる。
 さて、十九世紀末のドイツやオーストリアに、実際に家庭内外の女児に対する性暴力が、ヒステリー患者の数に比例するほど横行していたのか、それはまた別の研究から理解する必要があるだろう。しかし、先の中世フランスにおいて男性たちが「性の過ち」を盾に「性暴力」を振るっていた事例を見るに、この仮説というのは決して「想像に難い」ものではない。
 そしてハーマンは、後のヒステリー研究の結果について、こう論じている。

これらの研究の結果は一世紀前にフロイトがファンタジーだとして斥けた女性の体験が現実であることを確証した。女性および小児に対する性的攻撃はわれわれの文化に広く浸透しており、 まさに風土病であることがわかった。もっとも精細な疫学的研究は一九八〇年代初期にダイアナ・ラッセルが主宰して行われた。彼女は社会学者であり、人権運動家でもある。無作為抽出法によって選ばれた女性九百人以上に対して、家庭内暴力性的搾取の体験について深層心理学的面接が行われた。結果は怖るべきものであった。四人に一人の女性がレイプされていた。三人に一人の女性が小児期に性的待を受けていた。

ハーマン、1999年、41頁。

 またヒステリーが女性特有の病気でないことも、第一次世界大戦に兵士などに頻繁に見られた「戦争神経症」が「ヒステリー」と症例が酷似していたことからも、皮肉なことに「心的外傷がヒステリーの原因である」というフロイトの結論の蓋然性を高めてしまうことになる。戦争で目にし、体験した過酷で残虐な世界、それを女性が同じように日々の生活で体験しているという事実が明るみに出たのである。
 

 さて、ここまで見てきた通り、「女性への性暴力」は、決して「男の禁欲」によって生じた問題でもなければ、勿論「不埒で不出来な女性」が原因でもない
 
 むしろ「男性が女性を虐げる社会」そして「それを良しとする人々」によってもたらされたもの、それが「性暴力」の正体であり原因であると、結論付けざるを得ないのだ。

2:性産業の歴史 ―「性産業」は「性暴力」の良薬ではない―

 さて、ここまで述べてきた通り、はっきり言って「男の性欲のはけ口が無くなれば、現実で性被害に遭う女性は増える」という言説の妥当性はかなり怪しくなっている
 少なくとも、先程紹介したような、中世フランスの都市社会などでは、「安価な性風俗」があり、そしてそれを利用する者も多かったにも関わらず、強姦が横行していた。
 この事実は、性暴力の増加が性産業の減少との因果関係に対する疑いを生じさせる。だが、本節では更に踏み込みたいことがある。それはそもそも「性産業が性暴力の一貫であった」という点である。
 留意しておきたいが、私は「性産業が増えれば性暴力が増える」と言いたいわけではない。私は今でも「性産業と性暴力の増減」に対する因果関係を否定している。つまり性産業が「増えても減っても」、性暴力は「増えも減りもしない」と考えている。また勿論「性産業の従事者が現在も性暴力の構造にある」と言いたいわけでもない。あくまでここで言いたいのは「かつて性産業が、性暴力の大きな構造の中にあった」ことだ。

 言い換えれば「性暴力」という「病理」に対して「性産業」が「治療薬」ではない証拠を改めて提案したいだけである。

 さて前書き留意ばかりになってもなんなので、一旦本題に入りたい。先ほどフランドランの「男性集団による性暴力」の話には実は続きがある。
 性暴力を受けた女性の顛末がどうなるかを、同じく著名な西洋史家のジャック・ロシオは、このように観察した。

 強姦の結果被害者は、結局はいかがわしい行為や不名誉な行為をした場合と同じことになった。犠牲者は、ほとんど例外なく名誉を傷つけられ、社会と家族に復帰することは大変困難となった。独身であれば結婚市場における価値は最低になる。 既婚者であればときには夫に捨てられる。隣人には、たとえ好意的に証言をしてくれた人たちでも、彼女が受けた暴行によって穢れているとみられてしまう。 自分自身も恥ずかしく、罪の意識をもち、悪評の的になっていることを感じる。こうなれば襲撃グループの目的は達せられる。強姦された女性は、まわりの人々の意識のなかでも、彼女自身の感情においても、 娼婦との間の距離が大いに狭まる。心理的にも肉体的にも痛めつけられた犠牲者は、都市に住み続けて名誉を取り戻すことなど望むべくもない。
 こうして暴行があるとしばしばそれに売春斡旋行為が続く。そして結婚の秩序をめぐる戦いは当然売春を盛んにするのである

