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六道の辻(2014)

「六道」とは、仏教の教義でいう地獄じごく道・餓鬼がき道・畜生ちくしょう道・修羅しゅら(阿修羅)道・人道(人間)・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報いんがおうほうにより、死後はこの六道を輪廻転生りんねてんせいする(生死を繰返しながら流転する)という。 この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世のさかい(接点)の辻が、古来より当寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきた。
六道珍皇寺山門と門前「六道の辻」の碑
このような伝説が生じたのは、当寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送りのべのおくり」をされたことより、ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことと、小野篁が夜毎よごと冥府通いのため、当寺の本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろう。この「六道の辻」の名称は、古くは「古事談」にもみえることよりこの地が中世以来より「冥土への通路」として世に知られていたことがうかがえる。

六道珍皇寺公式サイトより

1599 ( 慶長4 ) 年のこと、江村氏の妻が亡くなりました。土葬が済んで数日たったころ、土の中から赤ん坊の泣き声がします。そこでお墓を掘り起こしてみたところ、亡くなった妻が赤ん坊を産み落としていました。
そういえば、夜な夜な近所の飴屋に飴を買いにくる婦人がありました。赤ん坊が掘り起こされたあと、飴を買いにこなくなったそうです。江村氏の妻は幽霊になって飴を買い、赤ん坊を育てていたのです。
お墓から掘り起こされた子どもは 8 歳のときに仏門に入り、のちに有名な僧侶になったということです。 やがて、この飴には誰いうとなく「幽霊子育飴」という名がつけられ、京都の名物になりました。

みなとや縁起

落語では妻の墓所は高台寺にあって、「それもそのはず墓所は『子、大事 ( こうだいじ )』」とサゲる。
お伽話ともつかない様な話のデティールが実際に在る不思議さ。
僕が感じる京都の魅力はそんな所にもある。
( 写真は上から、1. 六道珍皇寺、2. 小野篁冥土通いの井戸、3. 井戸の縁起書、4. 六波羅蜜寺、5. みなとや )

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