(判例)未払い割増賃金及び定期健康診断の費用請求
未払い割増賃金及び定期健康診断の費用請求に関する判例について紹介します。
時間外割増賃金等請求事件 京都地裁(令和4年5月11日)判決
◇事件の概要◇
本件は,Yの経営する保育園において,保育士として勤務したXが,
〔1〕時間外・深夜割増賃金の未払割増賃金及び遅延損害金、
〔2〕労働契約上の月額固定給を下回る金額の賃金しか支払わなかったとして,その未払賃金及び遅延損害金、
〔3〕定期健康診断の費用のうち,法律上の原因なくXに負担させたとして定期健康診断費用相当額及び遅延損害金、
〔4〕恒常的に月間80時間を超える長時間労働を強いられたとして,慰謝料及び弁護士費用及び遅延損害金、
〔5〕未払割増賃金と同額の付加金及び遅延損害金の支払を、
それぞれ求めるものである。
◇判決◇
上記〔1〕~〔3〕、〔5〕については概ね認められ、〔4〕については棄却された。
◇前提条件◇
●Xの労働条件
(所定労働時間・所定労働日等)
①Xの本件事業場における就労日は勤務シフト表で確定され,各就労日の始業・終業時刻は,基本的に,Yの就業規則に定められたパターンに従って,勤務シフト表で確定される。本件事業場における1就労日あたりの所定労働時間は,7時間45分を基本とする。法定休日は日曜日であり,その他,祝日及び勤務シフト表上において不就労日とされる日が休日となる。
②Xが就業義務を負う日は,平成30年度及び令和元年度のいずれも,年間合計257日である。
●Xの実労働時間等
①本件事業場においては,労働時間記録はタイムカードを用いて行われている。
②平成30年度及び令和元年度のいずれにおいても,本件事業場におけるXの労働契約上の年間就労義務日は257日であるから,1か月あたりの所定労働時間は,165.98時間である。
●令和元年度の賃金支給
Yは,Xに対し,平成31年4月度から令和2年3月度までの賃金として,交通費,夜勤手当,時間外手当等を除き,合計423万5920円を支払った。
●定期健康診断の費用負担
①Xは,健康診断費用として,金額(合計9万5286円)を支払った。
②Xは,Yから,令和元年6月11日,同月5日の健診受診費用の一部補助として,5000円を受領した。
◇判例のポイント◇
1⃣未払割増賃金の有無及びその額について
(1)平成30年7月1日から令和2年3月31日までの間の原告の実労働時間
ア タイムカードの打刻時刻について
【Yの主張】
タイムカードの打刻時刻は,単に出園・退園時刻を示すものにすぎず,労働時間を正確に証するものではない,特に,Xが最終退園者となる場合の打刻時刻は,YがXに指示した業務量に比して不自然であり,Xが意図的に打刻時刻を遅らせていた疑いがある。
【裁判所の判断】
Yは,タイムカードの打刻時刻と,Xの実際の始業・終業の時刻との間に不一致があることを何ら具体的に立証できていない。むしろ,京都市が定める配置基準を満たす勤務シフトを組もうとしても,保育士の絶対数が足りなかったことから,Xを含むほとんどの保育士が毎日残業をする前提で勤務シフトが組まれていたこと,Xは,令和元年度には,総合責任主幹という管理職の立場での業務に従事しつつ,一人担任(幼児クラス)も務め,平成30年度には,総合責任主幹としての業務とともに,乳児クラスの全クラスのアシスタント業務にも従事しており,いずれの年度も他の保育士に比して多忙であったこと,X本人からすれば,Xの残業が,頻度及び時間のいずれにおいても,他の保育士よりはるかに多かったとしても何ら不自然ではないというべきであって,Xのタイムカードの打刻時刻は,Xの労働時間を正確に証するものであると認めるのが相当である。
イ 休憩時間について
【Yの主張】
休憩時間は交替で60分間とることとなっており,実際に各職員は交替で休憩していたところ,Xも例外ではない,また,勤務シフト表は,その休憩の欄に「○」が記載されており,休憩時間があることを示している。
【裁判所の判断】
Xは,令和元年度には,幼児クラスの一人担任を務めていたところ,配置基準を満たす最低限の人数の職員で運営がされていたことから,一人担任の保育士は,休憩時間であっても保育現場を離れることができず,連絡帳の記載など必要な業務を行って過ごしていたこと,また,食事さえも,業務の一部である食事指導として基本的には園児と一緒にとることになっていたこと,Xは,平成30年度には一人担任の保育士に交替で30分間の休憩を取らせるために,それらの保育士の担当業務を肩代わりしていたことからすれば,Xは,休憩をとることができていなかったと認めるのが相当である。なお,どの保育士が,勤務シフトの中で,何時から何時まで休憩をとる予定になっているのかということが全く記載されていないことからすれば,単なる「○」の記載をもって,実際に各保育士が交替で休憩をしていたことの裏付けとなるものではない。
ウ 以上によれば,Xの実労働時間は,Xのタイムカードの記録に基づき,休憩時間はないものとして集計された労働時間のとおりであったと認めるのが相当である。
【Yの主張】
Xが,残業禁止命令に違反し,申請手続も履行していなかったとして,Xの主張する残業時間をもって,Yの指揮命令下にある時間であるとも,Yの明示の指示により業務に従事した時間であるともいえない。
【裁判所の判断】
Yが主張する残業禁止命令や申請手続は,X以外の職員からも遵守されていなかったことが認められるから,この点に関するYの主張は,そもそもその前提を欠くものであって,採用することはできない。
(2)1か月単位の変形労働時間制を採用しているとのYの主張について
【Yの主張】
1か月単位の変形労働時間制を採用しているから,Xの時間外割増賃金はこれに従って計算されるべきである。
【裁判所の判断】
