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中欧・東欧 一人旅 2日目前編

2日目の記事ではプラハを一人旅した記録を記していきたいと思う。

プラハは「百塔の街」と呼ばれる美しい街並みを残しており、世界で最も美しい都市と絶賛されることもある。
旅行の計画を立てる前はプラハと聞けば、高校の世界史で習った、1968年に「人間の顔をした社会主義」と称して、当時のチェコスロヴァキアのドプチェク第一書記が自由化・民主化を進めようとした「プラハの春」が思いだされるくらいだった。
しかし、デンマークでの留学中に色々な人に、「ヨーロッパでおすすめの観光地はあるか」と聞けば、かなりの確率で「プラハはいいぞ」と言ってくる。
日本でいう「ガルパンはいいぞ」と同じようにミーム化されているのではないかと同じくらい、皆「プラハはいいぞ」と言うので、ヨーロッパに来て初めての旅行として、不足なしと思い、初のヨーロッパ旅にプラハを選んだのであった。


プラハ到着


バス停
尚、インターネットから拝借した画像は出典のリンクを画像に貼り付けてある。それ以外は自分で撮った写真である

Flixbusはプラハの中央駅から少し離れたバスターミナルに到着した。バスで出会った同郷の友人一行と別れを告げ、ここからいよいよ一人旅が始まるのだった。
正直これから1週間もの間、どんなトラブルがあるかも分からず、こちらにきて初めての一人旅をすることに対して大きな不安があったが、「まあどうにかなるだろう」という楽観的なマインドセットの私は、とりあえず街の中心部に出ることにした。

しかし、その前にどうしてもトイレに行きたかった私は公衆トイレを探した。

しかし、日本とは違い、多くの国では公衆トイレを使うには100円弱程度のお金を支払わなければならない。
ATMでお金を下ろそうにも、トイレに行くだけの少額の細かいお金を下ろすことはできず、ATMから下ろすことができる最低額程度のお金だと、「そんな大金は崩すことはできない」と言われ、駅前の公衆トイレ3~4軒から断れてしまった。
仕方がなく、一番まともそうな人に交渉してスーパーでコーヒーとお菓子を買って、それを現金がわりに交換することでトイレを借りることができたが、普通よりも高い金額で利用しなければならなかった。
人類は長い歴史をかけて貨幣制度を発達させ、また現金志向の日本よりも電子決済が進むヨーロッパでも、結局は人間がピンチになると頼るのは物々交換なのだなと思いながら、とにかく「世界で一番美しい街」を汚すことがなかったという安心感を得て、プラハの中心街へと足を進めていった。


プラハにはこういうトイレがあるらしい。私の経験上(女性の多くは知らないかもしれないが)、日本の人間の一定数には小便器を使っている間、後ろに立たれると排泄ができなくなるという属種の人間がいるが、そのような人にとってはこのようなトイレの壁紙は、狂気の沙汰であるに違いない。というかこの壁紙の意図はなんなのだろうか。最近流行りの「ナッジ」という行動経済学の知見を使って、トイレを汚さないようにトイレの便器に的やハエを描くという手法は聞いたことがあったが、様々な行動をとる女性を壁紙を描くのは、露出狂の性的な満足を一定量満たして、そのような人間が公的な場所で自らの恥部を露出をすることを抑制する効果以外に何の目的があるのであろうか。ちなみに個人的には一番左側の女性の汚物を見るような目が一番好きである。

プラハ城へ!

なぜか非常につながりにくいチェコの海外ローミングのせいで、Googleマップを封印されるという大きな試練に立たされた私は、
「多分こっちだ!!!!!!!」という根拠のない自信に従って、鉄道の高架をくぐり、人気のない裏路地を進んでいった。

すると目の前に大きな川が出てきた。
おそらく日本では「モルダウ」という名前で知られる「ヴルタヴァ川」だろうと考えた(実際にそうであった)。

プラハの観光ルートを調べた時に、川沿いを駅の方向から逆の、西側に進むとプラハ城に行き着くということを記憶していたので、川沿いに沿って歩き始めることにした。

モルダウ。10月中旬だったので紅葉がうっすらとはじまっていた

『モルダウ』といえば、スメタナが作曲し、日本では『我が祖国』という名前でも知られている歌が有名だろう。
私も中学校の音楽で『モルダウ』を習い、中学校の合唱コンクールの3年生の時の課題曲にもなり、この曲を歌っていたクラスが優勝していたことを覚えている。
父の反対を受けながらもチェコで音楽を学び、「チェコの国民音楽の父」と呼ばれるようになった作曲者のスメタナは、19世紀中頃にオーストリア帝国の支配下にあったチェコに対する愛国と民族主義的な色合いを強く込め、当時のチェコの人々を大いに勇気づけたらしい。

私も祖国の利根川や隅田川といった馴染みのある川を思い出しながら、
「なつかしい河よ モルダウの
 清き流れは わが心」
と口笛を吹いて川沿いを歩いていった。

するとプラハ城が見えてきた。

プラハ城!

