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デザイナーに聞く、タキガミアヤネという人物①

ATing Jewelryはデザイナーズブランド。
その根幹はどこのブランドでもそうでしょうが、デザイナーのあり方にあります。

今回はATing Jewelryのデザイナーであるタキガミアヤネに直接その人となりを訪ねることでATing Jewelryを紐解いていきます。

ATing Jewelryとは

ATing Jewelryについて、もう一度ご存じない方にも教えてください。

デザイナー・タキガミ)
ATing Jewelryは名古屋を拠点に制作活動しているジュエリーブランドです。
デザイナーである私(タキガミアヤネ)が石の買い付けからジュエリーのデザインを行なっています。

ATingとは造語で、デザイナーのイニシャルA(アヤネ)T(タキガミ)に現在進行形のingを付け、今現在の自分に似合うジュエリーを提供することをコンセプトにしています。

デザイナー・タキガミアヤネ

その生い立ちは


現在は名古屋と東京を中心に活動していますが、元々のお生まれは?

デザイナー)
名古屋生まれの名古屋育ち、生粋の名古屋人ですね(笑)
味噌煮込みうどん、天むす、赤みその雑煮が我が家の定番です。

お仕事で東京と名古屋を行ったり来たりするフットワークの軽さ。そのスタンスはいつから?

デザイナー)
昔からですね、高校生の時もどうしても欲しいストッキングがあって。
雑誌のVOUGEに掲載されていた南青山のお店まで新幹線に乗って買いに行きましたね。それからずっと20年そのブランドを愛用してます。最近は名古屋でも買えるようになりました。
欲しい!とか、何かしたい!と思ったら即行動しないと、次にしようと思っているうちに飽きてしまうんです。
本当に損な性分です。

タキガミさんには“旅行“、特に海外というイメージがあるのですが、いつ頃から行かれていたのでしょう?

デザイナー)
海外旅行好きの祖父に連れられ、幼少期からヨーロッパやアジアなどを回り世界には見たことのない素敵な場所がたくさんあることを知りました。
小学生の時にはすでに欧州を6か国、パスポートも持ってましたね。
学生時代にはバイト代をつぎ込み、オーストラリアへの短期留学やヨーロッパを巡りました。一人旅もまったく抵抗ありませんでした。

ただ自分のポリシーとして、バックパッカーにはならないとは決めていました。必ずスーツケースを持っていく。そしてアパートを借りたりして、自炊するのも私の旅のルールです。

これだけ海外旅行をしていたので、旅行業界に就職したかったのですが、リーマンショックで超就職氷河期に。
夢はかなわずやっとの思いで就職した会社に、その後5年間お世話になりました。

わたしの人生はここで決まったと、今でも思っています。

デザイナーになるきっかけは何?


先ほどの内容の最後に
”わたしの人生はここで決まったと、今でも思っています。”とありますが、それはいまのデザイナーとしての人生が決まったということですか?

デザイナー)
そうです、今思えば新卒で入社した会社に就職したときからデザイナーとして活動する人生に導かれていたのではないかと思いますね。
それくらいその会社で出会った人、習得したノウハウ、社会人としての立ち振る舞いは今の仕事に120%生かされています。

会社ではどのようなお仕事をされていたんですか?

デザイナー)
入社してから三か月目で手芸部門のバイヤーと販売員を兼任することになりました。ペーペーの新入社員が年上のベテランさんの上司に当たるので、最初のころはとにかく猛勉強です。
仕事はすごく楽しかったです、今思えば(笑)当時はツライと思ったこともありましたが、いろんなことを経験した今でこそ、あの時は楽しかったなと思います。

ではななぜ退職された?

デザイナー)
新しいことがしたくなったんです。
でも会社を辞める理由がなくて(笑)まだ何がしたいか決まってなかったんです。
それで上司や周りには「留学したい」って言い始めたんです。それなら退社の理由になるんじゃないかって。

それからです、留学するなら何しよう?
語学留学は以前していたし、それならお稽古留学!いいかも、的な展開です。

退社の理由を探すために訪れたニューヨークで彫金を学びました。

でもなぜ?ニューヨークだったのですか?

ニューヨークに留学を決めたときも、私らしさが遺憾なく発揮されていたと思います。
周囲の人は皆声をそろえて「なぜ!ニューヨーク?」と私に問いただしました(笑)
家族だけですね、驚かなかったのは。またいつものことか、と思っていたのだと思います。

なぜ海外だったのでしょう?

デザイナー)
理由はシンプルです。
当時名古屋に住んでいたので、本格的にジュエリーを学ぶには都心へ移動する必要がありました。
一人暮らしをしながら学ぶことになるのなら、名古屋ではない場所ならどこでもよかったのです。
東京や大阪などの候補地の中に、”海外”という候補が浮かび上がりました。
そこからの私の猛進はすさまじかったです。
(この時点で言葉の壁を気にしていなかったのは、私の猪突猛進ゆえです)

すぐに短期間で学べるところを探すと、オーストラリアとニューヨークに1年から数か月で学べる専門学校を見つけました。
どちらも魅力的でしたが留学資金や学習内容を検討し、ニューヨークのStudio Jewelerの三か月コースを受けることにしました。

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