詩誌『びーぐる』54号の入選と詩誌の傾向あれこれ(ブログ’22年1/29からの転載)

先日、書いた詩誌『季刊 びーぐる』の入選作品についてです。



以上のような、ものなんですが、
他の入選者の方も結構、『ユリイカ』とか『現代詩手帖』とかのお馴染みの名前が多くて、
少し恐縮してしまいます。

僕がファンな勝部さんの名前もあって、嬉しいです。
何か、中原中也賞候補になった知り合いの方から、もう候補になった時点で、
慣例として、投稿欄へ作品は置かず、詩集で勝負するのか暗黙の了解だと聞いたことがあります。

その方は、最初から『ユリイカ』や『現代詩手帖』にバンバン載っていたので、
そうなんだ、と遠い街の話として聞いていました。
勝部さんや、雪柳さんもやがて、投稿欄ではお見かけしなくなるのでしょうか。

ところで、
『ユリイカ』『現代詩手帖』『季刊 びーぐる』『詩と思想』そして『ココア共和国』。
それぞれの詩誌の特徴は,明確に分かれている気がします。

まず『ココア共和国』は特化した掲載数の多さが、実にさまざまな種類の詩を受け入れる懐の深さがあると思います。
その傑作選と佳作選の違いも緩やかなランク付けで、
いや、この佳作の方が凄いと思うんだけど、と己れの詩観との違いを振り返らせる効果があります。
反面、なかなかきっちりした講評を全てに書くことが量的にできないと思われるので、
自分の特質を気付かされる効果は少ないのが欠点でしょう。

対して、他の詩誌は掲載数の限定で、明確に講評を手厚くできるので、
自らの特色を理解し、切磋琢磨できる成長性が高いと思います。
僕自身、毎月の某地方新聞の投稿欄での選者の方の講評で、育ててもらった経験があるので、
これを強く感じます。

『ユリイカ』『現代詩手帖』はどちらも、象徴詩的な暗号化の潮流にありますが、
その度合いは『現代詩手帖』の方が激しく言葉遊び的な部分どころか、暗号そのものの、抽象化の極限へ到達しています。
『ユリイカ』は選者一人なので、その人の詩観次第でしょうか。
前任の和合亮一さんは、決して象徴詩一辺倒ではなかった、と思いますが、
やや長文がお好みでした印象があります。

『季刊 びーぐる』は、今回、自分の詩が載ったことで、プチ象徴詩も許容する個性重視なんだな,と感じました。
『ユリイカ』をさらにマイルドにした感じでしょうか。

最後の『詩と思想』は、どうなんでしょう。
どちらかと言えば、非象徴詩、抒情詩派、具体派的な印象を、
僕は持っています。
つまり、どこか、分かりやすさへの希求が強く、
反象徴詩的な傾向があるように感じています。
その新人賞については、今回、勝部信雄さんが受賞されたことで、その透徹した物語性を高く評価した訳で、やや違うと思いますが。

今回の『びーぐる』へ掲載された僕の詩は、社会風刺を含んだ、ちょっぴり象徴詩だったんですが、果たして『詩と思想』に応募していたら、どうなったでしょうか?

僕個人は、出来るだけ思想的な深さのあるものを『詩と思想』へ送っていたつもりなんですが、
投稿欄には一つも載りませんから。笑
依頼された詩作品は、少しだけ象徴詩的な異化を弱めた作品にして、
分かりやすさを,目指しますね。

思う存分、異化効果のある分かりにくいやつは、〈新しい詩の声〉賞に送ります。


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