見出し画像

オリ先について【先生は私達であるが、私達は先生ではない/ブルーアーカイブ_2】

 ブルーアーカイブ(通称:ブルアカ)にはプレイヤーの分身として当たるものに「先生」が該当している。その先生の姿は作中ではあまり触れられず、先生は私達であると訴えるようにメタ的な要素まで入っている。
 しかし、私は明らかに先生ではない。ロボットアニメについても詳しくないし、極端にカヨコを愛している。一方先生は、足フェチで褐色好きだとかプレイヤーに言われている。私は足は好きだが、色白のほうが好みだ(突然の性癖開示)。つまり、言いたいことは「先生⇒私達」は成り立つのに「私⇒先生」は成り立たないのだということである。
 私は「これ」を元に先生を解釈し、それをオリ先に適用したいと思っている。思っているだけ。

どう解釈しているか

 私事だが、ブルーアーカイブの生徒を「神秘の擬人化」されたものとして解釈している。ある神秘があって、それが生徒としてキヴォトスで生活しているのだ。神秘の複製はどうやら悉く失敗しているらしいので、神秘は取り出せないと解釈して、「神秘の擬人化」と判断した。「生徒はある神秘の象徴であって、それ自体だから取り出せないのではないか」ということだ。
 これの傍証として神名文字を挙げたい。神名文字には、その生徒の神秘が含まれているらしいが、普遍的な神名のカケラを集めての交換でも入手できる。何故だろうか。キリスト教では動物の名前は名付けられて決まったものらしいが、もしかして神名文字は、あいうえおやアルファベットのようなもので、組み合わせることで概念の名前になったりはしないだろうか。この論であれば、神明のカケラとは「し」「ん」「ぴ」のような文字ひとつひとつや、それの音素「sh」「i」「n(m)」「p」「i」のようなそれぞれのようにバラバラでは意味のないもの(神名のカケラ)を組み合わせて「しんぴ」となるように概念を表す語(神名文字)となると考えることができる。そうなれば、神名のカケラから神名文字を交換することができるのも辻褄が合う。神名とあるので、神の言語や音素だったりするのだろうか。
 (余談だが、神秘のないらしい二足歩行の獣の類やアンドロイドは生徒と同様に銃撃を受けても悠々としているので、異常に頑丈なことには、神秘は関わっていないことも確かっぽい)
 私はこの「神秘の擬人化」を先生にも適用して解釈している。神秘の擬人化というより、概念の象徴化と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

先生をどう解釈しているか

 「先生⇒私達」∩ 「私⇒先生とは限らない」が成り立つためにどう解釈しているか。それは私達の属性としての「先生性」の象徴として「先生」があると考えた。我々プレイヤーの共集合の中の先生性(自己犠牲や子供を大切にする等)の象徴だからこそ、生徒のためにあんなにも動くのだ。私達は損得勘定等であんな判断はできないといったようなこと(イオリの足を舐める等)も平気でやるのは、私達の他の要素(我々の育った地域で育んだ倫理観等)を捨象しているからである。だから私達からも理解できない行動をとるのだ。

余談:創ったオリ先生の話

 オリ先とは、この先生性の象徴の二次創作だと思っている。ゆっくり実況で、同じ霊夢魔理沙なのに主が違えば少し性格の違う霊夢魔理沙になるのと同じものだと思ってもらって良い。全て同じ先生だが、二次創作者に映る先生像がそれぞれ違うのだ。映り方はなんでも良いのでアロナの落書きのようにもなったりもするのだろう。
 私はカヨコとの絡みを描くつもりなのであえて先生像から少しずらしてあるが、私なりの考察に基づいてキャラデザしてある。現実に居る感(現実味、リアリティ)というか、キヴォトスに居る感を帯びていると感じてくれていたら幸いである。


終わりに

 以上、これが私がオリ先を作るために解釈した先生像である。勿論これは私がそう解釈してるだけなので、読者の皆様が素朴に「私達=先生」と解釈するのも歓迎している。皆の心、それぞれに先生像を掲げよう。だからこそオリ先という概念があるのだから。
【追記】
アニメ先生のデザインが、あのカヨコをデザインしたドレミ先生によって描かれていたことが発覚した。本気でオリ先を棄却するかどうか迷っている。私のオリ先生は死んだかもしれない。
【追記の追記】
明らかに成り立っていないことに、よく眠れた次の日の朝に読んだら気づいた。
神秘についての考察は的を射ているところもあると思うので記事は残しておく。

弊シャーレのオリ先

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?