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意識と死体/他者と私

死とは何かという漠然とした疑問を抱えつつ
起きて、行動して、寝てを数十年繰り返し
疑問は解決へと導かれないまま
人々の思考はブレンダーで砕かれダストシュートの肥料から生命が芽生える。

大多数の人間が支持する答えは実になり、
外側にある大きな膜を転がしている何かに食われる。

私も死とは、と何ヶ月はたまた何日も頭の筋肉の筋を増やすかのように脳内総会議をする期間がある。

いつも辿り着く答えは
こうして考え、思い悩むということは自分はまだ生きているのだというなんとも普遍的なものだ。

死というものから連想されるワードとして、
死体というものがある。

サルトルというフランスの哲学者は

死体とは他者のものである

というが、
他者のものとは?
とまた連想ゲームが始まったので、続けよう。

まず、他者とはどの立場から他者なのか
自己があって他者がある。
ということは死体以前の肉体は自己のものなのだろう。

これをひっくり返してみたい。
自己の肉体は肉体的にはべつの他者から生まれるため、べつの他者のものであるとするならば?
また、社会的に属しているものがあるとすれば、それもまたその時間や責任は他者に自己の肉体は内包されているのではないだろうか?

ということは自己の肉体は他者からべつの他者へ移動している。
結果的に生から死まで私たちの肉体は他者のものなのではないか。


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