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メジャーリーグ1年目の新庄選手

北海道日本ハムファイターズの新監督に新庄剛志氏が就任しましたね!

新庄監督にはメジャー1年目、ニューヨークメッツ時代にお会いしたことがあります。

アメリカ市場向け野球用具の担当をしていた前職時代のことです。

日本からメジャーに行くと、メーカーとの契約もリセットされる場合がまあまああり、新庄選手の場合は、シューズがまだ決まってないという事で、新庄選手にぜひわが社のものを履いてもらおうといろいろサンプル(といっても試合で使用可能なもの)を作りました。アメリカ人担当経由で納品したり、前職のアメリカ支社の場所がアトランタにあり、アトランタ・ブレーブスと同じナショナルリーグ東地区で、対戦も多いニューヨークメッツがアトランタに来たときは僕も球場に出向いて、サンプルシューズを持っていって納品し、説明したり、以前のものをフィードバックをいただいたりしてました。


当時はすでに「今日の新庄」的に毎日メディアに登場し、新庄節を発信していたころ。
その後の日ハム選手時代、そしていまのメディアへのサービス精神旺盛なこれまでの野球選手とは違ったキャラが本格的に頭角を現してきた時期でした。

そんなもんで、
会う前までは、
ちょっと変わった人だな、、、
どんなミーティングになるんだろう、
とんでもないこと言われたらどうしよう。。
と正直不安がいっぱいでした。
が、
予想に反してw
その時のやり取りは真剣そのもの。
フィードバックはプロ野球選手そのものでした。

一方、メディアで出てるようなやんちゃなところも垣間見られ、
当時のチームメイト、名ショート、レイ・オドニェスに、渡したばかりのシューズを、
オドニェスの顔に近づけて、「いいだろう~」「イェーイ」みたいに自慢してました。

この行動、僕がいるときだけでなく、新たなシューズが届くたびに自慢してたみたいで、
そのあとオドニェスからアメリカの担当に、
「なんで新庄には毎回新しいシューズが届くのに、俺には届かないんだ!」とクレームが出たそうです。
オドニェスもスポンサー選手でした。

新庄選手の赤好きは当時から有名で、
シューズに赤を入れたいという要望がありましたが、
当時はMLBや球団では、使う用具の規制が厳しくありました。
カラーバットは禁止。
各球団からもチームカラーでないものを納品しても、使わせてもらえませんでした。今みたいに黄色のスリーブなんかもNG。
メッツも同様で、メッツのチームカラーには赤はなく、
シューズに赤を入れたら、即ダメでした。
オレンジとちょっと近いからいいんじゃない、と思ったりしましたが、そこらへんかなり厳格でした。
当時、エルボーガードも新庄選手の希望で赤で作って納めたのですが、NGでした。
サンプルシューズの一つに縫い糸を赤にしたものがありました。刺繍とかではなく、縫い糸です。はっきりいってパッと見てもわかりません。
よーくシューズを近づけて見ないとわかりません。が、
一度目をつけられたのか、はたまた、また自慢して、オドニェスだけでなく、いろんな選手やスタッフに見せ周ったのかわかりませんが、
アメリカ担当に
「あのシューズは使用禁止」と報告うけました。

サンプルシューズをもって球場に行くことが、当時何度かありましたが、
新庄選手は、持っていったシューズを必ずその日の試合で使ってくれました。
でも、
連続して使うことは稀でした。

それでも、

「門前払いでない」
「感触はある」
「実際に履いてくれている。」

何とか新庄選手にシューズをこの先もずっと履いてほしいと、力の入った企画開発部隊の日本での会議では、

「持っていくと履いてくれるのであれば、
162足作って、納品すれば、全試合履いてくれるだろう」
という議論がまじめにされたとかされないとかw
ズーム会議のない当時は、そんな噂だけがアトランタに伝わってきました。

残念ながら、新庄選手シューズプロジェクトは実を結ぶことはなく、
それとともに、新庄選手との接触もなくなりました。

シューズ持っていくたびに、
満面の笑みで「良いね~」と言って、
他の選手に自慢して見せ、
そして実際に試合で履いてくれる、

今思えば、
新庄選手にもっと喜んでほしい、
もっとずっと履いてほしいと、
あれこれ乗せられました。

不思議な魅力の方です。

そうやって選手たちを乗せて、楽しませて、
あれよあれよと勝ちを積み重ねていってしまう 
そんなこともあり得るのかな、
と、当時を思い出しながら、
監督就任のニュースを見てました。

日ハムには、アスリートブランド生がいるので、いろいろ聞いてみたいですね。



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