ロシオ、1992年『中世娼婦の社会史』阿部謹也・土浪博訳、筑摩書房、44頁。

 このように、むしろ性暴力が「性産業」への誘いとなっていたことは興味深い。ロシオは、また、娼婦となるきっかけや、その実態についても調査を行っている。

 一四世紀末のアヴィニョンの更生した娼婦たちはローヌ河流域の出身で、ディジョンの娼婦の三分の二はこの都市か近くの農村で生まれていた。…(中略)…家族と離れたり、父や母を亡くしたりすると彼女らはとたんにどうしようもない立場におかれた。ほとんどすべての場合、売春は一七歳頃から始められたが、三分の一については身を売らなければならなくなったのは一五歳未満である。その半分は無理やりにであり(二七パーセントは公然と行なわれた強姦の犠牲者であった)、四分の一近くは家族によって売春させられたか、家庭環境が悪くて不幸な道に引き込まれたかである。貧困などやむをえない事情ではなく、自分の意志で身体を売っているばあいは一五パーセントにすぎないようだ。

ロシオ、1992年、47-48頁。

 少なくとも、十四、十五世紀ごろのフランス社会では、自由意志による性産業は極めて少数派であり、「売春を選ばざるを得ない事情」こそが、性産業の従事者となる原因であった。そしてその大きな原因は、性暴力の結果と、そして家族による強要であった

 不幸なことに、この性暴力と性産業の悪循環は、まだ終わらなかった。

アヴィニョンでは、一三世紀半ばに出された条例が、ユダヤ人と娼婦は市場で食物に触れたら必ずそれを買わなければならないと定めている。…(中略)…ほかの多くの都市でも多分同様だったろう。ところが、 P・パンシエが集めたこの地域の一二世紀の史料にはそのように娼婦たちを排除しようとする意思は全く認められない。娼婦が穢らわしいものとみなされ、ユダヤ人やハンセン病患者と一緒にされて社会的に排除されるのは一三世紀後半以降のことなのである。この頃からユダヤ人やハンセン病患者と同様娼婦も穢れており、手が触れただけでおぞましいとされるようになり、人々は娼婦を不可触民として扱おうとしたのである
 したがって、娼婦に近よらないためには、娼婦が外見からそれとわかるようでなければならない。だから娼婦には外からよく見えるはっきりしたしるしをつけることが強制されたのである。最初、市当局は娼婦に貞淑な女性が身につける頭巾とヴェールを着用することを禁じただけであった。…(中略)…その後、娼婦は恥辱のしるしとして鮮やかな色の飾り紐を肩からさげなければならなかった。この飾り紐は、やがてユダヤ人の黄色の車輪しるしやハンセン病患者の鳴子と同じようなもう一つの機能をもつようになる

ロシオ、1992年、75頁。

 フランスでは、娼婦たちはある時期から非常に穢れた存在であると扱われ始める。つまり、多くの女性が「強姦」という避けがたい「性暴力」の結果、「性産業」に従事せざるを得なかったにも関わらず、その結果彼女たちは更に「穢れた存在」として社会的地位を落とすのだ。
 このように性暴力と性産業が、より大きな「性差別」という枠組みの中で負の連鎖として機能している。
 またこうした負の連鎖は、更に「そもそも性産業は貧困女性の味方だったのか?」という新たな疑問を生じさせるものである。
 それについて興味深い事例が、まさに日本の「遊女」に見られた。

