いのちを大切にしなければいけない、その理由について。

こんにちは。この間書かせて頂いたブログの内容は如何でしたでしょうか?前回は人の人生における運命というものについて書かせて頂きましたが、本日は今回も唐突ですが、コロナ禍ということもあり、いのちというものについて書かせて頂こうと思います。

本当は生命と書いて、いのちと読んで欲しいとも思ったのですが、なんか、科学的とかではなく、もっと単純に説明できたらなぁと思って、あえて平仮名で書かせて頂きました。

さて、本日のお題目である「いのち」というものなのですが、基本、ここで語るこの言葉に対する定義と致しましては(文章が固いな・苦笑)、正に天から生命というものを与えられているもの、それらを前提に書かせて頂きたいのですが、この僕らに与えられているいのちというもの、やはり、みなさん、これらについて人生で一度でも考えたことはありますよね?

なんで、僕らはこれらいのちというものを与えられているのでしょうか?

これは僕らが生きる三次元の世界だけの話なんだけど、この重い、物理学で構成された世界で生きる為に、この僕らは限りあるいのちというものが与えられ、そこでいろんなものを体験させてもらっているわけだけども、これは人間だけでなく、ここ地球に生きるすべての生物だけでなく、この僕らの生きる宇宙すべてに生きているだろう、全生物においても同じことなのだが、なにかの意味があってこうして僕らはいのちを与えられ、物質化して生きているわけなんだけども、では、この天から与えられているいのちというものをなんで大事にしなければいけないか?ということについて言及して行きたいと思う(固いな・・・苦笑)

こういう観点からこれらいのちについて考えて欲しいのだが、これら僕らに与えられているいのちというものは、この世に生きる、機会や権利を与えられているということなんだけども、これらの権利は、僕らでいえば、猛烈に長い歴史があり、遠い昔の先祖がひとに恋をした、あるいは、恋をしなかったとしても、ひととしての営みがあったからこそ、これらいのちを繋いでくれたものであって、それがいいことやわるいこと、すべてを通して先祖が僕らに正に自分達の人生を通して命がけで渡してくれたものであり、だからこそ、いいもわるいも、この自分に与えられたいのちというものを大事にしなければいけないと僕は考えるのですね。

何度も言うけど、いいもわるいも含めてね。

例えば、生きる為に悪いことをしなければいけなかったり、生きる為に自分自身に嘘をつかなければいけなかったりね。はたまた、なにかを学ぶために壮絶な人生を自ら選んで生れてきたりと、僕らのご先祖様は本当にいろんなご苦労をされて、こうして僕らが生きるいのちというものを繋いでくれたんだということなんだけど。

で、ここで少し話は変わるけれども、最近、世の中が微妙なので、自分の子供たちを産まない人生を選んでいる人達。僕は彼らの考えを否定する権利はないのだが、僕のこれらの観点からすると、こうして自分に繋げてくれたいのちのリレーというものを自分で終わらせてしまうワケであるから、ずいぶんと傲慢な考え方をする人たちなんだなと思ってしまうことがあるんだね。

もちろん、自分達から産まれて来るだろう子供たちの未来を保証できないのであれば、やはり、子供はつくらない方がいいのかも知れない。でも、この世に産まれたがっている魂に対しては、あるいは、自分までこのいのちを与え続けてくれたご先祖に対しては、どう申し開きができるのだろうと思ってしまうことがあるんだね。

子育てに対しても、保証などできるものではなく、全力を持って対処するしかないわけだし。全力で対処して、ダメなものはしょうがないし。全力出してダメだったのだから、そこから対応策を考えればいいと僕は思ってしまうんだね。

とにかく、そういう意味において現代人は、自分のことしか考えない、近視眼的な生き方をしている人が非常に多いような気がしている。

自分が今いる立ち位置というものを、全世界を通して体現していないというか、本当に人生含めてのもすごく狭い世界でものを考えているような気がするのだ。

自分のどうでもいい小さなプライドだけを大切にして、本来大切にしなければいけないものに対して全然目が向けられていないというかね。

今回のコロナでもそうでしょ?

前のブログでも書いたけど、今回のコロナウィルスの発生理由について、インドの占星術師アビナアギァンド君の話をしたと思うんだけど、こうした視野の狭い人々は、平気で他のいのちを踏みにじっているような気がするんだよね。

僕らが日々の生活において食材を買い求めているスーパーにあるものは、元はすべてそのほとんどが生き物だよ。

それだけでなく、例えば今、居酒屋さん等外食産業の人達はとんでもなく大変な状況に身を置いているわけなんだけれども、特に呑み屋さんや旅館などでいえば、特にやはりアルコールが入るところにおいては、この他の生物から頂いたいのちをどれだけ無駄に捨てていることか!!

これは本当にあり得ない話で、先程の僕らのいのちのリレーについて話させてもらったけれども、すべての生物においてもこれは同様で、本当に命がけでそのそれぞれがいのちを繋いでいる。

その本当に大切ないのちが捨てられているなんて、考えただけでも泣ける話じゃないか!!

僕らはその途方もない他のいのちの犠牲の元に成り立っているんだよ!!

それらを考えたことがあるかい??

自分のいのちは、その自分の遠いご先祖からの命がけのリレーで得たものであり、かつ、その維持の為に尋常じゃない量の他の生物のいのちの犠牲の元に僕らは生かされているんだよ。

自分のいのちを考える場合、ここを考えて欲しい。

自分のいのちは、自分だけのものではないということを。

もちろん、それをもとに生きる人生においては自由だ。

どう生きようが、そこは自由。

でも、ここまで大切に繋いでくれた自分のいのちは大切にしなければいけないし、もちろん、僕らを生かせてくれている他の生命に対しては、本当に感謝して生きなければいけないと僕は思っている。

だから、日本においては、それら犠牲について、本当に今日もありがとう!という気持ちを込めて祈った後、食事をするよね?

ここが大事なんだ。本当。

そして、恐らくだが、これらを普段から意識して生きている人達に対しては、これらコロナウィルスは効かないんだと思う。

コロナウィルスの発生理由が、家畜含めて動物を大切にしないことがその発生理由だとしたらね。

こういうのが僕が推奨する霊的な生き方なのだ。

すべてには宇宙の片鱗としての魂、霊が宿っている。

それを大切に生きる、生き方。

それが霊的な生き方。

目に視えるものだけがすべてではなく、実はこの世は霊性すべての中にこそ存在し、受肉化し、体験→進化する為に生きていると。

また、難しい表現になってしまったかな??(苦笑)

だから、他人や自分、他の生物などのいのちとういものは大切にしなければいけない、そういうお話でした。

さぁ、3000文字に至り僕の脳も筆も弱って来たぞ(笑)

カラータイマーが鳴って来たので、今日はこれまでとさせて頂きます。

それではみなさん、また、次回お会いするまで、与えられたいのちというものを精一杯生きてください。

それがあなたがこの世ですればいい唯一のことだから・・・

それではまた徒然なるままに。

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