『日本児童文学』評論新人賞へ応募する
さて、書くぞ、書くぞ、と言ってなかなか書き出さない『日本児童文学』評論新人賞の研究文。
(いえ、メモ書き程度は、いっぱいしております)
そろそろ、煮詰まってきました。
たくさんの関連書籍を図書館を梯子して借りまくり、読みまくりました。
今回の岩瀬成子論をどんどん考えてゆくと、江國香織や戦後の児童文学史の行方に関わってきてしまった。
すると、13年前にやっていた慶應通信で卒論として書いた12万字のマンガ表現論で勉強、
そこで研究した広義の日本児童文化史(手塚治虫以前の、大城のぼる『汽車旅行』など漫画は戦前、児童文化ですよ)や、
次に放送大学大学院で、14万字の絵本論での修士論文でやった児童文学史の勉強が蘇ってきた。
手元に、山ほどある日本児童文学の歴史や研究の本を読み直す作業。
文字通り、過去との対峙・再会。
あの時と圧倒的に違うのは、僕の中の創作者としての経験値。
詩人としての多種多様な表現の習熟感覚、小説創作で得たテーマへの勘所などなど、今、その時と同じ本を読んでいても、見えるものがまるで違う。
まるで、名探偵が過去の隠された事実を掴むように、どんどん明らかにされる証拠の数々。
うーん、物語なら伏線回収して、読者に謎解きをするパートですね。笑
今の僕にしかできないこと。
13年前の僕には、見えなかったことがくっきりと見えるよ。笑
(こうしてみると、やはり、これもシンクロニシティな出来事で、ここで必ず通るべきイベントだったのか、と思う。
これらの本、捨てないでもっていて、よかった。
まだ、時代小説用の資料とか、児童文学関連での復刻版とか、活用しきれていないもの、たくさんあります。笑
あれらの伏線も、いつか回収できる瞬間が来るのかしら?)
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これは、もう単なる表現論ではなくなってしまう。
児童文学史とも関連したものになりそうだ。
それらをきちんと放出・放電してみせようか。
30枚では短いな。
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