SAKE DIPLOMA 試験対策を「超える」対策 その10-2【酒母】

こんにちは。

「あと」です。

今回は、酒母の続編です。

前回の記事では、菩提酛に関して述べました。どのようにして雑菌から守りながら酒造りをおこなっていくか。その歴史の始まりが菩提酛に見られることがお分かりいただけたかと思います。

ご覧になられていない方も、是非ご一読ください。


今回は、菩提酛の発展形としての生酛・山廃・速醸を取り上げます。

これらの用語を初めて聞いたという方から、SAKE DIPLOMA認定試験合格を目指す方まで、これらの技術の説明だけではなく歴史的意義までを共に見ていきましょう!

1.生酛が主流になった理由

その誕生以後、巨大な寺社勢力の手により産み出される菩提酛の名声は各地に拡がっていきます。過去記事でも扱ったように、酒蔵と麹屋が争った文安の麹騒動のようなゴタゴタに巻き込まれることも無かったのも、その発展の一因となりました。
(文安の麹騒動に関してはコチラ↓↓↓
https://note.com/ato_ur/n/n9d7f1ecc1439)

しかし、織田信長や豊臣秀吉による寺社勢力に対する弾圧を受け、その勢いも失速。菩提酛をはじめとする酒造りの技術は、各地の酒蔵や杜氏が個々に受け継ぐこととなったのです。

こうして酒造りの担い手が大きく変化する中、台頭してきたのが、摂泉十二郷と呼ばれる上方の酒造地です。特に伊丹地方は、鴻池善右衛門が菩提酛にも使われた技術を応用して酒の大量生産に成功するなど、その勢いは日に日に高まっていきました。

極めつけは、寒造りの開発です。

当時の酒造りは、一年を通して行われる四季醸造が主流でした。その中で、伊丹の酒蔵によって、冬に造られる寒酒の技術が改良されていきます。寒い時期は雑菌の活動も弱まるので、美味しいお酒が作りやすかったのでしょう。菌に関する知識が無かった当時でも、冬に食材が痛みにくいことは経験値としてあったと思われます。

さらに、幕府による統制により、四季醸造が規制されていきます。酒造りを規制することで、税源としての米を確保することが狙いでした。この規制により、寒造り以外の酒造りが度々制限されたのです。その結果、寒造りが酒造りの主流をなすこととなりました。

この寒造りこそ、寒酛、つまり、現代では「生酛」と呼ばれる技法によって造り出されるものです。

生酛作りにおいて重要なのは、低温での作業です。低温化で雑菌の繁殖を抑えつつ、材料を丁寧に混ぜ合わせていきます。すると、比較的低温でもはたらく有用乳酸菌が繁殖。この乳酸菌のはたらきにより、有害微生物が本格的に淘汰される。かわりに酵母が健全に繁殖する環境が整う。その酵母によって本格的な発酵がスタートしていく。これが、ざっくりした生酛づくりの流れになります。

生酛づくりにおいて大切なのが、低温化で材料を混ぜ合わせることで乳酸菌の繁殖を促すことです。しかし、低温化での作業は決して楽ではありません。健全な天然乳酸菌によって育まれる酵母による力強い発酵力が得られる代わりに、作業工程は大変に手間のかかるものでした。

そこに、新たな技術が開発されます。それが、山廃です。

2.混ぜないだけじゃない!山廃の奥深さ

生酛づくりにおいて、特に大変な工程が山卸です。これは、簡単に言ってしまうと、低温化で行われる攪拌作業(これを山卸(やまおろし)と言います)です。攪拌することで、雑菌の繁殖は抑えられ、反対に有用乳酸菌の繁殖に適した酒母が作り出されます。しかし、これは大変な重労働でした。ただでさえ寒い中での作業なのに、山卸という重労働を強いられるのが生酛づくりの難点だったのです。

それを解消する技術として開発されたのが、山卸廃止酛、略して山廃です。

1909(明治42)年に国の醸造試験所が行った実験で、山卸の作業を行った酒母と行わない酒母に成分的な違いが見られなかったことから実用化された。
(SAKE DIPLOMA 教本 P.79)

な、な、なんと、あのツラい山卸の作業は、やってもやらなくても大して変わらないというのです。

仕込みの2~4時間前に、仕込み水と麹をあらかじめ混ぜた「水麹」を作っておいて、そこに蒸米を投入。こうすることで、ツラい山卸の作業を行わずとも、仕込み後の溶解・糖化が早まることが判明したのです。


しかし、ここで疑問が湧きませんか?


