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「社会に貢献できる人になりたい」

将来,どのような人になりたいかと聞かれて「社会に貢献できる人になりたい」と答えることはよくありそうです。今回は,その背景にあることをあれこれと考えてみようと思います。

ちなみに,いくつあるのかは調べていませんが,大学の教育目標のなかに「社会に貢献できる人材の育成」ということばが入っているところは,結構多いのではないかと予想しています。検索すると,名の知れた大学でも,そのような目標を示しているところは多いようです。社会に貢献するというのは,ひとつの大きな教育上の目標になっているということでしょう。

大学の教育目標

ちなみに,早稲田大学文化構想学部の教育理念には,次のような内容が書かれています。

◎人と情報が地球規模で交流し、文化が複雑に絡まりあい、多面的な様相がみられる時代を生き抜くための幅広い教養をもった人材を育成する。
◎柔軟で豊かな発想力を使って、新しい文化の世界をダイナミックに構想できる人材を育成する。

一方で,文学部の教育理念は次の通りです。

◎伝統的な学問分野を深く学ぶことによって、時代の波に翻弄されることなく、確かな視点から人間の本質を理解できる人材を育成する。
◎伝統の継承と発展に貢献するために、名声におごらず、権力におもねらず、互いに切磋琢磨して人間性を高め、久遠の理想を目指して努力する人材を育成する。

どちらの学部の教育理念にも,社会貢献ということばは入っていないようです。

社会貢献の中身

社会に貢献するというのは,どういうことを指すのでしょうか。少し具体的にイメージしてみてください。

そのとき,「社会の一員になって働く」イメージなのか,「社会を変える」イメージなのかによって同じ「貢献」でもその中身は随分違うように思います。

前者はいまある社会の中に入ってその一員になって社会を動かしていくことを想定しているように思いますし,後者は社会そのものに働きかけてシステムや枠組みを変える変革を想定しているように思います。おそらく「社会自体が変わる」ことをどれくらいイメージしているのかが違うのではないでしょうか。

皆さんがイメージする「社会貢献」はどちらに近いですか?

向社会的行動

外的な報酬や罰を受けることなしに,自発的に他者や社会のためになるような行動をすることを,向社会的行動(prosocial behavior)といいます。誰かに強制されるような行動ではないということと,社会・人びとにとって良い方向となる行動であるという2つの要素が向社会的行動にはあります。

利他的な行動という言い方がありますが,向社会的行動の方が具体的な目の前の人に対する行動に限定されず,より対象が広いと考えて良いようです。

向社会的行動といえばたとえば,寄付やボランティアですね。こういった行動が,社会に貢献するという活動のいちばん純粋なものかもしれません。

向社会的行動の要素を考えると,オリンピックで募集しているボランティアはどれくらい向社会的行動の要素を含むと言えるのかどうか……そこは置いておきましょう。

人を助ける背景

古典的な理論では,向社会的行動の背景にはいくつかのプロセスが想定されるようです。大きく分けるとひとつは共感的な関心を背景とするもので,もうひとつは個人的な苦痛を軽減することです。そして研究が進む中で,さらにそこにいくつかの要素が加わっています。

共感的な関心を背景とする行動は想像しやすいのではないでしょうか。他の人々や社会のことを想像したり関心を持ったりして,その苦痛や困難を解決しようと行動を起こすことです。「助けてあげよう」とする積極的な動機がそこにはありそうです。

もうひとつの個人的な苦痛を軽減するということですが,これも日本の世の中ではよく見られることだと思うのです。目の前の困っている人を見たときに自分自身に感じるネガティブな感情,動揺や不安や混乱が個人的な苦痛です。

共感的関心と個人的苦痛は同時に生じることもありますし,どちらかだけが生じる場合もあります。また個人によってどちらの方を抱きやすいかも変わってくるようです。

加えて,他の人の気持ちを想像する他者視点取得や,他の人と一体化したように感じるファンタジーという要素も,向社会的行動の背景にはあるようです。

そっと見守る思いやり

この個人的苦痛の問題にもかかわると思う問題が,日本でよく見られる「思いやり」にも関係することではないでしょうか。

それは,一見ほかの人のために行動しているように見えて,実は自分自身の不快感を軽減しようとするためにとる行動です。つまり,自分が周囲の人から嫌われないか,恥をかいたりしないか,無用な人間関係の問題が生じないか……そういった自分自身の問題の解決のために「やさしく」ふるまうあり方です。

それは,相手のためを思って行動するのではありません。やさしい行動としてふるまっていながらも,どこまでも自分が中心の視点になってしまっています。

また,そのような自分中心という発想があることによって,他の人が行うやさしい行動を見たときにも「自分の問題を解決しようとしている」と考えてしまったりはしないでしょうか。そうなると,やさしい行動をとる人を目にしたときに,冷めた見方をしてしまいそうです。ボランティアに参加する芸能人を見て「売名行為だ!」と感じてしまうとか,周囲の人が誰かを助けても「周りにいい顔をして!」と思ってしまうのは,背景に個人的苦痛を重視する傾向があるからなのかもしれません。

皆さんが人にやさしい行動をとるとき,背後にどのような動機が隠れているでしょうか。

向社会的行動と性格

向社会的行動は,特定の性格特性と関連しているのでしょうか。その問題を扱った論文のひとつが,これです(Searching for the Prosocial Personality: A Big Five Approach to Linking Personality and Prosocial Behavior)。

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