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悲しみの先は「愛」

前のブログと少し重複します。


今回、様々なご縁と大いなる導きによって大麻の奥深さや天と地を結ぶ「ここに在る。」という学びをさせて頂きました。そんな中でたくさんの気づきと癒し、祓い清めによって禊ぎをさせて頂いてるような魂が研ぎ澄まされた体験をシェアしたいと思います。
これから少し長くなりますが、どうぞお付き合い下さいませ。
2021年 8月2日 午前零時 (死亡推定時刻)
息子は27年の人生の幕を閉じ窮屈な器(身体)を離れ、自ら旅立っていきました。
ハイツで一人住まいだった息子は、自宅を出る前にブレーカーを落とし想い出のある他県の海へと車を走らせたようです。誰にも何も告げず、今生との縁を断ち切るかのように財布やスマホ、鍵などは投げ捨てたのか見つかりませんでした。
息子と会ったのは転職の相談に来た1年前でして、声を聴いたのは昨年の年末頃が最後でした。今年の5月、息子の誕生日に電話しようかと思いながら近くに住んでいる安堵感からか「今度でいいか」とスルーしてしまった自分を責めました。
他県でのことでしたので、事件性があるか否かなども含めて警察は動いておりましたので、息子の亡骸と対面できたのは発見されてから10日が経っておりました。奇しくもその日は私の誕生日だったのです。
それまでに1度だけ息子の魂は私に伝えてきました。
「死を選んだことは後悔してない。でも、今生やってきた事は後悔してるねん。でもお母さんのもとに産まれた事は後悔してないで。ありがとう。」
涙が溢れて止まりませんでした。ありがとうなんて言ってもらえることなど何もしてあげてないのにと、胸が苦しくなりました。
私が積み上げたカルマをも受け継がせてしまい、カルマを断ち切る手段もあるよということも教えて頂いていたのに、現実の厳しさに迷いが生じ行動出来なかった私。
ご先祖様の因縁をも、今ここで私が断ち切る事ができるチャンスを私は逃していたのです。私は浅はかだったと、また自分を責めながら自問自答の日々を送っていました。それでも今はこの現実世界という幻想の中で埋もれさせて下さいと神に乞い、自分にyesと言いました。
そんな中、どうしようかと迷っていたことに対して私の中でモヤモヤとした気持ちが湧きあがり、どうしたいのかという自分への問いかけに「よし!やろう!」と決めた瞬間、涙が込み上げてきて悲しいのか苦しいのか言葉にならない感情が湧き出し、2.3日涙溢れる自分を静観していました。
呼吸を整えようと瞑想した時には、「愛のみ、ただ愛だけ」そんな言葉がす~っと入ってきて体が震え泣きました。
数か月前から決められていた講座に向けて宿題があったので、ただただコツコツと創作。その間は自分の内側と向き合い整えてもらった時間でした。そして、これも必然的でしょうか講座の初日が、息子の四十九日となりました。
惹きあった仲間に囲まれ神聖なる空間を共有し、天と地を結ぶ「今ここ、私がある」産靈(ムスビ)を魂の奥深くに浸透させ、多くの学びをさせて頂いた時間。
魂が震える
という体験を初めてしました。グググと肚の底から、黒いものが引っ張り出されるような感覚を味わいました。
また一つ、人生の切り替えの前に大きな痛みを体験することによって、私自身の進むべき道がようやく明らかになりました。
それまで、ただ単にヒプノセラピストとしてクライアントの魂に寄り添い、新たな道への道標の役目だと、それが私の使命なんだと思っていたのですが、自分が感じていたこと以上でした。魂の根底にある”それ”は計り知れないほどの奥深さと重さがあり、大いなる愛そのものでした。”それ”に気づきを与える為に宇宙は神は愛をもって「ギフト」を下さる。それが、私にとってどんなに辛く悲しい痛みだとしても・・・。
物質物体のある3次元では、器(身体)がなくなれば声を聴くことも出来ず抱きしめて体温を感じることもできないので、寂しさが込み上げてきますが、意識を向けるとすぐそばにいる、私の中にいるのです。物体があれば出来なかったことが、魂に還ると大いなる愛で包んでくれているのです。
息子は私の中に在る。
だからもう、悲しみは要らない。
愛ある仲間に囲まれ、偉大であたたかく素晴らしい師に出逢いを頂いたお蔭で、ご先祖様から受け継いだ人としての「和」「輪」「環」を学ぶ事ができました。
「わたし」の根源へと還る。
決めた!前へ進め!
全ては自分の内にある。
全てはひとつ。
全ては愛のみ。
ありがとう。愛してるよ。
また会おうね。

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