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230821クライテリア

2023/08/21

ほぼ箇条書き

Twitterで今のタイミングで言ったら炎上するだろうなということを思いつく。(素人が炎上リスクを考えないといけないのは滑稽だけども。)

TLで次々流れてくるあれこれを見て、強い違和感がある。たぶん僕の友人が呟いている何かも、それらに対する違和感をかなりオブラートに包んで言っているのだろう。

身近な友人たちとは、嫌いなものというより、ダサいと思うものをある程度共有している気がする。だからおそやく友人も同じものを見てダサいと思ったのだと思う。

いまやダサいものをダサいというだけのことにかなりのコストを払うし、また沈黙していた方が賢いというのを知ってしまった。

僕個人としては、善悪や美醜よりも、ダサいかダサくないかの方が、日常のクライテリアとして大きい。そしてそのクライテリアを自分に対して向けることもあって、自己の存立が揺らぐことすらある。

ちなみにここでいうダサい/ダサくないは、固有の意味であって、事物の善悪や美醜とは別に、その人間と事物の距離感が適正かといったかなり曖昧な規範のことを指している。

オブラートに包みすぎて何を言っているか明日にも忘れそうな日記。

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