見出し画像

230630_Tさんの話

2023/06/30

研究室に忘れ物をしたので日が落ちてから取りに戻って、それから学内を歩いていた。

もうかなり暗くなっていたけど、照明に照らされたシルエットでTさんだとわかった。目を凝らして、髪型と服装を確認する。もう間違えがないので声をかける。

すごく驚いた顔で握手をされる。ちょうどいま君の話をしてたんだよ、などと言われる。今は博論を出す直前なんですよとか、幾ばくか世間話をして、またアトリエに来るように言われて、今日は散会した。

Tさんは著名なデザイナーで、8年前からうちの大学で教えに来ている。その8年前の最初の学生の一人が僕で(自分でいうのは憚られるけど)、僕の作品を一番気に入ってくれたのだった。その後もずいぶんかわいがってもらった。

ここ数年はもっぱら偶然出会う。大学の近くの路上とか、下北沢の飲み屋とか。月並みだけどそういう縁なんだと思う。

自分はあれから執筆や研究の方面に行ってしまったから、作品と呼ばれる種類の成果物がなくて、そのことで彼に会うたびにどこか後ろめたい気持ちになる。だから今日は、秋から研究を一旦やめてモノを作る方にしばらくシフトします、という話もした。いろいろ遠回りをしてみます、とも。

かつて彼に「絵心」(たしかそう言われた)や美意識を褒められたことがあって、これからも何かを制作をした方が良いと言われた。そのことは仮にお世辞であっても、素朴に自信にはなっている。こうした称賛された経験というのは、良性の呪いのようなもので、どこかで彼がその時に抱いた期待に応えたい気持ちになる。

以前別の人にも、君は作り続けなさい、と言われたことが心にどすんと残っている。自分が無邪気に手を動かし続けられるタイプの人間ではないからこそ、そういう言葉を覚えているのだ。

僕はたぶんこれからも遠回りをする。連続的に作り続けられるタイプでもない。手を動かすのも得意ではない。だから彼らとは異なるあり方になるだろうけど、(彼らの言葉を指針に)緩慢に、あるいは断続的に進んでいければいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?