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銀座

母は出不精な人だった。
父はあちこち見て歩くのが好きな人だったが母は正反対で、家族で旅行なんかに行っても浮かない顔でついて来る感じだった。
だから母と二人で出かけた記憶といえば普段の買い物くらいである。

ぼくが仕事で東京やら大阪などあちこちに行くようになり、その話を母にすると「へー」だとかの気のない返事ばかりしていたが、初めて銀座に行った話には珍しく乗ってきた。
そんな反応するなんて珍しいね、と言うと、若い頃、ぼくが生まれる前の話でまだ父と出会う前に一度だけ行ったことがあるという。
中央通り(母は『銀座の通り』と言っていた)にはまだ都電が走っていたらしい。
廃止されたのは昭和42年だというから昭和30年代のことだろう。

(人がようけおってねぇ。はじめはなんぞお祭りでもあるんかしゃんって思ったわ)
(わたしなんか名古屋でも田舎だもんで、人がたくさんおるのを見ただけで疲れてまったわ)
(銀座の恋の物語の頃だわ)

(和光っていうの?あそこに連れてってまったわ)
(あの辺たまにテレビで見ると、あー懐かしいなぁって思うわ)

誰に連れて行ってもらったのかなんて野暮なことは聞かなかった。
出会う前というのだから父でないのは確かだ。

人の戻ってきた銀座を歩きながら、そんなことを思い出していた。
連れてきてやりたかったなァ、と独り言を呟く。
その日の若かった母に思いを馳せる。

#銀座 #母の記憶 #エッセイ

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