人々は不法のことと知りつつ「渡世難儀」を理由に、いとも安易に隠売女稼業に転じた。享保一九年(一七三四)、本所の店借人佐兵衛が、二年前てんかんで急死した隠売女の客の処置に困り、亀戸辺りの川へ捨てた罪科で逮捕された。佐兵衛は「おすもふ佐兵衛」と記されており、かつては相撲力士であったことがわかるが、その彼がなぜ隠売女稼業に転じたかについて、次のように述べている。…(中略)…ここから、佐兵衛が暮らし向きに困っているところに病身となり、他の商売もできないとの理由で、女一人を抱える零細な隠売女稼業を始めたことがわかる。また夫が女房をふかがわ隠売女として稼がせる場合もあった。享保一三年(一七二八)、深川の店借人定七は…(中略)…と、やはり渡世難儀を理由に、女房を隠売女として稼がせている。

曽根ひろみ、2003年『娼婦と近世社会』吉川弘文館、43頁。

 さてここで見てみると、面白いことに、男が「自分の女」を売る事例も多かったことがわかる。先ほどのロシオの書でも、貧困が原因で家族に売られた女性の高い割合が確認できたが、十八世紀日本などの家父長制の世界では、貧困な夫や家長が日銭を稼ぐために、女性を売ることも多かった。また売春は男たちにとって、極めて「楽な商売」であったことを、曽根は語っており、「場合によっては、かどわかし強奪すること、あるいは夫が妻に強要することで、何ら元手金を必要とすることさえも」なかった(曽根、2003、44頁)。
 男たちの性暴力、そして社会の性差別の構造で生まれた性産業が、更に女性を虐げる理由と口実を生み出していく。そして、この負の連鎖の中に入った女性が抜け出すには、江戸でも中世フランスでも変わらず「金持ちの男に囲ってもらう」他なかった。現代人の中には、遊女や娼婦稼業が「貧困層の女たちのセーフティネット」の役割を、かつて果たしていたと信じて疑わぬ者も多いが、決してそうではない。
 むしろ女性の自由意志など介在する余地を許さぬ性暴力と性差別の終わりなき連鎖こそが、「かつての性産業」の正体であった

第二に、従来の遊女研究のうち古代以降を通史的に扱った仕事には、多かれ少なかれ古代の宗教的 「性=聖」 観念を近世にまで投影させて論じる傾向が強く、売春を社会問題として指摘する視点がきわめて稀であるという点である。そのため私たちは、遊女を哀しくも美しい存在としてイメージしがちである。たしかに遊女は哀しい。しかし売春は決して美しくなどない。そして、いかに美しく芸能に秀でた遊女も娼婦としての側面を付与されていたのであり、その意味では、近世の広範な私娼の群れを前提とした売春社会の産物である。

曽根ひろみ、2003年、38頁。

 さて、ここまで論じてきた通り、性産業が、性暴力に極めて強く結びついていた世界を見てきた。また改めてになるが、私は「現代の性産業」が「性暴力」との因果関係にあると論じるつもりはない。詳しくは「まとめと補論」で行うので、そちらを見て欲しい。
 ただここではっきりとしておきたいのは、「性産業が盛んになれば、性暴力が無くなる」という仮説が実に乱暴で、非論理的で、歴史的に矛盾を孕んだものであるという点である。

 こうした検証と調査を経て、やはり「性産業」を「性暴力」の「良薬」とみなすことは不可能であろうと私は結論づけたのだ。

3:処女と娼婦 ―解体される女、「わからせ」られる女―

 さてここまで二つのことをはっきりとさせた。

 第一に、性暴力は「厳粛な禁欲と溜まった性欲」の結果ではないこと。
 
第二に、性産業は「性暴力」を減少させる要因にはなり得ないこと。

 この二つの考察を経て得られたことは、性暴力とは、やはり「性欲の問題」などではなく、「この相手であれば暴力をふるってもいい」という価値観、簡単に言えば「差別」こそが問題だったということだ

 つまり「差別されている相手なら、性暴力を振るってもいい」という思い上がりこそが、性暴力の原因と言わざるを得ない。
 勿論これは決して「男性→女性」だけで起きうることではない。我々の社会の多くが、歴史的に男性が上位で、女性が劣位にあったからこそ、こうした過去の史料からは、「"性"差別」の問題が浮き彫りになるのだ。
 つまり、「"人種"差別」においても、同様の事が起きているのだ。
 

