見出し画像

絵の評価

絵にはその人の個性が如実に現れると感じます。
その絵に対する評価や批評のあり方について素人ながらに感じたことがあります。

特に小・中学校での美術の時間
絵が苦手な人には実に苦痛な時間
私が小・中学生の頃はマンガっぽく描けるか、写実的に描けたものが称賛され、そうでないものがからかわれるといった感じだった。
そこで美術を嫌いになったり、下手だからあまり描きたくないと思った人が山のようにいると感じます。

私もそのうちの一人

作品展なんて恥ずかしいし、無ければいいといつのまにか思ってしまっていました。
何度かクラスの代表でジュニア展とかに作品を出したり、学校の廊下に飾られてた作品もありはしたんです。
それでも下手だという感覚がずっとありました。

写実的に描けたり、パッと見きれいに描けた作品は褒められるけど、そうじゃない作品は放置か周りからけなされるか。
そんなんだった気がする。

書道もそうだけどきれいに(教科書通りに)かこうとしすぎて気持ちが萎縮して、自分の本来の感覚と違うものを無理にかこうとしていたような…。

どう思われるかも大切だけど、どう表現したいかということをまずは楽しまなければ、入り口で躓いてしまうと感じてます。

2歳時くらいのときは人間の顔っぽいものが描けただけで褒められていたのに。
そしてそれを描けた自分に拍手して。

それが学校に通うようになってから急に標準的に描けた人が称賛される。

もっと個性を、違いを評価して良いのではないかと感じます。
20年も前の話なので、今の教育はそうなっているのかな?

芸術こそ自分を表現する場所なんじゃないかと。
商業目的でないなら好きなように描いて満足できればそれでも良いのではないかと。

楽しむことができないのに、その上に技術を無理やり乗っけようとしても全然習得できずに終わってしまう。
そんな風に感じてしまいます。

森を犯す人間の手

これは先日フィンガーペインティングなるものをやってみたのですが、絵の具を手で感じて、何となくペタペタしてみて、何となく森をイメージして伸ばしてみて、何となく手で犯してみたくなった作品

そこにいた他者の感想として
手が印象的、恐さがある
カラフルで素敵

こんな感想があった。
決して上手じゃないこの作品を否定しないでとらえていただいただけで嬉しく思いました。

承認欲求の塊だな
と感じるかもしれませんが、否定されていては自己肯定や自己承認をすることは極めて難しいと感じます。


これまた小学生以来の書道(これも昔嫌いだった…)
書初め作品です。

久しぶりの書初め

芸術は無恥であった方が自由に表現できるのでは、と感じます。

まずはそこから美術に触れていってもらう人が増えたらいいな
と美術ド素人がほざいてみました。


今日もまとまりの無い記事になったけど発信させていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?