水麹には、雑菌は繁殖しないの?

そもそも、こんな簡単なことで重労働から解放されるなら、なぜ明治まで行われていなかったのでしょう?


この疑問を解決する鍵は、これも教本に隠されています。先程抜粋した部分と同じ、P.79です。

1998(平成10)年に出された『日本醸造協会誌』(醸協)Vol.93の「醸造の基本技術 酒母」によれば、(中略)仕込み水100Lあたり5~10gの硝酸カリウムを添加する、といった記述もある。仕込み水に硝酸塩がない場合は亜硝酸が生成されず、早湧き(乳酸が十分に生成される前に酵母が増殖を始めてしまうこと)の危険性があるためという。

日本の水は、そのほとんどが軟水です。飲み水としては非常に適しているのですが、酒造りに必要なミネラルの含有量は少ないのです。硝酸塩もそのひとつで、硝酸塩が亜硝酸反応により生成する亜硝酸には、酒母を有害微生物から守りながら乳酸菌の繁殖を促してくれるはたらきがあります。だからこそ、仕込み水に硝酸カリウムを添加するのです。

そして、この亜硝酸反応が発見されたのが、明治期だったのです。

亜硝酸反応の発見により、たとえ仕込み水が軟水であっても、雑菌の繁殖しにくい環境の水麹をつくることが容易になりました。これにより、山廃の技術は広く受け入れられていきます。

つまり、亜硝酸反応の発見が、山廃という技術が広まる一因となったと言えるでしょう。

3.速醸という名の"豊臣秀吉"

革新的な技術だった山廃ですが、明智光秀ばりの三日天下で主役の座を奪われてしまいます。

山廃が明智光秀ならば、天下を取った豊臣秀吉に当たるのが速醸という技術になります。

山廃は、仕込み水に硝酸カリウムを添加することで乳酸菌の繁殖を促す技術でした。それに対して速醸は、乳酸菌そのものを添加してしまうという方法がとられます。これにより、より一層安全な環境(=雑菌が繁殖しにくい環境)での酒造りが実現されるだけでなく、作業期間そのものも生酛や山廃に比べて1/3ほどに短縮されます。

速醸は、あっという間に全国に広まっていきます。その発表年は1910年。なんと、山廃開発の一年後。そして今では、全酒造量の9割以上を占めるまでに至っています。

なぜせっかく山廃という技術を開発した直後に、またさらに新たな技術がすぐに誕生したのか。

それは、それぞれが開発された場所が異なるからです。


さあ、SAKE DIPLOMA認定試験受験生の皆様。山廃と速醸、それぞれの開発地、覚えていますか?

ついでに、それぞれの開発者の名前も、しっかり暗記しておきたいところです。

一次試験頻出事項であるだけではなく、二次試験の論述問題でも使える知識ですよ!!



正解は、、、



山廃は、開発地は福島県。開発者は嘉儀金一郎。
速醸は、開発地は愛知県。開発者は江田鎌二郎。

両者ともに、開発者の所属は大蔵省醸造試験所です。つまり、国がかりで全国各地で酒造技術の向上が図られていたことが分かります。


注)私は、まだまだ日本酒を勉強したての身であります。記載事項に関しては、自らのSAKE DIPLOMA認定試験合格の武器になったことは事実ですが、専門的見地からすると誤りであることも多々あるかと思います。その際は、ご指摘を頂けると非常に助かります。











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