 少しだけ話が飛ぶ。かつてのアメリカでは、ご存じの通り異人種間の結婚は禁止されていた。そしてまた、黒人奴隷の女性を強姦することを禁止する法律も無かった時代があった。
 しかしこうした黒人奴隷への白人男性による性暴力は、女性奴隷だけに行われていたかと言われれば、実際は男性の奴隷に対しても行われていた。

Like heterosexual relations between white men and black women, sex between masters and male slaves undoubtedly occurred, sometimes in affectionate and close relationships but also as a particular kind of punishment…(中略)…Incidents in the Life of a Slave Girl, published in 1861 by abolitionist and escaped slave Harriet Jacobs (under the pseudonym Linda Brent), also included mention of male slave owners sexually abusing male slaves. Jacobs alluded to this abuse in the context of the rape of slave women and girls, lamenting that "no pen can give adequate description to the all-pervading corruption produced by slavery." That corruption extended beyond female victims, for, as Jacobs wrote, "in some cases they exercise the same authority over the men slaves."
…(中略)…
Even while most of the accounts illustrating sexual abuse of enslaved men came from the nineteenth century, eighteenth-century sources indicate the practice was not limited to that era. Slave owners' diaries, for example, also reveal instances of sexual assault perpetrated by masters, indicating that the literary examples reflected a certain social reality. The eighteenth-century diary of a Jamaican planter named Thomas Thistlewood tersely noted two incidents of homosexual assault. In one entry he recorded: "Report of Mr. Watt Committing Sodomy with his Negroe waiting Boy."


Foster, Thomas A. 2011, "The Sexual Abuse of Black Men under American Slavery", Journal of the History of Sexuality, Vol. 20, No. 3, pp. 452-453.

 18世紀、19世紀のアメリカで、こうした黒人女性だけでなく黒人男性にも振るわれた性暴力が記録として残っていた。これが、同性愛が禁じられていた社会で行われていたというのだから、なおの事驚きであろう。ここに一つの「性暴力」の「病因」が見えてくる。

 つまり、性暴力とは、差別の結果であるのだ。

 禁欲を良しとする社会的抑圧や、自慰行為を我慢させられる男たちの不満など一切関係なく、性暴力は起きる。ある意味では、しばしば性暴力を振るう男性が陥りがちな「女の方から誘ってきた」という文句が、如何に「醜い言い訳」「愚かな責任転嫁」であるかもわかるだろう。
 
 さて、ここで第三の疑問が見えてくる。

 それは「何故差別が性暴力を誘引するのか?」というものだ。

 これについて、考える材料となるのは、やはり「セックス」である。

 感性の歴史、そして「娼婦」などを著した歴史家、アラン・コルバンの研究の一つ、邦題では『処女崇拝の系譜』とされているものの中で、彼は男性の理想的女性像が二つあることを論じる。それが「宿命の女=ファムファタル」と「夢の乙女=フィユ・ド・レーヴ」である。

 前者はヴィーナスを代表とする性愛を象徴する奔放な女性
 そして後者は、ディアーナのような貞節を守る処女である

 この本の訳者である小倉は、この二つの一見相反する女性像について、以下のような洞察を行っている。

当時のブルジョワ社会の道徳においては結婚前の娘の処女性が重んじられていた。…(中略)…娘の処女性は、ブルジョワジーの結婚戦略にとってたいせつな切り札のひとつだったのである(他方、農民や都市労働者のあいだでは事情が異なる)。ブルジョワの青年たちは、抑えがたい欲望を満たすために娼家に通い、娼婦が彼らに性の手ほどきをした。あるいは一家に雇われている若い女中が、青年の性的戯れの相手になった。フランス語で amour ancillaire (女中との情事)と呼ばれる現象である。娼婦や女中との性的関係は、良家の娘の純潔と処女性を守るための必要悪、ひいては家族制度を維持するための必要悪と認識されていたということである。セクシュアリティをめぐるこうした二重基準が存在したからこそ、そしてそれがブルジョワ青年たちのあいだに広く浸透していたからこそ、ロマン主義的な「夢の女」はひとつの神話になった。

