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桜桃忌

6月19日が桜桃忌である。

かつてはとても好きな作家であった。
しかし為人を知るにつけ、心から嫌悪する男に成り下がった。
先日行った近所の鰻屋の「若松屋」は三鷹時代に太宰が通った店とのことだが、あまり深く触れなかったのは、そのためだ。

デカダンのみならず、一連のユーモアあふれる作品群を読んで、余計に思う。

岡崎時代の住まい

どう考えたって神経症の金持ちのボンボンの心中ごっこに付き合わされた女性が気の毒である。
熱を上げた芸姑と駆け落ち同然に同棲し、実家の応援もあって、ようやく結納を交わした明くる日にカフェ女給と3日間過ごした後に心中。
女給は亡くなるが、太宰は一命をとりとめ、元鞘で元芸姑と仮祝言を挙げる。

学費未納で東大を放校、新聞社も落ち、鎌倉で自殺を図るも失敗。
腹膜炎で入院した際に用いた麻酔薬をきっかけに薬物中毒に陥る。
同年に芥川賞候補になるが、石川達三に次いでの次席。
審査員だった川端康成を批判するが、翌年には川端に芥川賞受賞を懇願する手紙を送っている。
しかし、もう新人ではないと除外されてしまう。
薬物依存が深刻なので周りが入院を勧め、その入院中に妻が不貞。
またも自殺を図るが、これも失敗。
都合4度目。

離婚後、石原美知子と見合い再婚。
三鷹に居を構える。
終戦後、愛人の太田静子との間に治子が生まれる。
同時期に山崎富栄と出会う。
「斜陽」「ヴィヨンの妻」は、この頃の作品。
結核が酷くなるが、富栄の献身的な看護もあって「人間失格」を執筆。

岡崎の住まいからの眺め

1948年(昭和23年)6月13日の深夜、玉川上水にて入水。
19日に遺体が発見される。

お前は一体何のつもりだと、小一時間は問い質したい。
いくら素晴らしい作品を残したとしても、人間としては1mmも尊敬出来ないのである。
ただの思い上がりだけであればまだしも、他人を巻き込んでの心中騒ぎとなると穏やかではない。

名作もうら若い女性2人を死なせた罪を消せる物ではないのだ。
逝きたきゃテメェ独りで逝きやがれ、である。

ナツツバキ

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