これが見えてきたら、あとはプラハ城を目指して歩いてれば観光はできるだろう!と思い、橋を渡り、プラハ城を目指した。


路面電車(トラム)を使うこともできたが、歩くのが好きであり、気軽に立ち止まって写真を撮ることができると同時に、30年近く続くデフレによって倹約マインドが刷り込まれた平成生まれの日本男児である私にとって、交通費をケチれるということが何よりも大きく、歩いてプラハ城へ歩みを進メルのである。
トラムも運転手もカール・マルクスのように髭をモジャモジャにたくわえた、いかにもヨーロッパのおじいさんという人で、「私は本当にヨーロッパで旅行しているのだ。ここは東武ワールドスクエア*ではない!!」というテンションになっていった。

*東武ワールドスクエアとは、栃木県日光市にある、世界各国の遺跡や建造物のミニチュアが置いてある場所である。ちなみに、同時期にドイツに旅行に行った友達が、ドイツで世界遺産や建造物のミニチュアが展示している場所に旅行に行っていて「東武ワールドスクエアじゃん」と思ったのでこの比喩表現が出てきた。


橋からは旧市街地につながる、これも有名な観光地であるカレル橋が見えた


写真から分かるとおり、プラハ城は丘の上にあるので、歩きの場合は登り道が延々と続くことになる。


プラハ城までの道のり。微妙に花にピントが合っていない

長い上り坂の道のりが続くので、「ここは熱海かよ」と内心思いながらも、あまりにも美しい街並みに心が浄化されていくのを感じる。


この時点で言ってしまうのは避けるべきかもしれないが、1週間で旅に行った中で街並みの全体的な綺麗さで言うとプラハが頭一つ抜けているように思えた。人々が「プラハはいいぞ」と言う理由が、プラハ城に行く前に分かってしまったような気がした。


おしゃんてぃなスタバ。この綺麗なスタバを見れば、ラーメン次郎に行ってラーメンを撮って「スタバなう」というくだらない投稿をするのは、スタバのブランドイメージを汚す、恥ずかしいことだと思えてくるだろう。知らんけど

プラハ城とその周辺の観光

坂を写真を撮りながら20~30分は登っただろうか。
ようやく視野が開けて丘の上に着いた。

丘の上では、白髪のおじいさんが椅子をおいてアコーディオンで陽気な曲を弾いていた。
プラハ城に歓迎されているような気がした。

プラハの街を一望できるスタバ

プラハ城の前には広い広場があり、12時ごろには衛兵隊の交代式が開催されているようで、ヨーロッパらしい兵隊さんが色々な儀式をやっていた

プラハ城前の広場。1346とはおそらくボヘミア王であったカレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カール4世として戴冠した年のことだろう。
入場する衛兵隊

プラハ城には手荷物検査を通せば無料で入ることはできるが、無料で入れる場所は制限されていた。有料のチケットを買うにはスマホでの予約が必要なようだが、私が来た時にはすでに予約の枠は全て埋まってしまっていた。

プラハ城以外にも見所はたくさんある

途中で「コンバンハ!」と陽気に話しかけてくるおじさんに会った。
「ウチで両替して行かない?お得だよ!アイスも売ってるよ!」と街中で必要以上に馴れ馴れしくしてくる人は要注意の怪しい人間で、かつ個人でやっている両替はほとんどがボッタクリであるという、教科書通りの観光地で真面目に相手にしてはいけなさそうなおじさんだったので愛想笑いを浮かべながらエイゴワカリマセンアピールをしてスルーした。


脇道や狭い道、裏路地がなんとも言えなくて好きであるという「裏路地フェチ」という性癖を有している筆者だが、プラハはそんな私にとってたまらない光景をいくつも用意してくれた。どこをとっても絵になるような景色が広がるプラハだが、このようにごく稀に落書きがある場所もあった。

我、堂々とプラハ城へ入場す

プラハ城について書こうと思う。

入り口で手荷物検査を終えるとプラハ城の敷地の中へ進める。

目の前には厳かな雰囲気で堂々と直立するゴシック様式の教会が見えた

プラハ城の正面

中に入ることもできる。奥に進むには有料のチケットが必要なようだった。


ヨーロッパ風の教会の中に入ることすら初めての経験だったので、この光景にうっとりと惚れた。

横から見る


後ろから。後ろ姿もクールだった。ゴジラのようにどっしりと、そして塔を多く蓄えていて見るものを圧巻する。プラハは別名「百塔の街」と呼ばれていて本当に100もあるのかプラハに行ったら数えてやろうと思っていたが、この塔も一本一本換算していたら、結構ここで稼いでるだろと思った

プラハ城の周辺の宮殿も非常に美しい。

ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカ
修道院

プラハ城は1000年以上の歴史を持つので、様々な様式を反映した建物が見れて歩いているだけで非常に面白い。
後から知ったが、プラハ城は世界で最も古い部類の城に入り、その中でも最大のものとしてギネスブックに認定されているそうだ。

プラハ城からプラハの旧市街地方面を見下ろす

プラハ城はトリップアドバイザーの「死ぬまでに行きたい世界の名城25」に入っている(日本からは姫路城が入っているらしい)が、それに値するものだったろう。
このあとはプラハの旧市街地を旅する。

前半はここまで

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