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謎の面白さ_2【謎は誰にとっても面白いのか/芯探求_4】

【前回】


 創作をする上で、謎解き要素のあるものを入れるべきか悩むときがある。

謎を解くのって全ての人が面白いと思うの?
全ての人が楽しめるものにするなら謎要素要らなくね?

とかそんなことをもう一人の僕が囁いてくる。もっと腕にシルバー巻くとかさァ!!
……なんかデジャヴだなあ。
もう一人の僕が囁いてくるところから考察が始まりがち。もっと腕にシルバー巻くとかさァ!!うるせぇ黙れ。

とにかく、「謎を解くことを面白くないと思っている人は本当にいるのか」を今回は考えたい。


謎を解くことは面白いのか

 考察要素を散りばめるフロムゲーや「色彩」や「神秘」など独自用語が出てくるブルーアーカイブ、横乳との過去や元々同じところに所属していた「うるさかった人達」とは誰で所属していた先は一体どこなのかといったカヨコなど、世界観考察やキャラクター考察も謎要素と言えそうなため、これらのものも「」として扱っており、それらを考察することを「謎を解く」として抽象化して話しているのは前回の記事を読んだ人なら慣れていることだと思う。
 また、「謎の面白さ」という謎に取り組んでこの記事を書いている私や、これを読みに来ている読者も、おそらく謎は良いぞおじさんであることと思う。まぁ私はミステリーは読まないが……。な、謎は良いぞ!
そんな私たちは「謎解き面白くないよね~」と言っている人には理解が及ばないと思う。理解できぬ。
とはいえ、「それは内省が間違ってる!!」と根拠なしに断言したら「は?お前に私の何が分かるの?」と罵られ、ただの狂人扱いされる。ごもっともである。
なので、心の中で「(いや、お前も実は謎解きを面白くないと思っていない人間であることを知っているぞ……)」という実にねっとりとした反論をしたいため、考察していきたいと思う。嘘である。

  • 謎を解くのって全ての人が面白いと思うの?

  • 全ての人が楽しめる者にするなら謎要素要らなくね?

という、もう一人の自分が最初に囁いてきた、この「創作をする上で有用っぽい問い」に答えていきたいからである。もっと腕にシルバー巻くとかさァ!!

そもそも謎は多少なりとも面白いのか

 さて、面白いという感情が起こるのは、謎を解いたときに気持ちいいと感じるからだと私は思っている。
そういう風に自然淘汰されてきたのだろう。木の実を上手に取れて、木の実を上手に開いて、中身の果肉を貪る。そういう人間が残る。
これだけでもそれっぽそうだが、それでは「全ての人が謎を多少なりとも面白いと思うこと」は支持されない。「じゃあ、木の実を他の人に取らせて自分は美貌なりなんなりで生き残って来た遺伝子は、別に淘汰されないじゃん」となってしまう。じゃあ、もっと多くの人類を篩にかける方法は無いの?銀の弾丸は……あります!!おいそこのお前無さそうとか言うな。
 その篩となるのが……言語学習である!!
人類であれば言語は必要。もしそうじゃなくとも我々の創作物が届くのは、大抵言語学習した人間であろう。
また、日本語のこの記事を読んでいる方は、義務教育や受験で英語等の外国語と葛藤してきた日本の方か、もしくは日本語圏外から頑張って日本語を学習してきた方々であろう。そこで身に染みて経験すると思うのだが、言語学習の労力凄くない?
 
そこで、謎は良いぞおじさん達に言いたいのはこうである。
モチベがないと言語学習とかいう謎を解く気にならなくない?
そしてそのモチベを維持し続けるものこそが、謎を解いたときに気持ちいいと感じるからだと思うのだ。
とすると、面白いという感情が起こるのは謎を解いたときに気持ちいいと感じるからであるので、謎を必ず面白くないと思える人は、言語学習できた人間(≒創作物を届けたい人類)の中には居ないことが導ける。
これで「謎解き面白くないよね~」人間にねっとりと反論できるようになった。やったね!

謎を解くことを、より面白く感じさせることは可能なのか

 可能であろう。前回の記事中の「魅力のない謎に挑戦させるためには……?」で語ったが、以下のである。

謎の入り口を簡単なものにして出口を楽しめるものにし、そしてそれを達成するには、凄く分かり易い言葉を用語としまずはそれに慣れさせ、それを組み合わせて難しい専門用語にして、複雑な謎を解かせるのだ。

信念探求_3【謎の面白さ/謎は謎のままだから面白いのか】より引用

 魅力のない謎とは、同じようなものを経験してきたから今回も楽しめると踏んで飛び込んできてくれるような人が居ない謎であって、前回語ったこれこそが、その同じような経験の元となる楽しかった経験を植え付ける行為なのだ。
そして、その植え付ける行為で利用しているのが応用の楽しさである。

応用の楽しさ

 応用の楽しさは、謎を解く楽しさの中に含まれている。応用とは「ある謎を解いて得た解をより大きな謎に転用する行為」であり、
すなわち簡単に表すと、「大きな謎を解くこと」こそが応用の楽しさである。よって、謎を解くことの楽しさは最低限ほぼ人類が持っていると導いたのであれば、大きな謎を解くことである応用の楽しさも、ほぼ人類が持っていると考えていいだろう。

小さい謎より大きな謎?

 小さな謎と大きな謎があった場合、素朴に大きな謎の方が面白そうと思うが、それは何故であろうか。
一つの答えとしては時間だと思う。大きな謎は小さな謎の応用、すなわち組み合わせのため、かかる時間が膨大になり、大きな謎のほうがより長く謎解きに浸ることになる。
 そして、ダンバー数、4までしか数えられないとか、簡単にクリアされたら悔しいじゃないですかとなったこと、前回の記事のこの展開を、この記事を読むところまで意識し続けられなかった人がいることからも分かる通り、人間には認知限界がある。
となると、沢山の小さな謎の組み合わせである大きな謎は、一つの大きな謎としか見られなくなることになる。であるならば、一つの謎に対しての浸る時間が長いと感じることにより、謎を解くのが面白いのなら、解き終わった時には小さな謎より大きな謎のほうが満足感が得られたと感じるのだろう。


まとめ

  • 母語を持っている人類には、謎解きは面白い

  • 「応用」を用いることにより、面白さを膨らませることもできる

 今回の記事を読んで、前回の記事よりもつまらなかったと思った人がいるなら、それは認知限界を超えてないせいである!!!(大声)
本記事で「謎の面白さ」シリーズは第2回である。これが続いてもし第5回まで行ったときには、4までしか本能的には数えられないとする説が正しいのなら認知限界を超え、一つ一つの記事という小さな謎を意識することができなくなり「謎の面白さ」シリーズという大きな謎として認識されることで、まとめて面白かったなあと思われるに違いない!!い、言い訳じゃないんだからね!
……認知限界を超えないと面白いと思われない記事しか書けないのかって??
う、うるさい!!俺だって泣くぞ!!もう一人の俺だって隣で泣いてるんだからな!!ほら、泣いてるの聴こえない?もっと耳を澄ましてみて?
もっと腕にシルバー巻くとかさァ!!うるせぇ黙れよ!


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