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北陸にて

承前

郵便受けにあったそれが、彼の結婚式の招待状であることに気付くのに暫く時間がかかった。
相手の名前を見て、さらにそれが誰だか分かるのに数分かかった。

は?

僕は年賀状をひっくり返して友人宅の電話番号を確認した。

「お?もう届いた?」
うん
「出てくれるんだろ?」
出るさ、出るけど、お前相手って…
「あー、あのトモミちゃんだよ」
あれからずっと付き合ってたのか?
「まぁ … そういうことになるわな」

僕が鈍かったのか、あるいは友人が巧妙だったのか。
まったく気がついていなかった。

「タンデムってさ、こう何ていうか、距離感みたいのがぐっと一気に縮まるのさ」
でも、結構な遠距離だったろ
「そうだなぁ」

僕らは久しぶりに一杯遣る約束をして電話を切った。
旧友が結婚する。
これは喜ばしいことだ。
その上、二人が知り合うきっかけになった出来事に僕も同席していたのだから、喜ばしいことこの上ない。
だけども僕はトモミちゃんがあの日、浜でこぼした言葉が気になっていた。

「付き合ってた男が性質の悪い男でね、こっちに戻っても追いかけてくるのよ」
「でもトモミちゃんは、もう付き合う気はないんだろ」
「うん」
「警察とかは?」
「事件でもなけりゃ何にもしてくれないよ」

僕はそんな二人の会話を苦々しく聞いていたのだ。
初対面の女の子の、そんな内情を聞きだしてどうすんだ、と。
そうか、こいつはもうその気だったんだな。

会社帰り、数年ぶりに会う友人は変わったところなどなく、僕を人ごみで見つけると破顔した。

「いやいやご無沙汰」
おう

こうなったら僕は聞き出すつもりでいた。
その「性質の悪い男」はどうしたんだ、と。
最初は「そんなのどうでもいいじゃねぇか」と渋っていたが、やがてポツリポツリと話し出した。

「直接対決」
ええ?
「チンピラってか、チンピラにすらなれないような詰まらん男だった」
まさか暴力沙汰とか言うんじゃないだろうな
「ご明察」
は?
「ほら」

そういうと友人は右手のシャツの袖をまくった。
そこには長さにして 20cm ほどの切り傷の跡が残っていた。

「さすがに俺も拙いと思った」
思うだろ、そりゃ。
「そしたらさ」
うん
「あのスナックで会った漁師のおっちゃん覚えてる?」
おお、あの声のでかい
「あの人がさ、またタイミングのいい事に通りかかったのさ」
マジかよ
「あの体格でしょ、あの声でしょ、普通の判断ができる人なら逃げますわな」
ほう
「まぁ、オレに切りつけた時点で動転しまくってましたがね」
で、その後は音沙汰なし?
「そうらしい」

この男、実は昔から武勇伝が多い。
冒頓としているせいか舐められやすいのだけど、怒ると見境がつかなくなる。
だが刃傷沙汰とは穏やかではない。

警察には?
「病院に行って縫ってたら来た」
そいつは逮捕されたのか?
「心当たりがある奴かって聞くから、知らん奴だったと答えた」
アホか、お前は
「知ってると答えると、何だかんだと面倒になるのはトモミちゃんだ」
そうだけどさ

僕は彼の傷を見た。
酒のせいか、傷口の周りが赤くなっていた。

「俺はトモミちゃんに 5 年待ってくれと言ったのだよ」
5 年?
「5 年でトモミちゃんを迎えにくる。仕事して金を貯めて」
大した男だな、お前は
「知ってる」

その晩僕らは強かに酔い、爺になって、それでもまた足腰が立ったらツーリングに行こうと話した。

「今度は豪勢な温泉宿だ」
清く貧しくはどうした
「文学を志すものは爺になって金持ちになる前に死ぬからな」

それから 3 年後、友人は事故で亡くなった。
梅雨空の下、コントロールを失ったトラックに跳ね飛ばされたのだ。
トモミちゃんのお腹には新しい命が宿っていて、3 回目の結婚記念日を 1 週間後にしていた。

「丁度ね、名づけ親には君になってもらおうかって話してたの」
え?

通夜の晩、トモミちゃんがそう言った。

「本気だよ。あの日一緒にいたのは君なんだから」
そんなのできないよ

トモミちゃんは黙って棺の中の彼を見ていた。

「ツーリングの約束したんでしょ」
うん、爺になったらってね
「この子と見送りたかったな」
うん
「いってらっしゃい、気をつけてねって」
うん
「今度はスナックにいる女の子とタンデムしちゃダメよって」

6 月には思い出すことが多い。
自分が心臓を患ったのも 6 月だった。

墓前に花を手向けながら、僕は呟く。

なぁ、何時何所に行くよ?

終わり

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