あの場がなければ、越えられなかった夜がある。
こんにちは、オザケンです。
皆さんには、「この場所があったから」と思える場所はありますか?
僕には、あります。
赤羽、シーシェイドツリーというシーシャ屋さんがあります。
トルコで初めてシーシャを吸って、
約5年が過ぎ、日本で初めてシーシャを吸ったお店がここです。
決して広くない店内。向かい合わせに並んだ席。
落ち着きと賑わいが同時に存在する、ちょっと不思議な空間。
気がつけば、僕はここの常連と言われるもの、
まあ、よく来る人になっていました。
正確に言えば「常連になろうとして、なった」が正しいですね。
というのも、ここに通い始めた頃、
僕は人間関係というものに悩んでいました。
自分という存在が、どこのコミュニティに属していても、
「俺っていてもいなくても変わらないんじゃないか?」と、
そりゃまあ、中学生みたいなうじうじした悩み方をしていたわけです。
そんな時に、このお店に出会って、
どうやら面白そうな人がたくさんいる。
自ずと、悩みながらも、
「このコミュニティに属してみたい」
そんな想いが強くなり、
当時、今よりももっと常連さんばかりだった印象のある、
シーシェイドツリーに足繁く通いました。
*
結果、みんなからは「いつの間にかグループの中にいたよね」
と言われるようになりましたが、当時の僕はもう頭を使う使う。
観察しまくり、何を発言すべきか超考えながらその場にいました。
それって楽しいの?と(今では)思いますが、
当時の僕はすごく楽しかったんですね。
新しいコミュニティに浸透していける感覚。
その過程で、
「ああ、こういう風に人と接すれば、
自分も辛くなく、楽しくいられるんだな」
と、ひととの関わり方を再構築していきました。
おかげで、おそらく知り合いだけでも50人はくだらなく、
よく会う人、お店以外でも遊ぶような人が5人、10人と増えていきました。
*
そんな最中、僕は眠れなくて、しんどい夜が増えていきました。
人と話したい。人と繋がっていたい。
このしんどさを、すぐによくしてくれるわけではないけれど、
「眠れなくてさー」と、一杯お酒を飲みながら、話せる相手がいる。
それも、呼び出したわけでもなんでもなく、
自然に集まった「たまり場」として、そこにある。
その事実が、いかに僕を救ってくれたか。
おそらく、僕の「自然発生的なたまり場」への憧れや、
そういったものを提供する存在への尊敬というのは、
この時期の体験が原体験になっているのだと思います。
*
これらのことを思い返すに考えること。
それは、「ここは好きかもしれない」と思った場に飛び込んで、
本当によかったなということです。
もちろん、人付き合いが増えれば、悩み事も増えます。
面倒なこともついてきます。
そして、場に飛び込んでいくというのは、すごく負荷がかかることです。
(少なくとも、自分にとってはそうでした)
ただ、その対価は決して小さくないと思います。
自分のいられる「場」を持つことは、
大変なことだけれど、
同時に自分を支えてくれるものでもあるのだと、
強く実感させられます。させられています。
*
この文章の結論は以上です。
ここから先は、少し蛇足の、ふわっとしたいまの僕の想い。
僕がしようとしていること。
端的に言えば無店舗型の営業スタイルは、
「常連」をつくりません。
なぜなら物理的な場を持たないから。
これって、自分が憧れていることの逆をしているようにも
思えます。
でも、ああ、同じなんだな、とこの文章を書いていて、
少し腑に落ちました。
まだうまく、表現はできていないと思うのですが、
一期一会的な、自然に生まれた偶発的な出会いもまた、
「場」なんだと。
そしてその場はひとときのものであったとしても、
そこで生まれた出会いというのは、人に属するのであって、
場がなくなっても、存在し続け、力を持つ。
結局、僕が支えられていたのは、場所でもありましたが、
それ以上に、そこにいた人たちに支えられていたということなんですね。
なんですね、とか締めた感じになってますが、
あまりまとまってない気もします。
これ以上書くとぐだぐだと長くなりそうですし、
これについては、きっと、自分の活動を通してまた、
もっと煮詰まったアウトプットが出てくることでしょう。
今は、これくらい、まだふわっとしたままで、
世に出してしまうことにします。(すみません)
僕やシーシャという媒介を通じて、
その人の支えになるような出会い、
素敵な出会いがあることを願いつつ、
活動に尽力していきたいと思います。
サポートにて「投げ銭」受け付けております。 なんのサポートでしょう。以前ほどシーシャ屋さんを出張でやらなくなってしまったので、そうですね、僕がもっと、弱いままでも強く生きるために、使わせていただきます。よろしくお願いします。