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未曾有の時代に

ぼくは1966年生まれだ。
戦後20年が経過し、街には目を凝らさないと、その痕跡を見つけることすら難しくなっていた頃である。
高度成長時代も終焉を迎え、公害問題が顕在化した。
小学生の頃は、光化学スモッグ警報が発令されると、休み時間に外で遊べない事もあった。
大学生の頃に日本経済はバブル期に入った。
狂乱の時代ではあったが、何をするにしても資金が潤沢であって、その時代に生まれた物には贅沢な作りをしている物が多かった。
ここまでは幸福な時代。

1995年1月、阪神淡路大震災。
同年3月、地下鉄サリン事件。
この辺りで、大きく何かがシフトした気がしている。
それまでなんの疑いも持たなかった隣人が、俄に信じられなくなった。
もちろん悪い事ばかりではなかったが、2011年3月の東日本大震災に続く「嫌な予感」はその都度、人々の心を苛んでいた。
それらはほとんどが未曾有の出来事だった。
それまでに誰も経験した事がない出来事。
あらゆる事象を未曾有ではないとするのは、人間の傲慢と言えるかもしれないが、それまで拠り所にしていた心の奥底にある部分をつき壊していくのは、やはり未曾有なのだろうと思う。

地震や豪雨、台風や火事など、人智の及ばない自然界の出来事への無力、畏怖の気持ちが高まった頃、COVID-19は発現した。
なす術なく、ただその猛威に曝されている。

やがて、このウイルスに対しても有効なワクチンは見つかるだろう。
人々は、この未知のウイルスに対して勝利したと思うのだろう。

でも「未曾有」の出来事は続く。
予想もつかない出来事は必ずやって来る。
人々は翻弄され、泣き、叫ぶ。
もう世界は終わるのだと諦観が溢れる。

でも。

人々は立ち上がる。
しゃがみこんでいても、上着の埃を払い、小さく咳をしてから、ゆっくりと前に進み出す。
なぜそう言えるのかって?
人々はいつだってそうして来たから。

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