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真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび ~ 番外編

犬養孝博士を悼む 中西進-なかにしすすむ

万葉の言霊解き放つ 一犬養節一で歌は木精に

 万葉学界の長老、犬養孝博士が亡くなられた。ゆうに百歳は超えられるであろうと思っていたのに、まことに残念であった。
 犬養博士は、かならず歌を朗詠された。五十年近くお付き合いしていると、時期によって少しの変化があるが、いわゆる「犬養節」は変わらない。とくに晩年の朗々とした詠みぶりはみことで、よく聞き惚れたものだ。
 詠み方は百人一首調である。その理由もあとで知り好ましく思ったのだが、博士は若き日、旧制中学生に手製の万葉かるたをとらせていたらしい。複製されたものをわたしも頂戴したが、百人一首ふうによみ札ととり札が博士の筆で書かれている。
 これに淵源するとなると、百人一首調にならざるを得ない。もちろん、万葉時代の歌の詠み方がわからない現在、詠み方は、よければよい。とくに博士は美声の持ち主で、歌もお上手だった。
 「故郷」などもたくさんの人と一緒に歌っておられた。
 さてこの朗詠こそ犬養学の貴重な骨格のひとつである。貴重だと思う理由は、近ごろ、万葉の歌を音声の上から考えようとしない傾向が増えているからである。『万葉集』をいま書店で並んでいる姿のごとく、錯覚している人が多いのである。
 よく話題にするのだが、奈良時代の手紙が残っていて、それは使いの者に手紙を持たせてやりながら、肝心の用事は書いてない。「用向きは使者が言上します」とある。そんな時代が万葉時代である。
 万葉の歌ではことばの音が生きている。「来んというも来ぬ時あるを来じというを来んとは待たじ来じというものを」という一首などどうだろう。
 「よき人のよしとよく見てよしといいし吉野よく見よよき人よくみつ」も、書かれただけなら、おもしろみはほとんどない。『万葉集』の歌を文字として見るのは、寄席の落語を書物で読むのと一緒である。半分死んでいる。
 いわゆる「枕詞」というのも、無意味につけるはずがない。なかば音楽に依存しながら聞きなれたリズムの中に相手を引き入れつつ、歌いかけていく。なにしろ、「うた」は「うった(訴)える」ものなのだ。ことばのひびきやリズムは、もっとも人の心を動かガ)やすい。
 ところが現代人は、ことばを意味だけに置きかえて使っている。ひびきの美しさなど日常語では邪魔にさえされかねない。せいぜいことばのひびきの美しさを考えるのが、四股名と芸名だというのは、情けない。
 この現代人と正反対なのが万葉びとだった。ことばの音楽性を十分大切にし、ひびきも意志を伝える大きな武器であった。
 そこで万葉の歌を生かそうとするには、朗々と声をあげて味わうしかない。事実、声に出して詠んでみると、新しい発見をすることも、少なくない。
 博士が歌を朗詠されると、講演会の会場など、一種異常な雰囲気に包まれたことが、よくあった。来聴者は、十分な歌の力の前に、わけもなくとりこにされてしまうのである。 古代、歌をチャンネルとして人間と神は会話をかわした。また、相手をやっつけることむことを「言向け」といった。歌を相手に向けて歌うと、相手をことばで圧倒してしまうのである。
 万葉の歌の魔力は、朗々とした歌のひびきにやどり、歌われた歌は、言霊をいかんなく発揮した。
 博士が野外に立って朗詠されるのも、よく聞いた。とくに博士は古代そのままの風土を愛されたから、その大自然の中に、歌の言霊は、はるばると放たれ、木精となった。
 その意志を継承しなければならない。(大阪女子大学学長・古代日本文学、比較文化)

(犬養先生が亡くなった折、令和ですっかりお馴染みになった中西博士が新聞に寄稿した追悼文です)

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