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三笠

「三笠」は、英国ヴィッカース造船所に発注した六隻目の戦艦であり、明治三十五年(一九〇二年)三月に竣工、直ちに横須賀に回航され、日露関係が悪化し戦時体制に移行した明治三十六年十二月、連合艦隊に編入され旗艦となった。
日露戦争時、ロシア皇帝は不利な戦況を挽回するため、明治三十七年十月、ロジェストウエンスキー中将を指揮官とする第二太平洋艦隊を、次いで翌年二月十五日、第三太平洋艦隊をバルト海のリバウ海軍基地から極東に派遣した。(第二、第三太平洋艦隊の総称がバルチック艦隊である)

東郷平八郎連合艦隊司令長官は、バルチック艦隊は必ず対馬海峡を通過してウラジオストクに向かうと判断し、朝鮮半島南端の鎮海湾に連合艦隊を集結させ猛訓練を続けながら待ち構えた。明治三十八年五月二十七日早朝、仮装巡洋艦「信濃丸」からの「敵艦隊見ゆ」との警報を受信した連合艦隊は直ちに出撃、対馬沖でバルチック艦隊を迎撃し、五月二十七、二十八の両日にわたって激しい戦闘を繰り広げ、ロシア艦隊を撃破、降伏させた。

戦艦がこれほど巨大な物だとは思わなかった。
否、知識の上では知っていても、現物を目の当たりにすると、その存在感に圧倒されるのである。
前弩級戦艦と呼ばれる外洋型戦艦である。
弩級というのは後発のドレッドノート型の「ド」であり、それと同等のサイズ、あるいは性能を有する戦艦は弩級戦艦となる。
その前の段階の巨大戦艦であるので「前弩級戦艦」となる。

「坂の上の雲」の主人公であった秋山真之も日本海海戦においては、この三笠に乗艦しており、教科書などでも見た記憶がある東城鉦太郎が描いた日本海開戦時の三笠の艦橋の様子の場所その物が残されていて、秋山真之中佐の立ち位置に立ってみたりもした。
全体の大きさの感覚は五、六階建てマンションの感じである。

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