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戻れるなら何歳になりたいですか?

他の研究者と「院生の頃に戻りたいね」という話題で会話をしたことがあります。「大学院生の頃に戻れたら,そしてもう一度研究人生をやり直すことができたら,きっともっとすごい研究者になれたに違いない」というわけです。

でも,ここには但し書きがあると思うのです。

それは,「ただし,今自分がもっている知識を持って院生時代に戻ることができたら」という但し書きです。

今の知識をもって院生時代に戻れたら,どんなにいいでしょう。もっと将来を見通して研究計画を立てることができた思いますし,もっと柔軟にデータを分析できたでしょうし,論文の質もずいぶん上がることでしょう……とここまで書いてきて,タイムパラドックスになりそうだな,と思いました。院生時代以降に身につけたことが多すぎます。

目次

・積み重ね
・人生のやり直し
・少しずつの進歩
・何歳になりたいかを問う
・十代後半
・年長の自分

積み重ね

要は,そういうことなのだろうと思います。つまり,日々の積み重ねに注意を向ければ,それを捨てて「昔に戻りたい」とはあまり考えないだろうということです。

今の知識を失って,あんなに何も知らない,何も分かっていないような院生時代に戻りたいかと言われると,「ちょっとそれは勘弁してください」と思ってしまうわけです。もちろん今の知識をもったまま戻れるのであれば,戻っても構いません。

でも今の知識を20数年前に持っていって使えるかというと,必ずしもそうではありません。まだ存在しておらず他の研究者に共有されていない方法論も技術も,まだ基盤がない理論も使えないからです。自分でいちから論文を書いていって受け入れてもらう労力を考えると,ぞっとします。

人生のやり直し

人生をやり直すのも,なかなかきついものだと思います。人生をやり直してしまえば,今一緒に暮らしている子どもたちと会うことはないでしょう。

なぜなら同じ両親からであっても,遺伝子的な確率を考えてみれば,今いる子たちとまったく同じ遺伝子セットをもった子が生まれてくることは,まずあり得ないからです。ですので,人生をやり直せば子どもたちとはお別れになってしまいます。それもなかなか辛いことです。

少しずつの進歩

「人生をやり直したい」と思わないためには,自分自身が少しずつであっても何かを積み重ねて進歩していると考えることではないかと思うのです。前よりも何かを積み重ねていること,何かを残していること,何かを学んでいることです。自分の良い方向への変化を自覚することが大切ではないでしょうか。

もちろん,私自身も今後どういうふうに意識が変わっていくかは分かりません。

病気になったり,事故に遭ったり,仕事でトラブルに巻き込まれたり……そういうことがあれば,積み重ねなどどうでもよくなって,「昔に戻りたい」と思うだろうことは容易に想像できます。今の自分自身の状態が,どうありたいと考えるかを規定するということは,十分に考えられます。

何歳になりたいかを問う

青年心理学研究の第3巻に,『年齢を変わることができるとすれば, 何歳になりたいか : 大学生の反応』という論文があります。

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