コルバン、2018年『処女崇拝の系譜』山田登世子・小倉孝誠訳、藤原書店、201-202頁。

 この興味深い一見矛盾した二つの理想の女性像こそが、この家父長制の社会において、不可欠なものだったという議論は確かに興味深い。勿論、このような「女性の二分法」が、現実に即したものではないことは明瞭であろう。
 言い換えれば、ギリシャ神話に見られる女神たちのように、男は女を都合よく解体したのだ。「母」たるデメテル、「処女」のアルテミス、「性愛」のアフロディーテのように、本来は「一つであるはず」の「女」を男たちは勝手気ままに切り分け、自分たちが必要にするときに都合よく取り出し始めた。女は、男によって「処女」であることを守らされ、男によって「娼婦」にされ、そして男によって「母」にされるが、それが別の形に戻ることを(少なくとも男の意思の介在しない状況においては)男は決して許さない。そしてその暴力的な移行をもたらすものが、セックスである
 一見すると、性に奔放であることを許された「娼婦=アフロディーテ」も、「自分とセックスをする女」という枠組みでしかない。つまりここにおける「娼婦」とは「誰とでも自発的にセックスをする女」ではなく、「自分と簡単に、いつでもセックスをしてくれる女」と表現する方が適切であろう。
 
例えば、笠間の書いた論文の中で興味深い事例がある。
 沖縄が米軍に占領されている時期に、米軍などを相手にしていた「街娼」、通称「パンパン」などと呼ばれていた女性たちがいた。こうした女性が登場する文学、田村泰次郎著の『肉体の門』での「パンパン」の描かれ方に、笠間は着目した。

このように、「肉体の門」は古典的ともいえる「体制的なポルノグラフィ」の物語である。「猛獣」である「パンパン」に対して、客も「犠牲者」と再定義される。唯一の男性登場人物である伊吹は、「肉体小説」における「本能に目覚めた肉体を持つ男」を代表=代理しているだろう。女たちのグループで町子だけが好意的に描かれているが、これは町子が「元人妻」であることに由来しており、そうでない女たちは仲間をリンチし、暴力を発揮する「猛獣」である。すなわちそこにある境界は、「手懐けられた女」か「手懐けられない女」 かというものである。 伊吹が我慢ならないのは、「手懐けられない女」であるせんたちの、女だけで主体的に行動する生き方だった。そして、この「肉体小説」で繰り返されたのは、そういった「手懐けられない女」も「男女の上下の秩序という道徳観」と「男の肉体」で手懐けられるという主張である。 …(中略)…せんたちのような「手懐けられない女」の代表である「パンパン」は、「日本の男」によって再び手懐けられなくてはならないというのだ

笠間千浪、2012年「第5章 占領期日本の娼婦表象 ー「ベビサン」と「パンパン」:男性主体を構築する媒体」『〈悪女〉と〈良女〉の身体表象』青弓社、226頁。

 ここの街娼たちの描かれ方も、やはり現実に即したものでは決してないだろう。それは、ちょうど男が理想とするような「貞節を守り続け、自分を一途に思ってくれる純潔の乙女」が現実に存在しないのと同様である。
 男たちは決して、「女が自発的にセックスをする」ことを許さない。「自由意志に基づいて複数の男性とセックスをする女」は「悪い女」であり、従って「男である自分が矯正する必要がある」と考える。実際、先のフランドランやロシオなどの著作の中でも、強姦を行った男性たちが、被害女性に対して「あばずれ」「はすっぱ」などの根も葉もない「不貞とふしだらさ」を、性暴力の口実に用いていたことからも明らかであろう。
 
 男たちは、「女」を乱暴に「処女」や「娼婦」「母」に解体したが、この女の諸形態は全て「男とのセックス」によって支配され、定義されている。言い換えればセックスとは、女を「自分の好きなように支配する道具」である。「支配願望」を具現する「鞭」として男たちはしばしば「セックス」を選んだのだ。
 だが当然、現実には「アフロディーテ=宿命の女<ファム・ファタル>」も「アルテミス=永遠の処女<パルテノス>」も存在しない。理想の女を理想とする形で支配しようとする試みとして、彼らはセックスを用いようとする。しかし現実において、それは「性暴力」という形で具現するのみである

 そして「支配の武器」としての「セックス=性暴力」は、先程も述べた通り、支配欲を満たすための道具であるため、その被害者は女性だけでなく、被差別の男性に及ぶことさえあった。
 