労基法32条の2は,1か月以内の期間の変形労働時間制が認められるための要件の一つとして,就業規則等により,1か月以内の一定の期間(単位期間)を平均し,1週間当たりの労働時間が法定労働時間である週40時間を超えない定めをすることを要求している。この点,勤務シフト表は,週平均労働時間が常時40時間を超過するものであって,労基法32条の2所定の要件を満たさないものであるから,Yの主張する変形労働時間制の適用は認められないものと解するのが相当である。
(3)定額残業代制を採用しているとのYの主張について
【Yの主張】
本件労働契約書記載の基本給額には,1か月あたり15時間分の時間外割増賃金が含まれていることから,時間外・深夜割増賃金を算定する際の基礎となるのは,本件労働契約書に記載されている基本給額から時間外割増賃金額を控除した金額である。
【裁判所の判断】
本件年俸規程によれば,基本給はその全額が時間外・深夜割増賃金の算定の基礎となるものとされていることから,かかる基本給の中に1か月あたり15時間分の時間外割増賃金が含まれているかのような本件労働契約書の記載は,就業規則の最低基準効に抵触し,無効と解するのが相当である(労働契約法12条)。
そうすると,Xの基本給額である27万9500円の全額が,時間外・深夜割増賃金の算定の基礎となるものと解するのが相当である。
(4)Xが管理監督者の地位にあるとの被告の主張について
ア 管理監督者とは,労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者の意と解されており,具体的には,〔1〕事業主の経営上の決定に参画し,労務管理上の決定権限を有していること(経営者との一体性),〔2〕自己の労働時間についての裁量を有していること(労働時間の裁量),〔3〕管理監督者にふさわしい賃金等の待遇を得ていること(賃金等の待遇)といった要素を満たす者を管理監督者と認めるべきである。
イ 経営者との一体性
Xが勤務シフト表を作成していたことは,総合責任主幹などの管理職の地位にあったXが,その地位に基づく業務の遂行として行ったものと見る余地もあり,これを超えて,Xが,職員の労務管理全般について責任を有する地位にあったことを認めるに足りる証拠はない。また,Xが,卒園式等の式典に関する計画実施の統括等を行っていたことも窺われるものの,式典の実施方法等についてはY代表者が単独で決定できたものと認められることからすれば,XもY代表者の指揮命令下で式典の計画実施の統括等を行っていたものと認めるのが相当である。そして,Xは,職員の採用手続に関わったこともない。Yは,Xに本件事業場の実質的な運営に関する広い裁量が与えられていたと主張するが,本件事業場の運営に関する事項はY代表者が単独で決定していたのであって,Xが広い裁量権を持っていたという事実はない。よって,Xが経営者と一体となって,経営に関する決定に参画する立場にあったということはできない。
ウ 労働時間の裁量
Xが勤務シフト表を作成していたことは当事者間に争いがないところ,その勤務シフトは,Xを含むほとんどの保育士が毎日残業をする前提で組まれていたのであって,X自身もそのような勤務シフト表に拘束されて勤務していたのであるから,Xが労働時間についての裁量を有していたということはできない。
エ 賃金等の待遇
【Yの主張】
Xの賃金が,一介の保育士としてはもちろんのこと,本件事業場の他の職員と比較しても高額であった。
【裁判所の判断】
交通費,夜勤手当及び土曜手当等を除いた月額固定賃金が40万円前後というのが,管理監督者にふさわしいくらいに高額とは解し難い。また,Xの賃金が他の職員に比して高額なのは,Xが本件事業場の保育士の中で最も勤務歴が長く,管理職の肩書も付いていたのであるから,当然ということもできる。さらに,Xには,役職手当も支給されていたものの,その額は3万円ないし5万円にすぎないのであって,これもまた管理監督者にふさわしい金額とはいい難い。よって,Xが管理監督者にふさわしい賃金等の待遇を得ていたということはできない。
以上によれば,Xが管理監督者の地位にあったと認めることはできない。
2⃣YにXが受診した定期健康診断の費用を負担する義務があるかについて
Xは,健康診断費用として総額9万5286円を自己負担したところ,事業者は,労働者に対し,医師による健康診断を行わなければならないとされており(労安法66条1項),定期健康診断を実施するのに要する費用については,法により事業者に健康診断の実施が義務づけられている以上,当然に事業者が負担すべきものとされている(昭和47年9月18日基発第602号)。したがって,Xが負担した定期健康診断の費用相当額は,法律上の原因なくXが負担させられたものであり,その支払を免れた分の利得がYに発生しているので,Yは,不当利得としてその費用相当額を原告に返還する法的責任を負う(民法703条)というべきである。
【Yの主張】
Xが,Yの指定する医師(G医療センター等)の健康診断を受けることを希望せず,一般財団法人D保健会の医師の行う健康診断を受けているから,Yにその費用負担義務はない。
【裁判所の判断】
G医療センターがYの指定医であることを認めるに足りる証拠はないから,Yの主張はそもそもその前提を欠くというべきである。また,労働者は,事業者の指定した医師が行う健康診断を受けることを希望しない場合において,他の医師の行う健康診断を受けることができるとされていることからすれば(労安法66条5項),使用者は,労働者の負担した費用が必要性,合理性を欠く場合でない限り,償還を拒むことができないと解すべきである。本件では,53歳のXにとって,毎年の健康診断の受診も,その際に2万円から3万円程度のコースを受診するのも,いずれも,必要かつ合理的ということができるから,Yは償還を拒むことができない。
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