 改めて「何故差別が性暴力を誘引するのか?」の問いに答えよう。
 
 自分が「支配するもの」であることを実感するため、そして相手に「支配されるもの」であることを「わからせ」るために、人間は「性暴力」を振るうのだ。

 だからこそ、「性暴力」の最大の原因は、やはり「差別感情」なのだ。

まとめと補論ーモザイクの向こう側でー

さて、随分長々と議論してきたが、最後に要点を纏めよう。

1、性暴力の原因を、禁欲、自慰の我慢と考えることは困難である。

2、性産業によって、性暴力を抑えることは難しい。

3、性暴力は支配の手段であり、差別こそが性暴力の原因である。

 無論勘違いしてほしくないが、ここで述べた結論は、何も「学術的な議論」に耐えうるようなものではない。冒頭でも述べた通り、あくまで「筆者である私」が、「性暴力の原因は性欲の問題ではなく、性差別である」と感じるようになった、その過程を言語化したものである。従って今回参考文献はいくつか列挙したものの、その読み方や解釈の仕方には問題もあるだろう。

 だが、もしかしたらこの自分の考えるに至った過程を言語化し、発表することで、「同じような疑問を抱いている人」あるいは「そうは思わない人」が、更なる研究・調査の材料となるのではないか、そう考えて発表したのが一つ。
 そして何より、あまりに「男から性風俗やAVを取り上げて、性欲を我慢させれば、現実の女性が性被害にあう」という脅し文句が、あまりにSNS等で氾濫していることへの危惧が、もう一つの理由である。
 ていうかこの文句、ともすれば「男は野獣」という「男性蔑視」に繋がりかねないのに、男たちが好き好んで使う理由が、未だによくわからない。
しかし今回の議論に基づけば彼らは恐らく「差別・支配される側」になるとは、欠片も思ってないのだろう。そうした確信が、このような言説を堂々と披露させるのであろう。
 
 
さて、本論はもう終わったのだが、もう少しだけお付き合いいただきたい。
 本文ではちょくちょく注釈を入れたが、このnoteは、決して「性風俗が性暴力と切っても切り離せない」ことを論じたいわけではないということだまた、セックスワーカー論の是非を問い直したいわけでもない。
 少なくとも私はセックスポジティブだし、どちらかといえばセックスワークという発想に賛同している(無論、私がヘテロ男性であることも加味しなければならないが)。
 しかし、一方で、また困惑させるようなことを言うが、決して「性風俗」や「性産業」において、現代でも「性暴力」が全く排除されたかというとそうではないだろう。確かに「強姦されたので性風俗に行くことになった」とか、「性風俗の従事者なので、汚物扱いしても良い」「自分の娘や妻なので、性風俗に売り払ってもいい」というような、近代以前の「性暴力を悪とも思わない」ような価値観が、今も優勢であるとは思っていない。
 ただ例えば、田中麻子著の『不可視の性暴力ー性風俗従事者と被害の序列』などを読んだうえで思ったことは、やはり性風俗従事者に対する、利用者男性からの「蔑視」や「暴力」は、今もなお続いているということだった。有名な話が「風俗嬢説教おじさん」や「本番強要する客」などであるが、これも当然「蔑視」や「暴力」の現れである。そして未だこうした性差別が介在することを許すならば、今回の結論に基づけば、当然「性風俗の場に性暴力が依然として残っている」ことを意味する。

 勿論、だからといって「性風俗を無くすべき」という主張をしたいわけではない。
 だが「性産業に問題が無い」と思っているわけでもない。

 先に注釈しておくが、ここからの話は、ここまでの議論のように「先行研究」に基づかないものになるので、話半分くらいに聞いて欲しい。

 私の考える性産業における最大の問題、それは「モザイク」だと考えている。これが無くならない限り、性産業が「次の一歩」を進むことは不可能だろうと考えているのだ。

 この「モザイク」というのは、勿論性器を隠すための"あれ"であるが、今回の議論においては、それ以外にも適応することができる概念的なものだ。

 何故AVにおいてモザイクが必要なのか、と言われれば、現在の日本では、「性行為」を表現することができないからだ。つまり男性器を女性器の中に突っ込んでいようが、「モザイク」をかけることで、「性行為をしてませんよー」という言い訳として使われているわけである。
 そして現代日本でもう一つ大きなモザイクがある。それが「自由恋愛」という言葉だ。「売春防止法」が定めるところの「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」は罰せられる対象だ。だが風俗店の業種形態の一つ、所謂「ソープ」はあくまで「風呂屋」であって、金を払って「男性客」が「女性店員」と「風呂に入る」。しかし、大方の人が知っている通り、当然「風呂に入る」だけでは終わらないわけだ。その先で行われていること、それは全て「自由恋愛」の言葉で片付けられている。
 
 つまるところ、日本では「金を貰って性行為」をすることはできない。しかしそこに「性行為ではない」というモザイクを掛けることで、これを可能にしているのだ
 
 私はこの態度にこそ、一番の問題があるように思っている。
 
この「いやいや、これはセックスじゃありませんよ、そう見えるんですか?」という態度は、「実際に起きている性行為」を軽んじることにはならないか?「性暴力」さえも、「見えざるもの」にしてしまわないか?
 
これは、「AV出演被害防止法案」の改正云々の話の頃にも非常に強く感じたことだった。その話をする前にまず「この国ではセックスでお金を稼いでいる人たちがいる」ことを認めるべきではないのか?そう思って仕方なかった。

 勿論、個人情報の保護などを理由にしたモザイクまで取ってしまえなどと言いたいわけではない。あくまで「これは性行為ではない」という「言い訳」として用いられる「モザイク」に関することへの批判である。

 そして最後に、性産業を「残したい」と願う男たちに提言をしたい。
 「性産業が無くなると、俺たち猛獣になるぞ」なんて「脅し」を言うのはもうやめよう。もし性産業を残したいなら、何よりもまず「女性差別に反対」しよう。
 私はもう、それしかないと思う。性差別と性産業には因果関係がないとするならば、利用する人こそが、「女性差別」に積極的に反対しなければならない。(当然、それは「俺は性差別に反対してるけど、もう現代日本に女性差別なんてないでしょ」とか「日本は女尊男卑!男性差別反対」などという捻くれた態度で達成できるものではない)
 
 無論それさえも第一歩であり、それ以降も不断の努力が必要となるだろう。

 性産業が「性暴力の負の連鎖」の中にあった、かつての時代、それは確かに過去の話だが、その芽まで潰えたわけではないはずだ。

 女性の受けた性被害に対して「冤罪だ」「不用心な女が悪い」というネットの書き込みを見たことがないとは言わせない。
 性風俗やAVの利用客が、女性従事者の容姿や態度を「品評者」気取りで、口汚く罵っている様を見たことがないとは言わせない。

 こうしたネットの流言飛語と、中世・近代社会に存在した、女をかどわかして娼館に売り払い、「あばずれ」と言って女を強姦し、そして娼婦を汚らわしいものと考えた男たちに、どれほど大きな違いがあるのだろうか?

 改めて考えて欲しい。

参考文献一覧

笠間千浪編、2012年『〈悪女〉と〈良女〉の身体表象』青弓社。
コルバン、2018年『処女崇拝の系譜』山田登世子・小倉孝誠訳、藤原書店。
曽根ひろみ、2003年『娼婦と近世社会』吉川弘文館。
田中麻子、2016年『不可視の性暴力:性風俗従事者と被害の序列』大月書店。
デュビィ、2000年『女の歴史I 古代1』杉村和子・志賀亮一訳、藤原書店。
ハーマン、1999年『心的外傷と回復<増補版>』中井久夫訳、みすず書房。
フランドラン、1987年『性と歴史』宮原信訳、新評論。
フランドラン、1993年『フランスの家族―アンシャン・レジーム下の親族・家・性』森田伸子・小林亜子訳、勁草書房。
ロシオ、1992年『中世娼婦の社会史』阿部謹也・土浪博訳、筑摩書房

Foster, Thomas A. 2011, "The Sexual Abuse of Black Men under American Slavery", Journal of the History of Sexuality, Vol. 20, No. 3, pp. 445-464.





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